第125話 サン・ピエール侯爵邸

【1】

 馬車はエドを乗せてサン・ピエール侯爵邸の離れに有るポワトー女伯爵カウンテス邸に向かっている。

「エドさん、カロリーヌ様の顔を潰す様な事をしたら容赦しませんよ…ボコ!」

 ミシェルが馬車の扉にパンチを入れる。

「私たちは甘くありませんからね。兄さんみたいなバカと同じだと思わない事ですよ…ドガ!」

 ルイーズが馬車の反対側の座席を蹴る。

「は…はい…」

 その席でエドが小さくなっている。


「あの…ミシェルもルイーズも落ち着いて。わざわざライトスミス商会から来ていただいたんですし」

「いえ、女伯爵カウンテス様、この人は甘やかしてはダメなんです。初めにビシッと言っておかないと」

「そうですよ。セイラお嬢様やアドルフィーネお姉さまたちとは付き合いが長いので舐めてるんですよ」

「でっでも、一応あなたたちの上司だった方ですよね」

「今は女伯爵カウンテス様に仕える身です」

「それに、この人が上司らしい事など何一つしたことは有りません」


 事実エドはライトスミス商会で仕事をしているところを見た者はいない。いつもセイラカフェか事務所の応接室に陣取ってグダッていた。

 そうしてカフェの客やライトスミス商会の取引相手とグダグダと話をしているだけなのだ。

 商会主のセイラをはじめグリンダもその下のアドルフィーネやリオニーたち古参の店員も、エドに苦言を呈さないことに二人は引っ掛かりを持っていた。


 それとなくセイラに苦言を呈したことも有ったが、やるべき事をちゃんと出来てるならそのやり方には拘らないとやんわりと諭された。

 事実、エドは何もしないのに仕事は滞り無く進んでいる。

 それならばエドがもっと働けばもっと仕事が進むのにとルイーズは思う。

 ミシェルは四日に一日の休みも八時間の就業時間も温いと言う。セイラカフェで働けるなら休みなんていらないという見習いメイドは沢山居るのだから。


 ミシェルもルイーズもカロリーヌのメイドに就いて一月以上立つ、僅かの間にカロリーヌはもとよりハンスやサン・ピエール侯爵家の人々の信頼も得ている。

 これを契機にエドの先輩としてビシビシこき使ってやろうと目論んでいる。


【2】

「お祖父様、お祖母様。こちらはエドウィン・エドガー・シュナイダー様です。あのエマ・シュナイダー様の弟君で、シュナイダー商店の跡取りでいらっしゃいます」

 カロリーヌがエドを紹介する。

「エドです」

 ボンヤリした顔でエドが頭を下げるすぐ後ろで、ミシェルがその太ももをコッソリとひねる。


「あいっ…エド・シュナイダーと申します。セイラ・ライトスミス商会主の名代でこちらの仕事を任されました」

「侯爵様。こう見えて彼はクオーネの商会支店の代表責任者で、アヴァロン商事の業務も管轄しておりました」

 ルイーズが一歩前に出て、かかとでエドの足を踏みながら補足説明を行う。


「ほう、お若いのに大したものだ」

 サン・ピエール侯爵がエドの顔を覗き込みながら、懐疑的な笑みを浮かべる。

 ミシェルとルイーズはその顔を見ながら、見透かされているなあと嘆息する。

「お祖父様、エド様は私と同じAクラスの同級生ですの。その上クラス分けの試験で音楽以外の全科目で満点を取って、講義出席免除の権利を学校から貰ってクオーネの仕事に従事されていたと伺っています。何より満点で出席免除は間違い有りませんわ」

 カロリーヌの必死の援護とAクラスで出席免除の事実で侯爵も納得したようだ。宜しく頼むと言い残して散会となった。


 カロリーヌはサン・ピエール侯爵のこの後のお茶の誘いを断って席を立った。この後南部から来る護衛パーティーを迎えねばならなかったからだ。

 エドと侯爵夫妻を残してルイーズとミシェルはカロリーヌについて邸内の聖教会に向かった。

 サン・ピエール侯爵家の礼拝堂的な役割だった聖教会は、老齢のでっぷりと肥えた教導派の聖導師と四人の修道女が着任していたが、女伯爵カウンテス就任式の翌日には愛人の修道女と二人で王都聖教会に引き上げてしまった。

