閑話5 アルハズ州(3)
【6】
獣人属の小作人は穴だらけの掘立小屋に押し込まれて暮らしている。人属の住居はもう少しましだし、食事の量も獣人属よりは多い。
結局北部教導派領地は奴隷同然の小作農にもヒエラルキーが有るのだ。
清貧派を認めない教皇派閥の教導派領地は、獣人属に洗礼を受けさせない。そもそも洗礼を施す聖教会が獣人属を拒否しているから当然と言えば当然の事だ。
そして洗礼を受けてないことを理由に人としての権利を認めようとしない。こんな理不尽な事が罷り通っている。
その為獣人属の宿舎は家畜小屋をそのまま宛がわれているのだ。
もちろん小作農としてハウザー王国から連れて来られた獣人属は清貧派聖教会や福音派聖教会で洗礼は受けている。
しかしその子供たちは別で、洗礼を受けられぬまま地主や領主に家畜同然に召し上げられて大概は売られてしまう。
もちろん奴隷は合法ではない。地主や領主に極秘裏に連れ去られて、闇稼業の奴隷商に売り払われる。
王法を司るべき貴族やその執政官が行っている上、その根拠を聖教会が与えているのだから救いなど有るはずも無い。
そんな事が各村々で数年おきに行われているのだ。
ある夜、小作人宿舎に半獣人の少年がやって来た。それも燕麦の袋を持ってやって来たのだ。
フスマしか食べるのもの無い小作農たちにはご馳走だ。
何より潰した燕麦は粥にするととても旨いのだ。
更に小作農たちに森や草むらに生える野草の食べ方まで教えてくれた。
そして切り出した言葉に小作農たちは驚愕した。
洗礼式前後の子供たちを買い取るというのだ。そしてその金で借金を完済し自由になれと言う。
「安心しな。子供たちは俺がアルハズ州の州境を越えてポワチエ州に連れて行く。ただあんた達の借金の完済は地主どもが難癖をつけて金だけとってそれまでになっちまう。子供は今夜にでも俺が馬車に乗せて州境を越えさせる。明日になれば金を持った代訴人が地主に借金を払いに現れる。それであんたらは自由の身だ。後は代訴人についてヨンヌ州の州境を越えれば良い。明後日には子供と再会して清貧派の領地で暮らせるんだ。立て替えた借金分は働いて貰うが、此処よりはずっと良い暮らしが出来て子供も洗礼を受けられる。そこまで悪い話でも無いだろう」
ここ最近領内の景気は悪くなり近いうちに子供達も地主が攫って売り払ってしまうだろう。
少なくとも小作農たちに損な話ではないが、親の身として信用でき切れない。
「明日中に代訴人がやって来る。その約束のしるしとしてこいつをここに残して行く。これが俺たちの証だと思ってくれ」
半獣人の少年が馬車から一人の獣人属の幼女を降ろした。
聖教会のローブを纏い首から清貧派のメダルを下げている。洗礼を受けて余りたっていないようだが修道女見習いのようだ。
皆の前で聖印を切って頭を下げた。
「獣人属が修道女に成れるのかい?」
「清貧派じゃあ当然の事だろうが」
「分かった。お前を信じよう。普通に子どもを売ってもこの燕麦程度の量で買い取られるのがおちだ。それに清貧派の修道女見習い様が俺たち獣人属を騙す事もねえだろう」
結局その農場で三世帯の獣人属の子供が引き取られて馬車に乗せられて夜の闇に消えて行った。
【7】
そして翌日の朝には小作人たちにとっても予想外の事が起きた。
約束通り代訴人がやって来た。それも中年の女性であったが、その女性が内務省の税務官と衛兵を引き連れていたのだ。
地主にしたところで税務に対してそれ程知識が有る訳では無い。
利率がどうの複利計算がどうのと言われても地主たちにも解らないが、税務官が示した内容に異を唱える事は出来ない。
代訴人の女性が言う通りに法定利息に合わせて単利計算で全ての借用書の内容は修正され驚くほど低額の返金で獣人属の小作人は解放されてしまった。
怒りで身を震わせている地主も衛兵を従えた徴税官や代訴人に異を唱える事は出来ず獣人属の家族は全員代訴人が乗ってきた馬車に乗せられて、例の獣人属の修道女見習いの幼女と一緒に農場を後にした。
馬車は一日かけてヨンヌ州との州境を越えた。翌日にはエポワス伯爵領に向かうと言う。ポワチエ州に行く筈じゃあなかったのか?
