第113話 フィリポ毛織組合(2)

【3】

「少し遅くなったので今日は朝食と昼食を兼ねた食事とします。部屋は準備していますから、食後はフィリポ毛織組合で働くために必要な知識を学んでいただき」

 臨時で招集したアヴァロン商事の職員がみんなに説明しているが、要するに聖教会教室で初歩レベルから学びましょうという事なのだ。

 当面は聖教会教室から講師を一人入れて読み書きと算数の教育が続く。


 二日後には救貧院の残りの人員も雇用して、最終的に救貧院を春休み中には廃止するつもりだ。

 今でも治癒院での病人の受け入れと聖教会工房で作業員の雇用で、救貧院に入る人間は居なくなっているのだから。

 午後からは貸事務所の中にフィリポ毛織組合の事務所を設置し、ライトスミス商会とアヴァロン商事から人材の補填を仰いで四人の立ち上げメンバーを人選した。

 宿舎と倉庫は教主家の出資地してライトスミス商会とアヴァロン商事から資金を出ししばらくは共同経営にするが経営権はカンボゾーラ子爵家が握るつもりだ。


 その夜夕食の頃には ジャンヌも戻ってきており、ナデテを伴って食卓についていた。

「回った村々ではぁ子供たちは大変喜んでいましたがぁ、村長や村の古老がやはり頑迷ですねぇ。畑を耕すのにぃ算術や読み書きなどいらないと申すのですよぉ」

「それでも食事を目当てに聖教会教室にやって来る子供を止める事は出来ませんし、聖教会工房で日銭を稼ごうと思えば教室に出なければいけませんからね。村の聖教会教室の立ち上げは問題ありませんね。農閑期だけでも結果が出れば考えも変わるでしょう」

 ジャンヌは状況を割と楽観視している。今回廻ったのは村々は自作農が多い村で、比較的裕福な村でもある。

「ただ途中で寄った大きな村なのですがぁ、大地主の持ち物で聖教会も地主の持ち物の様でぇ…。村にすら入れて貰えなかったのですよぉ」

 いや、ジャンヌもカラ元気だったようだ。


「そう言えば農家の皆さんが主体となった牧羊農業共有組合を立ち上げるそうですね。株式組合とはまた違う組織なのですか?」

「ええ、農家の互助組織で資産を出し合って集団で牧羊をする組織ですよ。羊毛は新設する毛織物組合が買い上げる契約ですから最低限の利益は保証されます。羊肉や羊乳の加工は組合の判断で共同して経営して貰えば利益は増えますから。きっと聖教会教室の生徒も大幅に増えますよ」


「その毛織物組合について話し合いたいんだがな」

 義父上が口火を切る。

 その為に義母上以外にもミゲルやマイケルも同席させているわけだが、これにアドルフィーネとナデテも加わってもらう。

 身内だけの打ち合わせで、給仕はいらない。二人も席について一緒に食事をとりながら話し合いを始める。


「セイラの言う通り使用人宿舎と倉庫はフィリポ毛織組合に貸し出す事で書類手続きは終わったわ。これでカンボゾーラ子爵領の救貧院は無くなるわ。これがあなたの言う神聖国に喧嘩を売ると言う事ね」

「ええその一歩目ですよ義母上。私 考えていたのですよ、なぜ救貧院に入る人が出るのかを。その最大の理由は住む家を無くすからですわ。住む家が有れば最低限の仕事でも生きていける。ねえマイケルどう思う?」


「僕たち一家がライトスミス家に救っていただいたのは五年前です。多分あの時チョーク工房の仕事を貰っても家を追い出されたら救貧院に入れられていたでしょうね。ミシェルと母さんは今頃死んでいたと思います」

「そうよね。子供だけで住む家は借りる事が出来ないし、定職の無い人に部屋を貸してくれる大家も少ないわ。それに家賃だってバカにならない」


「それだけじゃない! 母は会計や事務の能力が有ったのに給料は安かったし、働き口も少なかった。今も思ってますよ。ライトスミス家とレイラ奥様だけが母を正当に評価してくれた。今母はブリー州の本店の最高管理者です」

