第23話 教皇庁からの通達
【1】
王都大聖堂から下らない通達が出た。
曰く、
『聖別を受けていない治癒術士の施術は快癒しても死後に地獄に落ちる』
『聖別を受けた治癒術士が治癒を施す事で原罪を贖う事が出来る』
『原罪を贖う事が出来るのは聖堂において聖職者による治癒施術を受けた時のみ』
『贖罪の効用は教皇庁が認めた治癒術士の階位に準ずるものでである』
『司祭以下の階位の者ではその贖罪の効き目が薄く複数回の施術が必要である』
そして極めつけは
『原罪を贖う為には聖堂での治癒施術以外に治癒贖罪符を購う事で代用できる』
『治癒贖罪符は聖教会で購入できるが治癒贖罪符を描いた聖職者の階位に応じてその贖罪の効力は強くなる』
「あからさま過ぎませんか。これはどう考えても贖罪を理由にした金集めではありませんか。人の不安を煽ってそこに付け込んだ詐欺じゃないですか!」
通達を聞いたジャンヌが激怒している。
私もそう思うよ。
これって霊感商法で高額の壺を売ってた団体と同じじゃないか。
証明のしようが無い死後の事で不安を煽って高額のお札を買わせる。生きている間にその効果を確認する事が出来ない時点で詐欺と言って間違いないだろう。
「その言い方こそ不敬ではないか。これは教皇猊下も認めた教皇庁からの通達だ。という事はこれは聖教会の教義に即した通達だ。これに異を唱えるという事は背教者という事ではないのか! 異端という事ではないのか!」
ジョバンニ・ペスカトーレが目を吊り上げて口を挟んで来る。
「聖典のどこにそんな事が書かれていると言うのです。そうまで言うなら聖典においてその根拠をお示しなさい」
「黙れ! 教皇猊下がそう仰ったのだ。それが根拠だ!」
「下らない。あなたは聖職者でしょう。聖典の一つも読まぬのですか。教皇庁の決定を鵜呑みにしているのは思考が停止している証ですよ」
「異端者め! 聖女の身で教皇猊下の言に異を唱えるか!」
「お間違いなさらないで下さい。私は聖別も受けていなければ受戒も受けていないので聖職者ですら御座いません。聖女はただの称号です。でもそれは私の母上も同じこと。今の教皇猊下のご指示で母ジョアンナに治癒を施されたものは皆地獄に召されたと仰りたいのですか? それならばそう指示をした教皇猊下の罪はなお重いと言うほか御座いませんね」
「この痴れ者聖女が!」
ジャンヌの言葉にジョバンニは激怒して手を伸ばしかけた。
「グワッ」
伸ばしかけたジョバンニの右手の甲には羽ペンのペン先が刺さっている。イヴァンが彼の掌を目がけて羽ペンを投げたようだ。
「戯れが過ぎるな、ジョバンニ・ペスカトーレ。女性に手を上げるとは騎士の…男の風上にも置けんぞ。…いや風下だったかな」
結局この男は何をしても最後は決められないよなあ。でもよくやったイヴァン!
「結局教皇の孫のあなたですらジャンヌさんに反論する事すらできないじゃないの。教皇庁の主張なんて穴だらけの布告なのよ」
「うるさい、セイラ・カンボゾーラ! 貴様の様な治癒施術を金儲けに使う様なヤカラにとやかく言う資格はないぞ」
「そう言うペスカトーレ侯爵家こそ今まで治癒施術を…いえ先代の聖女様まで金儲けの手段に使って何の痛痒も感じないなんて。人の心が有ればこんな通達を出すはずも無いでしょうに」
「貴様ら、誰に物を言っている! 俺は教皇猊下の孫だぞ! 現役の司祭で来年は大司祭だ! 貴様らに俺を侮辱する事など許されんのだ」
少しは大人になったかと思っていたが、ジョバンニの野郎とうとう切れやがった!
