第112話 フィリポ毛織組合(1)

【1】

 一日目の仕込みは終了した。

 農共の設置で大地主の利権の拡大に歯止めをかける事は出来た。

 これで牧羊に転じた農家を取り込んで三圃式 ・四圃式農業に転向する下地を作る。そしてここからが本題だ。


 ジャンヌは昨日幾つか村を回り歓待を受けてそちらに泊まったようだ。二日目も続けて村を回ると連絡が来ている。

 私は昨日買い上げると言った織機を設置する織物工場のの発足に動き出す事にした。雇用の確保と工場設置を並行して行うのだ。

 まず狙うのは救貧院とその予備軍となる社会的弱者たちだ。

 領主城の付属の旧使用人寮を宿舎として、表の倉庫の修理と羊と交換で買い付け予定の織機を設置する準備にかかって貰った。

 倉庫の入り口には大きく”フィリポ毛織組合”と記載し高々と掲げて貰った。


 新設組合の初めての仕事として、手始めに撚り糸の投げ役として洗礼前の子供を雇い入れる。救貧院に収容されている子供たちは全員対象だ。

 もちろん建前だ。どうせ全ての織機はフライングジャイロを導入するのだから稼働し始めた頃には投げ役なんていらない。

 雇入れを名目に引き取って教育を行うのだ。

 もちろん救貧院に残っている大人たちも織子として雇入入れて、買い上げた機織り機の操作をさせる。

 これで救貧院の役目は無くなる。救貧院利権にかじりついていた者たちなど知るものか!


 住居と食事は保証し、鐘一つ分の仕事でそれを相殺する。

 子供は鐘一つ分の労働と鐘二つ分の教育時間を加え、それで三人分の生活が賄える対価を払う。

 もちろん最低限の生活保障だが子供一人で両親の生活が賄えるのだ。

 当面は弾き出された弱者の救済措置として機能するだろう。


 次に寡婦対策だ。

 フィリポ毛織組合は積極的に女性雇うことにする。

 子持ち女性は大歓迎 託児所完備 五歳児までは託児所で面倒を見る。

 そしてベビーシッターにも寡婦を雇うのだ。

 かつて産業革命時のロンドンは生活苦の女性が乳飲み子を抱えて路頭に迷ったり、乳児にジンを飲ませて酔って寝ている間に仕事に行き、急性アルコール中毒で死ぬ幼児も多数いたという。


 何が起こるか予想できないからこんな悲劇が起こるのだ。解っているなら起こる前に仕組みを作っておけばいい。

 良い人材を得ようと思えば私たちが設定した最低条件を上回る就労条件を明示すればいいのだ。

 すき好んで劣悪な環境で働くものは居ない。

 幸いカンボゾーラ子爵領は運河工事や流通の拡大と建築ラッシュで空前の好景気に沸いている。

 その為大変な人手不足に陥っているのだ。


 このチャンスに大地主と農村の因習を叩き潰す。

 先ずは女性からだ。

 手始めはこの領地きっての大地主カスバート一族。

 大きな村一つが全てカスバート家の地所である。ライオル前伯爵との繋がりも強く、麻疹禍の時も随分と協力をして酷い事をしていた様だ。

 そして今も小作人不足を補うために近隣の村々に借金を押し付けて、そのかたに無理に小作農として村人を酷使している。


 麻疹禍で疲弊した自作農や貧しい村に不当な金利で種籾や資金を押し付けていたのだが、一部はカマンベール子爵家やアヴァロン商事が低利で借金の借り換えを奨励したり、高等学問所の査察で金利を是正させたりして対応している。

 冬から春にかけては運河工事や領都の建築現場などでの出稼ぎ収入で自作農や寒村も持ち直してきている。


 ただこのままでは大地主は叩けない。

 織物工場の設置場所はカスバート家の近くの川の畔である。

 今進めているカスバート家から圧迫され狙われている村が有るのだ。小さな船着き場が有りカスバート家の村よりも街道に近いので隣村との取引でわずかながら現金収入が有ったのだが、カスバート家が土地を買い足し自分の地所に船着き場を作った事で目障りになったようだ。

