第79話 火打石
【1】
モン・ドール侯爵領を皮切りに北部ペルラン州の至る所で都市市民の開放要求書が出始めた。
前回の農村開放要求書は印刷物と手書き札だったが、今回はすべて手書きの張り紙だという。
入手した内容も前回の農村開放要求書をベースにしているとは言うものの、聖教会に対する主張は先鋭化しており、その主張に隠してあからさまな領主貴族への政策批判が織り込まれている。
表面的にはマイルドに語られているが、その実内容は前回よりもえげつない。書いた者の性格の悪さがにじみだしている。
どちらも学があるものが書いたのだろうがその文脈や表現はまるで別人だと思われる。
何より今回はすべて手書きで、またその字も拙く書写した者と原文を作った者が別人であることは明らかである。
もともと全容が掴めない組織であったが、今回の活動が同じ組織なのか便乗した組織なのかも把握できない。
ただ活動自体は先鋭化しており、モン・ドール侯爵領では州庁舎前で揉め事を起こしたとして首謀者の男が打ち首になり、教導派大聖堂前の広場に晒し首になったと聞く。
この事で多くの清貧派の信徒が興奮しており、王都に隣接する州の事でもあり王都内はまた騒然とし始めた。
死刑囚が出たと言う事でジャンヌはかなり狼狽している。
王立学校の清貧派支持者たちはかなり激怒しており、私も心情を述べただけで有無を言わせず斬首した教導派の行為は許し難い。
ただこんな暴走を引き起こした者たちにも慎重な対応を求めたいのだが、実態を掴めない相手に対してその術が無いのだ。
ただ清貧派としても寝耳に水の事件であったが放っておくこともできず、クーオネ大聖堂のパーセル枢機卿の名で断罪の非道について非難の声明を出し、王都大聖堂との非難の応酬がしばらく続いている。
「モン・ドール侯爵領で処刑された男はぁ、素性もよくわからない男でぇ、教導騎士団の罪状書きは州庁舎前であの要求書を読み上げた罪で斬首されたとだけ書かれていたそうですぅ」
ナデテに調べてもらったが教皇派閥のお膝元でも有り情報が掴みにくい。
州都ジュラの庁舎前の広場では州都騎士団と教導騎士団が一種触発の状態で揉めていたそうだがその詳細も伝わってきていない。
緘口令が敷かれているようなのだが騎士団同士での対立があったことだけは判る。
声明を握りつぶされなかったと言う事は少なくとも州都騎士団は声明文を読むことを認めたのだろう。
そして当事者を教導騎士団が捕縛して斬首したというところだろうか。
関係した組織の実態もつかめていない現状では全ては藪の中である。
火種の詰まった北部諸領で私たちの手を離れて誰かが火打石を打って回っているのだ。
もういつどこで火種がつくわからないのだ。いやもう火種が落ちているかもしれない。
【2】
モン・ドール侯爵のお膝元で州都騎士団の造反が起こったと聞いた。
州庁舎前の広場で聖教会批判の要求書を読み上げた貧民の捕縛に赴いた教導騎士団を州都騎士団が強制排除したというのだ。
犯人の男はろくに取り調べもなく州都騎士団に斬首されて教導騎士団に首だけ渡されたそうだ。
やったのはエポワス伯爵が近衛副団長だった頃の彼の副官だ。
ケルペス・モン・ドール元近衛中隊長の事件のとばっちりで近衛騎士団を追われたのだからモン・ドール侯爵家には恨みしかもっていないだろう。
この事件はその意趣返しなのだろうが、犯行組織の一員をとらえながら何の情報も得られなかったのは残念だ。
北部中央や北東部の州都でもそれに呼応して張り紙や高札が出始めている。
ジュラで発生したのだからすぐにペスカトーレ侯爵家の影響力の強いダッレーヴォ州に飛び火するかと思ったが、今のところその兆しはない。
少し前に捕縛してアジアーゴで泳がしていた脱走農民も結局自分たちの命と引き換えに港湾労働者を逃がして死んでいった。