しかしジョバンニ・ペスカトーレ如きを言い負かしたところで通達が翻る訳でも無く、不安を感じ贖罪賦を買う者はかなり存在する。
清貧派教徒であっても全てが不安を感じないわけでは無いのだ。
【2】
「別にあの通達のせいで診療所に来る患者が減っている訳でも、市井での診療が滞っている訳でも無いのだわ。健康栄養学も浸透してきているからうちの健食の売り上げも良好なのだわ」
動くにあたって上級貴族寮のヨアンナの部屋で打ち合わせを始めたが直ぐにファナが話し出した。
「不安を煽ってお金を搾取する様な行為を公然と行っている事が腹立たしいのですよ」
「それでもお金の無い者はそんな物買わないかしら。それにぼったくられるのは教導派の上位貴族がターゲットなら清貧派には何ら痛痒は無いかしら」
「だからと言ってそれで構わないとは言えないわ」
「ええ、清貧派聖教会はその様な事を認めさせるわけにはまいりません。お母様を殺した教皇がよくもぬけぬけとあの様な事言えたものです」
ジャンヌは酷く腹を立てている様だ。
「それなら清貧派教徒には多分ジャンヌが否定する声明を出せばそれに従うのではないかしら。教導派教徒でも少しでも頭が回ればジャンヌの言い分に賛同する者も多くいるはずかしら」
「そうね、ジャンヌ。先ほどジャバンニの馬鹿に言っていた事。それをそのままぶつければ良いのだわ。ジャンヌさんの母君を、先代聖女様を殺しておいて抜け抜けとあんな通達を出している教皇庁に思いをぶつければ反論できないのだわ」
「しかしそんな事をすればジャンヌ様が教導派からお命を狙われる事になると思うのです。危険で御座います」
オズマが顔色を変えて反対する。
「そうですよ。ジャンヌ様が危険を冒してまで助けるだけの価値がある人たちとも思えませんよ」
レーネ・サレール子爵令嬢は中々辛辣な事を言う。
「そうだわね。べつに教導派の上級貴族が教皇に幾ら絞り取られようとシュナイダー商店にもオーブラック商会にも損は出ないわ。ジャンヌちゃんが声明を出したところでこちらの収入が増える訳でも無くジャンヌちゃんが危険になるだけだもの」
エマ姉はそう言う所は割り切っているのだろうが、相手が両親の仇でもあるジャンヌはそうは行かないようだ。
「私の身の危険など関係ありません。こんな事許される行為ではないのです」
多分幾ら止めてもジャンヌの正義感と聖女ジョアンナに対して教皇が行った事への怒りから声明を発する事は間違いないだろう。
「私はジャンヌさんに賛同するわ。間違っている事は正さなければいけないし、それで不幸になる人を放置する事は私の性分では我慢できないのよ。だから一番効果のある内容で声明を出しましょう。感情的な言動で足を掬われない為にも協力するわ」
「有難うございますセイラさん」
そう言ってジャンヌは私の手を握り頭を下げる。
「ならセイラさん、ジャンヌ様の身辺警護も増やせないですか? 平民寮ではセイラカフェメイドもあまり多くない上、寮生の人数が多すぎて警護に隙が出ませんか?」
レーネの提案ももっともだ。
「それならば私が警護についてやる」
エヴェレット王女の代わりに参加していたヴェロニク・サンペドロ辺境伯令嬢が名乗りを上げた。
春の軍靴密輸事件のあおりで使用人寮から上級貴族寮に通っているヴェロニクは暇を持て余しているのだ。
「なあオズマ・ランドック殿、私を部屋付きメイドにしろよ。出来れば聖女ジャンヌ殿の部屋の向かいあたりに部屋を移って貰えれば警護もしやすくなる」
警護としては現役のハウザー王国の正騎士であるヴェロニクの腕は保証済みだ。ただメイドとしては一切役に立たない無駄飯食いなのだが。
これまで一人で寮生活をしてきたのでオズマはヴェロニクが同室になっても寮規則上は問題は無い。
ヴェロニクの魂胆は見えている。手狭な四人部屋の使用人寮を出て平民寮の四人部屋をオズマのメイドという名目で二人で占有したいのだろう。
オズマが部屋を移る口実も出来たのだが、結局主人であるオズマがメイドであるヴェロニクの世話をする事になりそうで気の毒ではある。
何より一介の平民の商会主が現役の次期辺境伯である令嬢をメイドとして使うなど胃痛の原因以外の何ものでも無いではないか。
オズマの力ない笑顔がすべてを物語っていた。
【3】
数日後グレンフォード大聖堂から闇の聖女ジャンヌの声明が、そしてクオーネの大聖堂から光の神子の私の声明が発表された。
減らず口と屁理屈を捏ね繰り回した様な私の声明文はほぼ無視されたようだが、ジャンヌの声明文は母であるジョアンナに対する彼女の思いと、現教皇の当時の聖女への仕打ちを覚えている者も多い事から反響が大きかった。
なにより現教皇の二枚舌は一般庶民や下級貴族の怒りを買った様でもある。
教導派聖教会は今回の贖罪符の一件で金も得たが、不満や教義に対する疑問を持つ貴族も増やす事になってしまった。
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