第13話 デ・コース伯爵領(1)

【1】

 かつて名もなき砦が有った岬と深い入り江だけの寂れた土地を手に入れたランドック家はその砦一帯にルーションという名を付けたという。

 ランドック家が朽ちかけた桟橋を整備して小さな港を作り、そこで交易船の輸入貿易を始めた。

 州内にこれと言った港も無くシャピやアジアーゴからの輸入品に頼っていた領地貴族たちは直ぐにランドック家の顧客になり、商店名も州名にちなんでオーブラック商会と名付けられた。


 そして砦の周りには小さな町が出来、領主のデ・コース伯爵家から徴税官が送られてきてその内に町長を兼任するようになった。

 陸路ではデ・コース伯爵領の領都であるアリゴを通るルートしかないこの町は伯爵家に押さえられつつも収益を上げデ・コース伯爵家に利益をもたらし領都は潤い州都になった。


 特に先々代の商会主の頃からは北部一帯の諸州にまで手を広げて北部では有数の商会に成り上がったが、それに目を付けられて北部の有力貴族から食い物にされ始め先代のオズマの父の代でこの町を去る事になったのである。


【2】

「砦からアリゴに向かう街道への出口の切通しに城門を設ければ有事でも速攻で対処可能だな」

「ウム、陸路からの攻撃は砦の城門でも防げるがその前方にもう一つ城門が有れば後ろからの攻撃への対処が最低限で済む。砦からは入り江の入り口に向かい砲塔を並べれば海上からの襲撃にも万全の備えが出来るな」


 この士官たちは完全にここを城塞化するつもりのようだ。軍港として外部からの接触を最小限に止めるつもりなのだろう。

「もし、港や宿舎の整備をお任せいただけないでしょうか。港の整備については以前から培ったノウハウがあります。それにこの辺りの地理や周辺海域の潮の流れも我が商会員は把握しているので、桟橋の増設やドックの新設にもお役に立てると思います。如何でしょうか、条件如何によっては資産売却の価格も勉強させていただきますが…」

 パウロが勢い込んで商談を始める。


 チャンスだと思っているのは分かるが少しがっつき過ぎだし、手札はもう少し小出しにした方が良いだろうね。

「如何でしょう? オーブラック商会様もあのように仰っておられますし、何より湾内の改修や整備そして今後の管理を含めて、どこよりも知識があるオーブラック商会に任せるならなにより確実でもございますよ。売却価格や宿舎関係の整備については置いておいても、そこだけでもメリットは出るのではないですか?」


 私の助け舟に焦りすぎたと感じたのだろう、パウロも頷いて新任の軍務官を見つめた。

「言われればその通りだな。この港を一番よく知っているものに任せるのは悪い話ではあるまい。ライトスミス商会殿はどう思われる」

「私もそれはお勧めいたします。私どもがこの地をお勧めしたのは立地以外にもオーブラック商会様が信用のおける商会だからです。特に軍が扱う施設では価格よりも安全性と確実性を重視すべきだと思いますので賛成致します」


 グリンダの賛同を貰ったパウロはホッとした表情で相好を崩し頭を下げた。

「宜しくお願い致します」


 そこからの交渉は順調に進んで行った。商談ごとには不慣れな軍人や役人相手にこちらは全員が身内ばかりの三商会の出来レースである。

 グリンダを相手にしてパウロとオズマの訓練の場と思って話を進めて行った。


 初めに決定したのは当然のように港湾管理と改修・増設の請負で、もちろんオーブラック商会に一任された。

 引き続いて砦の修復と切通しからこちら側の海軍所有となる地域の城壁化と切通しの城門設置を土木事業を持つアヴァロン商事が請け負う事になった。

 砦の内側の事業はオーブラック商会が行い、領主からの目隠しの為に砦の周りの業務をアヴァロン商事が担うという仕組みだ。


「酒保や軍需物資の供給はライトスミス商会が行います。これからは近衛騎士団輜重隊のエポワス伯爵が輜重軍務官を兼ねる可能性が濃厚です。海軍も当面はそちらに頼る事になると思いますのでシュナイダー商店とオーブラック商会を介してライトスミス商会が取り扱わせて頂きます」

