第14話 デ・コース伯爵領(2)
【4】
それでもデ・コース伯爵領にとってあながち損な取引でもない。
海軍士官養成所には士官候補生や准士官候補生が多数寄宿する上、それに伴う職員も大量に雇用する必要がある。
学生や職員は海軍管理地の内側の宿舎に起居する事になるが、その内に近隣の漁村や外の街の住人を作業員として雇う事になるだろう。
それを理解して適切な対応を取れば領地も潤うはずだ。
なにより学生や職員と言え大半が船乗りであり若い軍人だ。
休日ともなれば外に遊びに出る事もあるだろうし、それに伴う酒場や歓楽街も出来て人も集まって来るだろう。
それが町長や領主にとって歓迎すべきものかどうかはさて置き、獣人属も多いのだからそういった店に集まる者も獣人属が増えてくる。
町の治安に関しては海軍警察を設置して定期的に砦外の見回り迄担当させれば不埒な行動を起こす者も減るだろう。
もちろん外からやって来るヤクザ者の対処だが、士官候補生や准士官は軍人であっても酒とケンカが日常の船乗りである。
放置すればヤクザよりたちが悪い奴もいるのだから、そうそうバカな事も出来ない。
切通しの外門の外に海軍警察の詰め所を設置し、まずはその近くに清貧派の聖教会を設置し聖教会教室を立ち上げよう。
軍警の詰め所の近くなら教導派の愚か者もおいそれと手が出せないだろうから、そこで学ぶ子供たちは砦内の雑役業務を与えて日銭を稼がせる事が出来る。
更に酒保に入る許可を出して民生品の買い出しも可能にすればやって来る生徒は増える事が間違いない。
こう言った事は私が文章にまとめて海軍官房であるエダム男爵にしっかりと提言させて貰った。
クオーネとグレンフォードの二つの大聖堂には使いを出してこの聖教会のバックアップをお願いし、オーブラック州への浸透の橋頭堡に据えるつもりだ。
この辺りの政務や清貧派聖教会に関わる根回しはエマ姉やグリンダより私の方が向いていると自負している。
【5】
北海沿岸の諸州の中で、アジアーゴは東端に在りハッスル神聖国との国境に近い港だ。それに対してシャピは西部の国境に近く、西部山脈を抱えるバイヨン州の隣がポワチエ州になる。
オーブラック州は東にアルハズ州を挟んでポワチエ州が西に在る。アジアーゴよりはシャピに近いが教導派の力が強くペスカトーレ侯爵家の影響力は強い。
「ですからペスカトーレ侯爵家もモン・ドール侯爵家も設置に異は唱えないでしょう。北海の造船ドックは三分の二がポワチエ州にあります。後はダッーレヴォ州と言うよりペスカトーレ侯爵領に古い小さなドックがあるくらいです。オーブラック州の湾岸からアルハズ州にかけて海軍の接収地が侵食して行く事になりますね」
グリンダはそれが決定事項だったように簡単に説明してしまう。
もともと北海の海岸線は教導派貴族の占有していた地域で、西部山脈の国境に位置する貧乏なバイヨン州だけが清貧派勢力の強い地域であった。
そのバイヨン州も河川貿易の恩恵で最近は潤っているが、ポワチエ州の東側の州はまだまだ教導派勢力の強い地域ばかりなのだ。
アルハズ州の北海沿岸の領主は最近のシャピの好況の恩恵にあずかっている。オーブラック州の沿岸を海軍が抑える事でラスカル王国北海沿岸の西半分をシャピの影響下に組み入れるつもりなのだろう。
「それだけではありませんよ。アルハズ州からオーブラック州にかけての南側の州境はヨンヌ州でエポワス伯爵の地盤です。海軍への物資供給も容易ですから」
そうか後ろの州も…、そう言えばヨンヌ州の東隣はカブレラス公爵家が領有する広大なアルタ州が控えている。
「オーブラック州は南部の州境を騎士団の輜重隊と海軍提督に抑えらているという事なのね。ラスカル王国の西半分の海岸線は海軍が抑えてしまえという目論見のようね」
「
さすがはエダム男爵だ。
娘をサンダーランド帝国へ外交官として派遣した上その婚約者は海軍の士官として軍船を率いてサンダーランドに乗り込んで行く事になるのだろう。
私の使命はその海軍が植民地主義に陥らない為に手を尽くす事。
その為にもここで准士官を養成する幼年兵養成所が重要になって来る。
幼年兵は生粋の海軍軍人となる。そしてこの先士官として海軍の重鎮になる子供達なのだ。