 その後で聖教会から器物や装飾品が多数無くなっているのが判明した。


 聖導師に小間使い代わりに使われていた残された修道女三人は、行き場を無くして取り敢えずサン・ピエール侯爵邸に残っているが、今後の立場を決められかねずにいた。

 もともと孤児だったり貧乏商家の四女や五女と言う出自では、王都の聖教会に行っても受け入れて貰えるかも怪しいのだ。

 かと言って着任する清貧派の聖導師が三人を受け入れてくれるかも不明だ。

 不安に押しつぶされそうになりながら三人は今日を迎えた。


「皆さん、この度赴任される聖導師様と聖堂騎士様は南部の聖女ジャンヌ様の側近で警護を成されていた方たちです。失礼の無いようにお願い致します」

 カロリーヌにそう告げられて余計に不安が募る。

「ご安心なさい。ジャンヌ様はとても慈悲深いお方です。きっとあなた達の悪いようになさらないでしょう」


「そうですよ。今度来るお三人は、私たちも良く知っているのですが良い方たちですよ。ちょっとアレなところは有りますけど…」

「そっ…そうですよ。ちょっとアレですけど実力のある冒険者で、三人パーティーで、最近二級冒険者に昇格したそうですよ」

「…冒険者!? 聖職者の方ですよね」

「ええ、三人で冒険者をやっておられて…」

「武闘派と言うか…聖女様をお守りする役目なので」

「ぶっ武闘派!」

「いえ…両親や義父が先代聖女様の護衛で、ジャンヌ様を守って討ち死になさった関係で…」

「討ち死に! きっと教導派に恨みを持っておられるのだわ」

「教導派の聖導師に仕えていたからご寛恕いただけないのでは無いかしら」

 ルイーズとミシェルのフォローは、修道女たちの不安をさらにあおる事になってしまった。


 悲嘆して怯える修道女たちを尻目に、表門から騎馬が入ってくる音が聞こえる。

「こちらで下馬をお願い致す。よくぞ参られた。聖教会へご案内いたします」

 カロリーヌ付きの陪臣ハンスの声に返事を返す生真面目そうな挨拶の声が聞こえる。

 その横で誰かのバカ笑いとそれを窘め叱る声もする。


 …ああ、バカが来た。

 ルイーズは溜息をついた。

 しばらくして、ハンスに連れられた三人の人影が邸宅の庭を横切って来るのが見えた。

 カロリーヌを筆頭にメイド二人と三人の修道女が聖教会の表に並んで出迎えに立つ。


「遠路ようこそいらっしゃいました。今は仮住まいですがポワトー伯爵家の主、カロリーヌ・ポワトーと申します」

「ようー、ルイーズ。久しぶりだなあ」

「ゴッン このバカ。女伯爵カウンテス様がご挨拶なさってるんだぞ。とっとと頭をさげろ」


「ポワトー女伯爵カウンテス様、わざわざの出迎え恐縮致します。聖導師を拝命いたしましたピエールと申します。後ろに控えておりますのが聖堂騎士ポールと…その後ろがジャックと申します。お見知りおき下さい」

 ピエールとポールが胸に手を当てて臣下の礼を取る。それを見て慌ててジャックが二人を真似て頭を下げる。


「修道女の皆様方も急な事で困惑しておられると思いますが、経験も浅い若輩の身。これからのご協力をよろしくお願い致します」

「「「ツッ」」」

 そう言って笑顔を見せるピエールを見て、修道女たちの眼が釘付けになる。


「聖導師様、御着任頂き有難う御座います」

「なんなりとお申し付けください」

「聖導師様の為にこの身をお役立てくださいませ」

 ピエールの顔を見るなり修道女たちの眼が♡になり、今までの態度が嘘のように笑顔になった。

 後ろでポールが肩をすくめてミシェルとルイーズに笑顔を向ける。


女伯爵カウンテス様、聖堂騎士を務めるポールと申します。弟君の護衛と女伯爵カウンテス様の護衛を交代で務めてまいります。聖教会教室が始まれば講師も務めさせていただきます」

「エーッと、ジャックって言います。こいつ…痛って。ルイーズの従兄です」

 タメ口を発しかけてルイーズに踏まれながらジャックも挨拶をする。


「皆様、これからよろしくお願い致します」

 カロリーヌが挨拶を返すと、直ぐにルイーズが迷惑そうな顔でジャックたちを促して聖教会の中に連れて入った。

「もうこれ以上女伯爵カウンテス様を煩わせないでよね。お屋敷と仕事の説明をするからさっさと付いて来てちょうだい」


 そう愚痴りながらもルイーズもミシェルも何やら嬉しそうに見える。

 カロリーヌはこの人たちの主人と言うよりも仲間に成れるのならそれはそれで悪くないなあとと思いながらその姿を見ている。

 カロリーヌはルイーズに連れられて聖教会にに入って行く護衛の三人と修道女たちの後姿を見送りながら、何かうまく行きそうな予感がして頬が緩んで行く。

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