 ミカエラさんの苦労を一番近くで見ていたミゲルは彼女の不遇に腹を立て続けていたのだろう。

「私は先ず女性が働ける仕事が足りないと思うの。そして同じ仕事でも男より給料も条件も悪い。だから女性の仕事を作るのよ。女性が安心して働ける仕事の仕組みをね」


 ジャンヌが目を輝かせて私を見た。

「凄い、そんな事を考えていたのですか。この毛織物組合がそれの初めの一手なのですね」

 ナデテもアドルフィーネも食事の手を止めて、私を見ている。ルーシー義母上はもう感動した風で少し涙目になっている。

「もともと機織りは女性の仕事ですよね。その機械がどんなに大きくても紡績や機織りは女性がやる仕事だってみんな勝手に思ってる。ならその仕事は女性が独占しても良い。この組合は女性を優先的に雇います。ちゃんとした給料でね。その為には子供を気にせず働ける事。だから託児所を併設します。寡婦でも安心して働けるように宿舎も完備します。私の工場で働くなら読み書きと算術はシッカリと学んでもらいますから、聖教会教室は併設します。妊婦の休業補償と生理休暇も導入します。能力が有ればいくらでも登用しましょう。女性だけでも子供を育てられる工場を作りたいのよ」


「でも人々の意識を変えられますか? 紡績や織物の仕事でそんなに高い給金を出せるのでしょうか。先程の母の話と同じでフィリポ毛織組合だけで変えられるのですか。他の織物工場が追従してくれるでしょうか」

 冷静で慎重なミゲルの発言に普段寡黙なアドルフィーネが興奮して熱弁を振るう。

「セイラお嬢様、やりましょう。絶対できますわ。セイラカフェのメイドも若い娘の憧れの職業ですもの。平民の私たちが貴族上りのメイドより高い給金を貰っていても、今では誰も当然だと思ってくれていますもの」


「ミゲルの懸念はあながち間違いでも無いのよ。セイラカフェのメイドが認められているのは何より優秀だからよ。同じ目的で使う物ならより品質の良い物の価値が高くなるわ。貴族家のメイドでもセイラカフェと同等の実力が有れば同じ給金を貰うでしょうね」

「それならば機織りの仕事で他より高給を出して宿舎や託児所にお金をかけると東部やハスラー商人に負けてしまう」

 マイケルが慌てて話を繋げる。


「そうよね。私たちがこれから雇うのは普通の一般女性だものね。セイラカフェとはわけが違う。でも私たちがこれから始めるのは今まで無い大型機械を水力で動かすこの世界で初めての紡績機や織機なの。カマンベール子爵領で使っている大型織機は三人でする機織りを一人で出来ているの。一人分の給金を三倍にしても採算が合うのよ。そしてこれから作るのは水力で動くさらに新しい機械だわ。一人で十人分…いえそれ以上の能力がある機械。これで市場を占有してしまえばもうこの仕組みは崩せないの」


「でもマイケルが担当している紡績工場に設置する巨大織機は毛織物には大きすぎるのではないかしら」

 ルーシー義母上が疑問の声を上げる。

「掲げている看板は毛織物だけれど、私がやろうとしているのは綿布なの。ハウザー王国の…ヴェローニャと言う忌々しい名前の町で綿花を買い占めて、綿糸にしてここまで船で送って来るのよ。ハウザー王国産の綿花はヴェローニャで、送られてくる綿糸はフィリポで、この二つの町で全て押さえてしまえば誰も太刀打ちできないわ」


「ああ、こいつはハスラー聖公国やハッスル神聖国と戦争になるな。ただで終わらないぞ」

「うん、ただ今すぐじゃあ無理だよ。密かに準備を進めて、機が熟せば一気に勝負に出る。それまでは勘付かれない様にこの看板で正体を隠す」

「一年…二年後か。来年度の綿花の収穫を攫って一気に動くそして、それまでには俺も準備をしておくとするか」

 こういう状況で絶対に臆さず策略をめぐらす事が出来るフィリップ義父上本当に頼りになる。


「…それでぇ、セイラ様ぁ。綿布の卸先もぉ何か考えてらっしゃるんでしょうぉ」

 こう言うところはナデテは鋭い。物事の裏を読むのは得意だと感心する。


「ええ、ポワトー伯爵領よ。帆布を作って納めるのよ。大型織機なら継ぎ目の無い丈夫な帆布が織れるわ。それも安く」

 ビジネスモデルの完成形は見えている。これからすべてが始ますのだ。

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