「その事情は説明するさ。今まで俺の言った事に嘘は無かっただろう。少なくとも損になる取引じゃあなかったと思うぜ」
そこにはまたあの半獣人の少年が待っていた。
「まあ地主どもには嘘をついているんだがな」
そう言って税務官の男がニヤリと笑う。
「この御婦人の威厳とハッタリで州の衛兵詰所の奴らもあっさりと信じてくれたしな。何よりご婦人の言った借用書の記述内容と借金額の齟齬は間違い無いようだ。添え書きと返済証を内務省に提出すれば文句は言えないらしいぞ」
どうやら代訴人の女性はともかく税務官は偽者で衛兵たちは騙されてついて来ていたらしい。
彼らはエポワス伯爵領で仕事を宛がってくれると言い、今回の借金に関してもそこで働きながら返済すれば普通に食べて行けると言う。
しかし連れて行かれた子供たちはどうしているのか? これからの事も信用して良いのか?
不安は尽きる訳では無い。
半獣人の少年や代訴人の女が嘘を言っていないことを証明できると言い、乗って来た馬車の幌をめくった。
そこには洗礼を受けられていなかった最年長の子供が一人一緒に付いて来ていたのだ。その子がポワチエ州で見てきた事を話してくれると言う。
「なあ聞いてくれおっさん達。昨年王子殿下とその仲間たちが救貧院を廃止して職業訓練所を立ち上げてくれたんだ。ヨンヌ州は教導派の土地だが清貧派を蔑ろにしない。ここの職業訓練所では皮鞣しや靴加工の革細工を指導して貰える。それにな、技術を身につければ州内のなめし革工房や靴工房で雇ってもらえるんだ」
半獣人の少年が説明を続ける。
ポワチエ州や北西部の州のような聖堂は無いが清貧派の礼拝堂はあちこちにある上、清貧派の信者も増えていると言う。
今なら字や計算が不得手でもここでなら働いて行けると言う。
「なんでポワチエ州じゃあダメなんだ? いったい字や計算に何が有るって言うんだ。仕事に何の関係があるんだ?」
「ポワチエ州じゃあそれが判らなければ碌な仕事がねえんだ。でもな、聖年式前の子供なら働きながら学べる仕組みが清貧派聖教会に有る。そこで学べばずっと良い仕事につける。こいつだって修道女見習いだがリール州の聖教会で去年から学びなら働いて、今はこうやって聖職者のはしくれだ」
そう言って修道女見習いの幼女の肩に手を置いた。
「父ちゃん、俺はポワチエ州の聖教会教室を見て来たんだ。あそこで学べば職人じゃなく工房主に成れる、行商人じゃなく商会主になれる。何よりもうあんな地主に騙されて借金を背負う事もねえんだ。だから俺はあっちで学びてえ」
勢い込んで言う小作人の子供の背を押すために半獣人の少年が更に話を続ける。
「なああんた達も洗礼式が終われば働きに出たんだろう、それと同じじゃねえか。学ばしてやんな。あんた達はこっちで働いて、落ち着けば会いに行っても良いしこいつ等も会いに来てくれるさ」
そうかもしれない。いや、そうなんだろう。少なくともここ数日の状況を考える限り彼らの行いに何一つ不実なところは見受けられない。
彼らのいう事は信じていいのだろうが…なぜここまでしてくれるのか? それが疑問なのだ。
「聞いて下さい皆様。私はかつてこの国を追われハウザー王国の清貧派聖教会に救われたものです。そして清貧派の信徒として虐げられたものを救いに参りました。今この国は清貧派の聖女ジャンヌ様の導きのもと変わろうとしています。この先のポワチエ州は教導派を捨てて清貧派の州に変わりました」
代訴人だという女性が進み出て話し始めた。
「私たち清貧派教徒は皆に施しを与えるのではなく、魂の糧を与えるのです。今日を生きさらに明日からも生きられるように。民に救いの手を伸ばす事に聖俗の区別はないのです。いえ、俗世に生きるが故に俗世の民に目をやることができる者こそ手を差し伸ばす必要があるのです。我々清貧派が成すべき事は俗世の民と共に歩むことです。誰でも何かの役に立つ、命は金で買えない、知恵は盗まれない、と言うこの言葉の下に」
彼女の言葉は難し過ぎて良く分からなかったが、最後の言葉は意味が分かった。
農奴同然の自分達でも役に立つからこの命でも金よりも値打ちがある。そして知恵をつければ搾取される事が無くなる。
清貧派の聖職者の代わりに彼女たちはこうして働いているのだろうという事も何となく理解できた。
「このヨンヌ州は教導派の土地でありましたが、それも変わろうとしているのです。私たちと立ち上がりましょう。まだまだアルハズ州には、いえ隣のオーブラック州もペルラン州もあなた方の様な境涯の小作農が人属、獣人属関係なく沢山居ます。今とは言いませんがここで働いて落ち着けたらその力を貸してください。その時が来たら立ち上がる手助けを!」
「「「「ああ、わかった。協力する」」」」
そこにいる小作農たちは難しい事は解らないが、自分たちと同じ境遇の者がいてそれを助けるなら少々の面倒は厭わないと思う気持ちになっていた。
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