 麻疹禍でも大きな被害を免れた事で余計にカスバート家から狙われ出して領主家に助けを求めて来ている。


 この村の河辺は石が多く耕作地に適さない為放置されている広大な空き地がある。

 朝一番にマイケルを交渉に向かわせて河原周辺の土地を買い上げるよう指示を出し、直ぐに現地に走らせた。


【2】

 私も朝一番にアドルフィーネを伴って救貧院へ向かった。

 救貧院の待遇はカンボゾーラ子爵家になって格段に向上したが、それでも宿舎や食事に至るまで法の縛りがある。

 その為直接介入は難しかったのだが、救貧院の中に妊婦が居た事が発覚した事で義父上が烈火のごとく激怒したのだ。

 救貧院に妊婦を収容する事は禁じられている。その為収容の時点で妊婦がいるはずも無いのである。

 それがいたという事で、なにが起こったか察したフィリップ義父上は兵を連れて乗り込み男性職員の大半を拘束してしまった。

 今は聖教会の治癒修道女が交替で女性寮と子供寮に在住し体調や精神のケアに務めている。

 それでも救貧院の仕事は法の規定で旧来のオーブラック商会の息のかかった商人がまだ牛耳っている。

 院長もその一人で領主家の締め付けに反発し続けている男だ。


「これは、セイラお嬢様。この様なむさくるしい場所に何用で御座いますかな」

 院長がさも迷惑気に出て来て私にそう言った。

「雇用通知です。今収容されている洗礼式前の子供を全員雇用致します」

 院長はヤレヤレと言うように肩をすくめた。

「まあそのうち参られるとは思っておりました。早速用意させましょう」


 この院長も覚悟はしていたのだろう。

 カンボゾーラ子爵家の支配に代わってから、洗礼後の子供たちは全員 聖教会工房の仕事を貰い、フィリポの聖教会に付属する宿舎に収容されているのだ。

 当然洗礼前の子供もその内領主家が引き取ると思っていたのだろう。


「それで、乳児は如何なされるのですかな。母親がいなければ移動も出来ませんが、母親は子供じゃないんですがね」

「それも雇用します。幼い子供が多いので面倒を見る職員が必要ですからね」

「そいつは助かる。ごく潰しを引き取ってもらえて」

 昨年の秋から領主令で救貧院で乳飲み子を抱える母親は労働対象から除外されている。

 救貧院としても働き手にもならない乳幼児と母親は邪魔でしかなかったのだ。


 案内されて院内に入るとちょうど朝食の最中だったようだ。

 食事は質素だが、ライ麦パンにチーズとハム、野菜のスープと言う高等学問所の生徒よりマシな食事をとっていた。


「お前ら! ご領主様のお嬢様がお見えだ! 乳児持ちの女は荷物をまとめて直ぐに出て行く準備をしろ! 飯なんて無しだ!」

 院長は炊事場の横に転がっていた薪を掴むとテーブルを乱暴に二度ほど叩いた。

「お止めなさい、院長! 朝食が終わるまでお待ちなさい」

「出て行くものに施す飯は有りませんよ。ここで働く者が食う為の飯だ!」


「セイラお嬢様、この不快の男の顔を見るのも嫌です。彼女達には宿舎に着いてから朝食を食べさせましょう。様子供達も集めて下さいまし」

「獣人属のメイドの癖に尊大だな。お嬢様、下民の教育はシッカリなさった方が宜しいぞ」

「ええ、それならば貴方にはこれからしっかりと教育を施しましょう」

「ケッ! ガキの分際で偉そうに」

 院長は小声で吐き捨てて部屋を出て行った。


「お嬢さま! 乳児持ちだけなのですか? 私どももお救い下さい」

「お願い致します。私たちを…。今は修道女様が居て下さるので大丈夫ですが、以前はあの男が…」

 何となくニュアンスであの男が以前から何をしていたか見当がつく。…ゲスめ。


「大丈夫ですよ。あと数日もすればあなた達も雇用できる準備が整います。それまでの辛抱です」

「セイラ様、残っている女性たちの人数は把握できました。名前も控えて行きます。皆さん、ここに居る以外に女性はおりませんね。貴女達も安心なさい。あのが何かしたなら、セイラお嬢様が名簿を作っていらっしゃったと、一人でも欠けたら首を撥ねると仰っていたとお告げなさい」


 そんな事を話している内に院長が子供達を連れて戻って来た。痩せてはいるが血色は悪くない。

「それでは参ります。女性の方は子供が列から離れないようにしっかりと見ていてください」

 そうやって私たちは救貧院から新しい宿舎に向かった。

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