第24話 贖罪符の効果
【1】
ペスカトーレ枢機卿はご満悦であった。
治癒贖罪符はこの数カ月で失った治癒施術の喜捨を補填して余りある金額をもたらしているからだ。
「これならばもっと早くから贖罪符の販売を始めておれば良かったというものだ。あの小賢しい清貧派の跳ね返りが王妃離宮で治癒を始めた時はどうなるかと危惧したがこうも上手く回るとはな」
「何よりも教皇猊下直々に教皇庁よりの御通達を戴けたのは吉兆で御座いましたな。これも枢機卿猊下のご尽力の賜物で御座いましょう」
王都大聖堂の大司祭が述べる追従を機嫌よく聞いていたペスカトーレ枢機卿に口を挟むものがあった。
「それは甘いのでは御座いませんか枢機卿猊下」
「アントワネット嬢。いくらジョバンニ殿の許嫁とは言え女人が口を挟む場ではないぞ」
「そう仰る大司祭様も同じで御座います。表面上の事に囚われて目的を見忘れておられるという事です」
微笑んで窘めた大司祭はそう言い返されてさすがにムッとした表情を浮かべて彼女の祖父、シェブリ大司祭を見た。
「我が孫ながらなかなか口の減らぬ奴でな。まあ根拠のない事は申す事の無い娘なので我慢して聞いてやってくれ」
その言い分を聞いて王都大聖堂の大司祭は口を歪めながらも押し黙った。
「教導派王都大聖堂の収益は上がったかも知れませんが、信者数は減っているのでは御座いませんか。王都聖教会に来る信者が減るという事こそ問題で御座いましょう。なにより今回の通達では清貧派は何ら痛手は被っておりませんが、教導派の領地は領地経営も悪化しております。私どもの成すべきはこの王都より清貧派を追い払い彼らの不当な収益を有るべきところに戻す事で御座いましょう」
「あの様なヤカラを相手にする事こそ我ら教導派の権威を下げると言うものだ。聖教会がわずかな金品の事を気遣う事こそ下賤な事。信者が減ったと言っても下賤の輩ではないか。これだから女人は肝が小さくていかん。目先の事しか見えておらんのは其の方の事ではないか?」
王宮聖堂の大司祭も王都大聖堂に追従する。ここも上級貴族相手に贖罪符の売り上げで潤っているからだ。
「その様に仰って、西部の枢機卿の席はパーセル枢機卿様に持って行かれたのでは御座いませんか。北部もポワトー枢機卿様を傀儡にしてポワトー大司祭を隠居同前に追い込んだのはカロリーヌ・ポワトー
「分不相応な行いだ。二人ともな。清貧派の毒虫共ではないか。聖典に唾する様なヤカラの事など気にする程では無いであろう」
「…よい、続けよ」
そう言い切る王都大聖堂大司祭に対して、ペスカトーレ枢機卿はしばらく思案してアントワネットに続きを促した。
「それにセイラ・カンボゾーラも声明を出しております。こちらは理屈っぽくて庶民には人気は御座いませんが、聖典や過去文献に照らして理屈で教皇庁の通達を雁字搦めに論破しております」
「そんな物は無視すれば良いではないか」
「ええそれが一番の得策でしょう。反論を試みればこちらが火傷を負いますから。ただ座視していればあの者の事です、悦に入って勝ち誇る事でしょうね」
「それも無視だ! そんな論争に乗る者など少数であろう。それこそ清貧派の聖職者や支持者の貴族連中だけだ」
アントワネットはハーと溜息をつくと一旦口を噤んだ。
セイラ・カンボゾーラの声明は多分王立学校生の間で浸透して行き国の指導層に周知されて行く事になるのに。
「セイラ・カンボゾーラはともかく、何よりこの間出されたジャンヌ・スティルトンの声明文が問題で御座います。これは感情に訴えかけます。南部や北西部の平民たちの間では大きな支持を得て教導派大聖堂糾弾の声が上がっておりますよ」
ジャンヌは聖女認定を受けて以来南部や西部や北西部の農村を回って治癒と農業経営や衛生管理の啓蒙活動を行って来た。
