第73話 アリゴへの介入
【1】
七か条の農村開放要求書が提出された時に私達が掴んでいない組織がある事は知っていた。
教導派領地で極秘裏に獣人属や小作農民の逃亡を手助けしているグループがいる事は掴めたが、その実態が知れない。
当然極秘活動なのだから簡単にシッポを掴めるようならば教皇派領主たちに壊滅させられてしまうのだから。
そういった状況も有って私達も無理な詮索を行うと教皇派に見つかる可能性が高いのであまり手出しは出来なかった。
しかし軍務卿の耳に入って来たと言う事は遠からずデ・コース伯爵やモン・ドール侯爵の耳に入る可能性は高い。
何よりデ・コース伯爵領では直接に訴えかけを企んでいる様子だ。
要求書が提出されれば直ぐにルーション砦や周辺に住む作業員、特に獣人属に影響が出てくる。
穏便に要求が通れば良いが、体面を気にするデ・コース伯爵が簡単に要求を聞き入れるとも思えない。
ここは先んじて動くべきだろう。
どういった一団か知らないが彼らがタイミングを誤ったり、交渉の方向を違えれば武力衝突になりかねない。
なにより後ろ盾が無い状態では、一つ間違えば全員殺されてしまうかもしれないのだ。
一足先に海軍を介してナデテを派遣し情報収集に当たらせると、私もすぐに陸路で後を追った。
領都アリゴに入るとすでに海軍から武官としてクルクワ男爵がナデテを連れて滞在していた。
「おおセイラ殿、一日以来であったな。なかなかに息災そうで何よりだが、南部のライトスミス商会がついに北海まで進出か?」
そういえばクルクワ男爵はカンボゾーラ子爵家とはつながりがない。
リオニーを連れてやってきたのだからなおの事セイラ・ライトスミスの印象が濃いだろう。
今回は私も表に出るつもりは無い。
セイラ・ライトスミスで押し通すつもりでいる。
「お久しぶりでございます。このような姿で申し訳ございませんが、無礼を承知でこのなりでご挨拶させていただきます」
私は顔の左半分を仮面で隠しつばの広い帽子を被っている。
「気にせずとも事情は聴いておる。お気の毒ではあるが其方の才気があればそんなハンデなど楽に跳ね除けられるから気にする事など無い」
「この度ご足労いただいたのはデ・コース伯爵様にお口利きをお願いしたいと思いまして」
「ナデテより話は聞いておる。なんでも海軍基地の作業員は南部や北西部からの派遣労働者が多いそうだな。ライトスミス商会が送った派遣労働者の待遇改善が目的と聞いておる。口利きだけでなくその後のフォローまで行うとは、一介の商会がなかなかできる事ではないからな。海軍に関係する事案でもあるし協力は惜しまん。海軍事案として具申いたすつもりだから安心されよ」
実際にナデテを通しデ・コース伯爵家に対してアリゴとルーシャンの手前の村の獣人属の入城制限の撤廃を具申したいと申し入れている。
クルクワ男爵はルーション砦の代表として海軍事案に上げて具申してくれると申し出てくれたのだ。
【2】
ナデテから聞いているアリゴの状況はかなり不安定なものだった。
市民の鬱憤は教導派の領主にも向かうが、爆発の方向を間違うと獣人属への襲撃にも向かいかねない。
インフレーションによる物不足の不満は領主に向かっているが、ルーション砦の恩恵を受けている獣人属への妬みにも向かっている。
そして街の住人、主に子供たちを通して領主の失政を揶揄するような寓話や歌が流行っているという。
「多分意図的に流しいる者がおりますぅ。歌の歌詞や寓話の内容が具体的すぎますぅ」
ナデテが調べたところ、時折辻に子供たちを集めて飴や焼き菓子を渡してくれる若い男女がいるそうだ。彼らが首謀者のようだが神出鬼没でなかなか数日では尻尾をつかめない。
その代わり同じ子供を使って海軍から伯爵に領城への入場制限を解除してもらえるように大将軍がお願いに来たとのうわさを流している。
「農村開放要求書をかざしてデ・コース伯爵に領令の撤廃を求めるやり方は感心できませんね」
そこはリオニーの言うとおりだ。
領令の廃止はデ・コース伯爵家やアリゴの街に利益はあるが損の無い要求のはずなのだが、上から目線の要求では対面を重んじるデ・コース伯爵が飲めるわけがない。
まして一般市民から突き付けられた要求書を受諾したとあっては面目は丸潰れになる。
事実私が到着した当初のアリゴの街は衛士や騎士がピリピリした状態で巡回していた。
「セイラ様、これで領令が撤廃されたとしても簡単に事が収まると思えないのです。アリゴの市民の獣人属に対する嫉妬や不満は反対に膨れるかもしれないと思います。今でも私どもに向けられる視線は厳しいものが御座いますし、買い物に出ても不当に高い値段を要求されます」
これはアドルフィーネの実感であろう。
「獣人属がお金を持っていること自体が気に入らないのでしょう。もともと教導派の強い地域ですし、領令が撤廃されてもルーション砦の獣人属はアリゴの街でお金を落とす事は少ないと思います。不当に高い価格でこの街で買い物をするくらいならルーションで使うでしょう」
「それにぃ、ルーションから獣人属が物資を運んでもアリゴの商人は買い叩いてくると思うのですぅ。その上でぇ、今の市場価格のままで売り捌いて利益を得ようとしますよぉ」
リオニーやナデテの言う通りで、領令の撤廃は一時しのぎかもしれない。
農村のように困窮していない分、アリゴ市民は切羽詰まっていない。
必ずしも市民が味方になるという保証はないのだ。
市民の大半は目先の利益がある方に転ぶ。
今回の領令の撤廃も期待が大きければその分反動も大きい。
リオニーたちの言う通り撤廃されても状況はすぐには好転しないだろう。その場合の失望感は海軍と獣人属への不満となって帰ってくる可能性が高いのだ。
要求書を出した組織は分からないが、彼らは安易に市民の支持を信じすぎている。
クルクワ男爵とデ・コース伯爵の会談は滞りなく終わり、その実海軍が強権を発動したと言う事なのだが、世間的には海軍から領主へのお願いという形で片が付いた。
こういった貴族への交渉は経験が無い者には難しい。
一般市民の要求などそう簡単に通る事は無いのだ。
圧力をかける権力を要して、尚且つ利益の提示もできなければ交渉は進められない。
平民は路傍の石ころである。
教導派貴族にとっていくら集まろうとも突き崩して踏みつけてゆくだけの存在なのだ。
世論という概念が無い状態でいくら市民の賛同を募ってもそれは領主に対する圧力にはならない。
アリゴの市民にしても自分たちは近隣の農村よりも上、獣人属よりも上という意識のもとで領主に不満を燻ぶらせている。
その不満が解消されれば次のターゲットが下に向かうことも必然である。
領令が撤廃された今獣人属に向けられる不満を回収するために手を打たねばならない。
「ライトスミス商会で南部の押し麦やオートミールの提供をしましょう。ルーションから獣人属の商人を入れてアリゴの街で一般価格で放出させます。これで下層民の獣人属に対する不満は解消できるでしょう。食料の供給はルーション砦の海軍基地を通して海路で、念のためクルクワ男爵にお願いして海兵の護衛も少しつけてもらいます」
市民に対する利益の提示と権力による圧力だ。
富裕層の商人やデ・コース伯爵の縁者の貴族たちの不満は募るだろうが、下層の市民が潤うならしばらくはこの街も安泰だろう。
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