その幼年兵は多くの優秀な獣人属が多数いる。王立学校に行けない獣人属は人属の幼年兵より優秀な者が多い。
この先王国海軍は教導派貴族では御せない巨大な兵力となるだろう。何より殆んどの幼年兵が清貧派の信徒であり聖教会教室の出身者なのだから、その辺りの教育はこれまでもシッカリとなされている。
間違っても教導派の人属至上主義や貴族主義に陥る事は無い。
自分たちの親世代の苦労を知っている者が多いのだから奴隷制の延長の様な植民地主義に走る事も無いと思いたい。
【5】
早々にアヴァロン商事配下のカンボゾーラ建設の一行が州都でもあるアリゴの街に乗り込んできた。
大量の重機と作業員を乗せた荷馬車は、アリゴの街の城門で止められてしまった。もちろん獣人属が多いからだ。
デ・コース伯爵はカンボゾーラ建設の一団を追い返したかったようだが、国王の印璽が入った軍務卿からの詔書を見せられるとそれも叶わない。
それでも街の城壁の内側へ通す事は拒否された。
それくらいは覚悟の内だったので、一晩城門の外で野宿してルーションの砦を目指す。砦までは半日の距離だ。
前任の町長は左遷されたらしく、新任の町長が出迎えたがデ・コース伯爵と同様にカンボゾーラ建設の一団を見て不快そうに顔を顰めた。しかしそれ以上の事は出来なかった。
カンボゾーラ建設の一団は砦内に重機を運び込むと、切通への城門の設置と町と砦の境界の城壁設置の作業の為、切通しと尾根の外側に仮設の作業所の建設を始めた。
町長は獣人属の作業員との接触を避けたいがために、住民に命じて町と作業所の境に木の柵を作らせ始めた。
「良いか、貴様ら。この柵より向こうは人属の町だ! 貴様らは一歩たりとも柵の内側に入る事はならん! この柵よりこちら側はもうこの町ではない。薄汚いケダモノにこの領地を穢させてはならぬとデ・コース伯爵閣下の厳命である」
作業員たちは町長のその言葉に従って、町を迂回し州都アリゴも通らない方向に作業用の道路建設を始めた。
今はただの迂廻路だがその内軍用道路としてエポワス伯爵領に直通の道が敷かれる事になるだろう。
砦の外壁の工事と並行して砦内の補修や建築工事にも多くの作業員が来始めた。陸路でもそうであるが海路でシャピからも大型船が入港して来ている。
陸路で運び込んだ重機は大半が今後波止場やドックで使われるクレーンだ。
既に初めに搬入したクレーンは修復された波止場に設置されている。
領主側は獣人属の侵入を阻止すべく領外からの獣人属作業員の受け入れを出来るだけ拒否し続けてきた。
それなのに砦での表の作業員宿舎にはいつの間にか大量の獣人属作業員が暮らし始め、どこからかやって来た商人たちがその宿舎の周辺に店を開きだした。
…まあ当然海路を使ってライトスミス商会やオーブラック商会が送り込んでいるのではあるが。
いつの間にか柵のこちら側には多くの獣人属が暮らす街が新たに出来て、柵の向こうの本来の町より人口も増え活況を呈している。
何より取引されている民生品や嗜好品もアリゴの街からやって来る行商人よりも安く、と言うより破格の安値で買えるのだ。
近郊の漁村からも客が訪れて、作業員たちが落とす金も半端な額ではない。
獣人属を隔離した為町にも州都のアリゴにもその恩恵が行かない。なによりそこで儲けている小売りの商人たちが領境の関所を通らないので税収も上がらないのだ。
州境から砦に向かうのは殆んどが建設用の重機や資材を運び込む荷馬車ばかりで、軍需品なので徴税も出来ない。
デ・コース伯爵が歯噛みしている間に、アリゴや近郊の町や村から下層民が減り始めていた。
砦の作業員として街を離れて行く者が増えだしているのだ。同じ力仕事をしても作業環境的にも恵まれており給料も多いカンボゾーラ建設の作業員は魅力的な職場なのだ。
そうしてデ・コース伯爵領の足元で下層民から清貧派に宗旨替えするものが広がり始めている。
作業員宿舎の一角には清貧派聖教会が仮設の聖堂を開いている。作業員やその家族を対象に聖教会教室も開設している。
デ・コース伯爵領の作業員には鐘一つ分の教室への参加を義務付けているからだ。
そして新しい思想が貴族連中の知らぬうちに燎原の火のように瞬く間に燃え広がっている。
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