 ああエマ姉はなめし革職人を独占して皮革市場を牛耳る事で、軍需産業まで手中に収めようとしている。前世で例えるならラスカル王国の岩崎弥太郎だよ。


「それならば物資の輸送はアヴァロン商事に! 海上輸送ならシャピのラスカル西部航路組合に請け負わせて戴ければ王妃殿下にも宰相閣下にも覚えが良いですよ。それに大型物資の陸上搬入は城門工事に紛れて私どもが運び込みますよ」

 ラスカル西部航路組合の出資者にはオーブラック商会も名を連ねている上、シャピはオーブラック商会の根拠地だ。

 実質的にこの施設はオーブラック商会がそのまま運営する事になるのだろう。


 その結果オーブラック商会のこの町の資産は最終的に資産全体の領主の評価額を若干下回る値段で売却する事になった。

 整備されていない建物や桟橋の補修費用が発生するという名目ではあるが、領主の評価額を下回るという事は税が発生しないという事である。


【3】

「どう言う訳だ! 売れたのであろう。なぜ税が治められない」

 町長はいくばくかの税を徴収できると踏んでいたのだろう。低い領主の評価額より下回る価格で売ってしまうとは夢にも思っていなかったのだろう。


「当然だろう。商館はまだ手入れがされていたが、港湾施設や周辺の宿舎は何一つ手も付けられず荒れ放題だったではないか。そもそも税金の免除を受ける見返りに町が管理して自由に使うという条件では無かったのか? その割に備品や機械類はおろか家具や什器まで無くなっておるではないか」

 ウォーレン・ランソン海軍士官は事も無げに言い放った。


「それは我々の与り知らん事で、流れ者か漁村の住民がやった事であろう。それがこれとどう関係が有るのだ!」

 町長はその意味が良く理解できないようだ。

「当然でしょう。この先無くなった物資の補充も破損した家屋や設備の修復もしなければいけない。人が管理しなくなった設備は荒れるものです。今ある物は危険で使用できないものもある。それらを解体して新築する費用も発生するのですから評価額より下回るのは当たり前でしょう」

 グリンダが冷淡に言い放つ。


「何なのですかこの女は! 我々は海軍の代表殿と話しておるのだ。それをメイド風情が口を挟むなど」

「こちらは我々の代理人のライトスミス商会の実質的な代表であるグリンダ殿だ。今回の買取交渉を纏められた辣腕家だ」

「だからと言って女ごときが…」

「相手が誰であろうとこの価格交渉は正当なものだ」

 ウォーレンの言葉に町長は不満げに鼻を鳴らして押し黙った。


「徴税官! お前の町長としての管理の不行き届きだ! 後でその責めはおって貰うぞ」

 同席していたデ・コース伯爵が不満げにそう言った。


「いやいや、今交渉は価格面でも海軍としては満足のゆくものであった。岬の砦から湾全体を接収する事が出来たのだから」

「それは良う御座いましたな…接収? 今接収と仰ったのか?」

 つまらなさそうに相槌を打ちかけたデ・コース伯爵がその言葉に気付いて声を荒げた。


「ああ、当然ではないか。軍の施設だぞ。それも国軍の海軍施設を作るのだ。領主から借り上げる様な事をするはずが無かろう」

「その様な事を若造の士官ごときが、現役の伯爵であるわしに向かってよく言えたものだな! ここは代々デ・コース伯爵家の領地だぞ」

「それを手も加えず荒れるがままにしておいてとは言いますまい。これはその若手士官の見解では無く海軍提督のご指示なので致し方ないのだ」


「海軍提督が何と言おうがここはデ・コース伯爵領だぞ」

「もちろん理解している。この土地に昨年課された税金分は王国の課税額から減免されるという趣旨の書状も国王陛下より頂いている。不満があるならば海軍提督のカブレラス公爵を通して国王陛下に書面にて陳情する様にとの御沙汰であったよ」

 デ・コース伯爵家はこれまで多額の固定資産税をオーブラック商会に課していた。ところがオーブラック商会が移転してからは一気に税額を下げてしまっていたのだ。

 納税額の免除と引き換えに施設使用権を得た時に差額の使用料を払わずに済むように評価額を大幅に下げたからだ。


「全て! すべて貴様のせいだからな!」

 怒りで真っ赤になったデ・コース伯爵は真っ青な顔の町長にそう言い放つと席をけった。

 それに続いて慌てて町長もその後を追って行った。

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