第78話 リコッタ伯爵

【1】

 リコッタ伯爵は激怒していた。必ず、かの邪智暴虐の組合を除かなければならぬと決意した。リコッタ伯爵には株式組合がわからぬ。リコッタ伯爵は、上流の貴族である。贅を尽くし、女と遊んで暮して来た。けれども金儲けに対しては、人一倍に強欲であった。


 レッジャーノ伯爵が紡績工場で収益を上げている事は承知していた。ロマーノ子爵領やクルクワ男爵領からも紡績を請け負っている事も、そしてその儲けの一部はクルクワ男爵やロマーノ子爵の手にも渡っている事を掴んでいた。


 それならば同じ工場を立てれば良いと考えていた矢先に、紡績組合の話が持ち上がったのだ。パルミジャーノ州全体で亜麻を集積して紡績するというのだ。

 これを独占できれば強大な儲けにつながる。

 それを愚かにも皆で組合化して利益を分割するなどと言い出したのだから呆れてしまう。


 それならば全てを牛耳ってやろうとレッジャーノ家に乗り込んでみればこの始末である。

 株式比率に応じた配当金の支払いと言っておいて、ほぼ仲良く株式を均等に割る間抜けどもに呆れ果てた。


 ならばと百株の投資を持ちかけてやったのに残り十四株だと訳のわからない事を言い出し、工場の場所もリコッタ領にと提案すれば場所は決定しているだとぬかす。


 百株の投資をするから工場の建設をと言えば、"経営に口を挟むな、方針は決定している"と言い、投資者なのに方針の可否しかできない。


 結局、議事が滞ると言われて株も買えず組合に参加することすら出来なかった。

 クルクワの裏切り者を道連れに出来たことだけは溜飲が下がったが、ウルダの弟が裏切ったのは腹立たしい。

 このままでは、腹の虫がおさまらない。


 こうなればリコッタ領にも紡績工場を建てて対抗せねばなるまい。

 土地は召し上げれば良い。建物は領民をかり出して働かせればなんとかなるだろう。

 問題は紡績機だ。


 購入にはかなりの資金がかかる。パルミジャーノ紡績株式組合もその資金の多くを紡績機に割いていた。

 あの紡績機は、一台で十六人分の糸を紡げると言う。リコッタ領の全ての糸を四台で紡げる事になる。

 ウルダ家とクルクワ家の領地の阿麻もすべて運ばせよう。

 そうなると後四台、全部で八台の紡績機がいる。


 あの資料には、一台で幾ら掛かるとと書いてあったか?

「タイラー! タイラー! さっさと来んか!」

 大声で執事を呼びつける。

「タイラー! リコッタ家でも紡績工場を立ち上げるぞ。我が家とウルダ、クルクワを合わせると利益が出る。パルミジャーノ紡績組合だけにうまい汁を吸わせてたまるか」

「しかしウルダ家はもとより、クルクワ家が言う事を聞くでしょうか。それに工場を立ち上げるにしても資金も機械も御座いません」


「ウルダ子爵はわしが脅せば反抗できんよ。小心者だからな。クルクワ家は来年には我が家と婚姻を結ぶ。縁戚関係になる我が家に盾突けるものか」

「そうでしょうか、クルクワ男爵家は代々近衛佐官を務めた軍人の家系でございます。弟君のペコリーノ様が太刀打ちできるでしょうか? しかも、奥方になられるマルゲリータ様やその母君のマーガレット様は男爵様に輪をかけた気丈なお方ですし」

「借金のことも有る。それならば婚姻を取りやめて借金の返済を迫るだけだ」


「それだけでは御座いません。今工場に投資するような余剰な資金など御座いません。あの折に伯爵様は百株の投資などと言われましたが、我が家の財政では金貨百枚もの拠出は無理でございます」

「わしには大きな後ろ盾が有るのじゃ。今回の件でも金貨百枚の投資を約束してくれたのじゃからな。それに我が家の資金を加えれば大きな事業が出来る。今ある資金はいくらなのだ」

「ございません。負債も御座いませんが新たに投資できる資金も御座いません。無理でございます」

「…それならばクルクワ男爵家の貸付金を回収させよ」

「それも無茶でございます。ペコリーノ様との婚姻を持って負債を解消する事は決定事項です。婿入りの持参金を負債と相殺する事で王都の聖教会で近衛騎士団長ストロガノフ卿を証人に盟約済み」


「そうだ、それならばわしらも株式組合を作り出資を募ればよい。そうだ、そうしよう」

「それはノウハウがございません。それにあの株式組合の諸規定は王都の商法審査局に提案されて新たに新法として制定されております。その上ハウザー王国でも同様の法が上程され財務・法務局で審議されておるとか」

「法制化されたのか?」

「はい、あの場にハウザー・ラスカル両国の法に通じた者が居たそうで草案をまとめる段階から既に商法としての上程を視野に入れていたとか」

「あの場で経営陣と一緒に居ったのは獣の娘と下働きの子供だけではないか」

「もしや、あの司会の女では? 会議の仕切りもあの女でしたし、資料の回収を命じたのもあの女でしたぞ」


「くそう! きっとそうに違いない。女だと思ってぬかったわ! えーい! あの日、配られた資料で持ち帰れた資料はないのか」

「資料はほぼ全て回収されてしまいました。手元にあるのは案内状と発起提案書と組合設立趣意書だけです」

「あの日いた者全員を集めろ。あの書類の内容や話を覚えている限り書き出せ。さっさとせんか!」

「旦那様、いったい何を」

「わからんか! リコッタ株式組合を立ち上げて資金を集めるのだ。確か利益の配当を約束する代わりに投資金の返済を行う義務は無いとか申しておったではないか」


「それはそうですが、出資者を集めねば目途が立ちません。組合の設立方法も分りません」

「商法審査局で認可されたのであろう。新法ならば発布に際して資料も出いよう。王都に使いをやってさっさと集めてまいれ。商務管理省の名を使えば興味を持つ者も出るであろうが」

「しかし工場や機材はどこから調達するのです。それの目途が立たねば話は進められませぬ」

「使えん奴め! 何かわからんのか? レッジャーノ家の取引先とか」


「御前さま、それならばあの席で残りの九株を買い取ったライトスミス商会がそうでは御座いませんか?」

「そう言えばそんな者が居ったのう。最後に残りのカブの買取り発言をしただけであったが」


「たしか、議事説明の折に紡績機をライトスミス商会から購入するとか申しておったように記憶しております。紡績機の販売元がライトスミス商会なのではないでしょうか」

「たしか発言をしたのは小娘ではなかったか? 隣に獣の男が一人ついておったようじゃが」

「多分、娘のボディーガードか何かなのでしょう。子供相手なら御し易いのではありませんか?」


「よし、そのライトスミス商会と渡りをつけられるように致せ。設立の会議に小娘を代理に送るような商会なら、レッジャーノ家との係わりも薄かろう」

「はっ、早急に調査をさせます」

「紡績機の購入の目途が立てば株式組合を立ち上げて資金の調達を図るぞ!」


「覚えておれ。パルミジャーノ紡績株式組合! このわしが叩き潰してやるからな」

 リコッタ伯爵は暗い情念を烈火のごとく燃え上がらせた。

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