首謀者は獣人属の若い男だったと言う事に以外これといった収穫もなかった。
おかげで決定的な手掛かりは得られていない。
アントワネット・シェブリ領主代行は少し揺さぶりをかけてみることにした。
どこかで火を起こしてみると良いのだ。そうすれば羽虫共が集まって来るかも知れない。
それならばどこに火をつけるかだ。
さすがに膝元のダッレーヴォ州は不味い。燃え広がっては収拾がつかないし、せっかく作りつつあるアントワネットとジョバンニの評判も落ちてしまう。
ならば近隣州だろう。
オーブラック州は海軍砦を抱えているので下手を打つとアジアーゴに火の粉がかかる。
ならばアルハズ州がかなり疲弊していて手ごろに不満が高まっている。アントワネットが色々と喜捨をしている実績もある。
今のところ王立学校やジョン王子の喜捨のお陰でどうにか生きながられているが、どの村も崖っぷちでほんの一押しで奈落に落ちる。
以前喜捨を施してやった村あたりに領主から圧力を駆けさせよう。
アントワネットの喜捨を他の村とは別に貰っているのだから税額を上げても払えるはずだとでも言わせて領兵でも送って制圧させれば村民を助ける為に集まって来るかも知れない。
ならば出来るだけ早急に王都のジャンヌやヨアンナの耳に入る前に、何よりセイラ・カンボゾーラが動く前に片を付けなければ厄介な事になる。
【3】
領主のモン・ドール侯爵が弟のリューク・モン・ドール教導騎士団長を伴なって州都騎士団の執務室にやって来た。
苦情を言うために急遽王都より駆けつけてきたのだ。
そもそも一族揃って領地運営をほったらかして王都で贅沢三昧の日々を送っているのだからこんな目に合うのだ。
「貴様、高々伯爵の分際でよくも我が州都の教導騎士団に歯向かった物だな」
「だからどうされた? 領主殿は侯爵であろうが教導騎士団は正規軍でも無いただの私兵ではないか。それが正規軍たる州都騎士団に歯向かうとは、それこそ片腹痛いわ」
「黙れ! 州都騎士団の団員は殆んどが我らペルラン州の住民なるぞ」
「それと州都騎士団の立ち位置と何の関係がある? 反乱を企てたかもしれぬ教導騎士団が重武装で州庁舎に来襲したのだ。郷土愛に燃える州都騎士がこれを黙って見過ごすほど愚かでは無かったという事だ。結構な事ではないか」
「貴様、我らモン・ドール侯爵家への意趣返しのつもりか。舐めておると泣き面を晒す事になるぞ」
「まあ期待しておきましょう。訓練もままならぬ張り子の騎士団とどちらが優秀か」
モン・ドール兄弟は憤然として席を立った。
当然マルヌ州都騎士団長が折れすはずも無くかと言って国が選任した武官を勝手に更迭する事も持ちろん捕縛する事も出来ないからだ。
「フン、帰りおったか。気概の無い事だ。あの貧民のガキの方がずっと腹が座っておったな」
「ええ、仲間の為に一切要らぬ口を聞かなかったですからな」
「まあ処刑の罪は教導騎士団に背負って貰って、彼奴等の仲間には手広く動いて貰おう」
「次のねらい目はどこでしょう? やはりシェブリ伯領のロワールかペスカトーレ候領のアジアーゴでしょうかな」
「ロワールはクオーネに近い上に隣におるのはあのセイラ・カンボゾーラではないか。おまけに領主はあの男だ。下手に動けばすぐに潰されるうえにセイラ・カンボゾーラに尻尾を掴まれて絡め取られるぞ」
「ならアジアーゴは?」
「北海は海軍がどう動くかを見てしばらくは任せておけ。何よりあそこは火がつけば戦乱に発展する恐れがある」
「それならば一体どこを」
「アルハズ州かな。エポワス伯爵の治めるヨンヌ州とも近いし、程よく腐っておる。ダッレーヴォ州あたりから腐臭につられて蠅がたかって来ておるようだしな」
そう言ってマルヌ王都騎士団長はニヤリと笑った。
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