その為農民や平民階級はジャンヌの盤石の支持者であるし、聖教会教室のお陰でそういった領地は文字が読める若者が非常に多い。
なによりも現教皇や教導派聖教会に隠れて貧困農村での治癒活動を行って死んだ先代聖女のジョアンナに同情的な農民がもとから多いのだ。
ジャンヌの声明文は各地に配布され村々で字の読めるものが幾度も音読して人々に聞かせて回っている。
農村だけでなく都市部でも同様で、辻毎でジャンヌの声明文を読み上げるものが後を絶たないのだ。
「ジャンヌ・スティルトンの影響は絶大です。場合によっては領地経営にも更に多大な支障をきたす事も頭に置いておかねばなりませんよ。わがシェブリ伯爵領も北部と北西部そして西部に向かう通商での収入が大きく減少しております。それもカンボゾーラ子爵家の、セイラ・カンボゾーラの企みのせいで。ペスカトーレ枢機卿様、アジアーゴもセイラ・カンボゾーラのお陰で迷惑を被っておられるのでは御座いませんか」
「ああ、其方の申す通りだ。その様に言われれば今回の贖罪符も聖教会の収入ではあるが領地経営に直結するわけでもない。表面上の事で一喜一憂している場合ではないな」
「教導派の司祭様以上の幹部の方々が侮っておられる子女が、清貧派を牛耳っておるのです。油断している間にそれに乗じて動いているのですよ。今あげた者だけでなく、ヨアンナ・ゴルゴンゾーラやファナ・ロックフォール、そしてエマ・シュナイダー。どれも清貧派の狼共では御座いませんか」
「其方は性別や身分の貴賤で本質を見誤るなと申したいのだな」
「ええ、下賤は下賤、ケダモノはケダモノでしょうが、それが能力に直結しているわけでは御座いません。悪辣でも卑怯でも知恵が回る物は知恵が回るのですよ」
「其方の申す通りだ。儂らも見誤っておったようだな。其方や其方の父は再三に渡ってセイラ・カンボゾーラに気を付けよと忠言をくれておったようだが迂闊であったわ」
「それは私もで御座います、枢機卿様。王立学校当時はかなり煮え湯を飲まされました故。危険だとは感じておりましたが、私の予想以上に悪辣で悪知恵の回る者でしたのでご注進に至ったのです」
二人のやりとりにシェブリ大司祭が口を挟む。
「わしもこ奴や息子から色々と忠言を貰っておったのですが舐めておりました。そもそも二年前のジャンヌの異端審問事件の際にあ奴に煮え湯を飲まされておったのに、パーセル大司祭やフィリップ・ゴルゴンゾーラに隠れて画策する事で自らを印象付けずに事を成し遂げる術を心得ておる奴ですからな」
「ええ、王立学校でも清貧派の象徴は聖女ジャンヌ、表に立つのはヨアンナ・ゴルゴンゾーラとファナ・ロックフォールです。でもお膳立ては全てセイラ・カンボゾーラです。カロリーヌ・ポワトーの事件も画策したのはあの者です。わざわざ周囲の目を欺くために一年の終了時は宮廷作法の欠点と言う姑息な手段で他の成績を隠し特待を取らなかったのです」
「やはりな。全てあの娘の画策であったか」
「あのエマ・シュナイダーとも繋がっているようですし、北部のオーブラック商会の利権にも食い込んでおります。何よりシャピの貿易船団への影響力はかなりのもので御座いますよ」
「それは儂らも危惧しておったが、対策は打っておる。すぐに海軍の軍船がアジアーゴに派遣される手筈になっておる。それより其の方の危惧しておる事について忌憚ない意見を聞きたい。明日にでも大聖堂の執務室に参れ。我が一族に続くものとしての意見が聞きたいのだ」
「判りました。私も忠言を申したい事も御座います。明日参じさせていただきます」
「ははは、それは覚悟せねばならぬようだな」
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