第104話 国王陛下の選択
【1】
時は春休み明けの頃に遡る。
農民たちの混乱をよそに王家の、国王陛下周辺は別な意味で慌ただしかった。
第一王子リチャード殿下の後ろ盾である王太后が危ないのだ。
一年前の王太后監禁事件からしばらくは体調も好転し一部ではあるが機能の回復の兆しも有ったのだ。
それが王太后の離宮に戻ってから、秋以降急激に病状が悪化している。
そして夏を迎え始めた今、その眼は殆んど光を失っており動く事もままならない。
記憶もあやふやで、口から出る言葉は罵りと罵声ばかりなのだ。
このままリチャード王子の婚約者も定まらぬ状態で王太后が身罷られればリチャードの王太子擁立の芽がますます無くなる。
王太后は他国の血が王室に混じる事を忌み嫌っており、かねてから自分と同じペスカトーレ侯爵家の血筋を母に持つ姪の寵妃のマリエッタ・モンドール夫人を可愛がっていた。
その息子のリチャードに王位を継がせるために画策し、本来すんなりと擁立されるべきジョン王子の指名がなされていないのだ。
「これで母上が崩御なされればなし崩し的にジョンへこの王冠が行く事になるぞ」
「でも如何なさるのです。王宮治癒術士団ももう持たぬと申しているのですよ。伯母上様…お気の毒に」
「お気の毒以前にリチャードが即位できぬかもしれんのだぞ」
「ならどうしろと言うのですか」
「そもそも王宮治癒術士団などの言う事が信用できると言うのか! この一年あのバカどもがどれだけ治癒治療を施せた? 王妃離宮や王都の診療所で簡単に直しておるケガや病をどれだけ癒せたというのだ!」
「それでは…まさか?」
「それしかないであろう。忌々しいがあ奴が起こしたという奇跡は多くの者がその眼で見ておるのだ。母上の容態が好転したのがその後なら、悪化し始めたのもあ奴が手を引いて領地に戻ってからだ」
「しかしあの光の神子がいう事を聞くでしょうか? カンボゾーラ子爵家はゴルゴンゾーラ公爵家の分家。私どもに組する事は考え難く御座います」
「それよ。それこそが頭が痛い問題だ」
「それならば伯母上がご存命の間にリチャードにも婚約者を」
「しかし候補がおらぬ。ロックフォール侯爵家との話は破綻した。モン・ドール侯爵家の其方の姪はこの前に婚約してしまっておる。カブレラス公爵家は中立を貫くと言っておるが、令嬢がリチャードを避けておる様だ。これ以外で目ぼしい娘はおらんぞ」
「それではポワトー
「バカ者! リチャードを養子にするつもりか!」
「ならば…、ああそうですわ。ハウザー王都から文が来ておりまして、留学に送り出したエレノアを第一王子の妃に欲しいと。戯れ言だと思い握り潰しておりましたがエヴェレット王女と引き換えに認めては如何でしょうか」
「バカな。相手はケダモノの…白い結婚ならばそれも有りかもしれぬな。王太子に擁立できた時点で破棄しても問題は無かろうし。使い道も無い四女と思っておったがエレノアも使い道があったようだな。その条件でハスラー王国に文を送れ。早急にな」
「ええ、留学生の帰国前。いえ、夏至祭までに発表が出来ますよう手を打ちましょう」
【2】
「ラスカル国王の承諾は取れたようだ。ただ交換条件があるようでこれを我らの国王陛下が承諾するかどうかだな」
プラットヴァレー公爵はラスカル王都からもたらされた文を見ながらそう言った。
「何か差し支える事がおありなのでしょうか?」
「うむ、いや大きな障害ではない。あちらの第一王子とエヴェレット王女殿下の婚約を条件に認めると言って来た。要するにお互い人質としての王女の交換を申し出てきたという事だ。よくある事だが国王陛下は殊の外あの双子を可愛がっておられる。少々説得に骨が折れるという事だ」
テンプルトン総主教はしたり顔で微笑むと言った。
「それならば案ずることも御座いますまい。お互いに国境沿いの安寧を約束できる上、名目上は王妃としてある程度の相手国への影響力も持てる。なに、我らも第三王子派もあの厄介な娘が片付くならば諸手を挙げて賛成に回ります。貴族連中の合意は確実でしょう。北部派閥も国境の安全が購えるなら嫌とは言えませんぞ」
「取り敢えずはジョージ第一王子にご一報を入れて国王陛下へのお目通りを準備して貰おう。出来るだけ邪魔が入らぬ様に水面下で慎重にな。特にサンペドロ辺境伯ども北部派閥に知れると先手を打たれるやもしれん。とくに留学生や其方の姪たちには絶対に洩らすなよ」
「心得ております。それは派閥の貴族たちの足元を固めて参りましょう」
【3】
「王女様! テレーズ先生! 大変っす! 大変な事になったっす!」
「もうシモネッタたら、慌てて何が有ったのです? 落ち着いて説明なさい」
「もうエレノア王女様! そんなに落ち着いている様な事じゃないっすよ。国王陛下がエレノア王女様の婚約を承諾されたっす」
「いったい? 国王陛下って」
「ラスカル国王陛下っす! 条件付きだそうっすからまだ本格的に決定じゃないっすけど」
「何てこと。それは事実なのですか?」
シモネッタの代わりにメイドのウルスラが話を続けた。
「何処迄確実な話かは分かりませんが、ラスカル王都に留学されているエヴェレット王女殿下とリチャード第一王子の婚約と引き換えに認められた様です」
「そんな事私には何の連絡も有りませんでしたよ。いったいどこからそんな事が」
「そうなんす。今日ウルスラとパンケーキどら焼きを作りに…」
「ウルスラ、後の説明を搔い摘んでお願い」
「はい、実はかねてよりジョージ王子殿下にお納めするパンケーキの新しお菓子の相談に赴いた折り王子殿下より直にお話を伺ったのです。ああ…どら焼きと言うのは王子殿下が戦で鳴らす銅鑼に似ていると言ってお付けになりまして…」
「あの王子様、聞いてもいない事までペラペラと良く喋ってくれたっすよ」
「要するにジョージ王子が口を滑らせたと言う事ですね。エレノア様、ラスカル王室からは直接連絡は来ておりませんよ。これは私たちの頭越しに勝手に進められているようですね」
「そんな! 私の婚礼の話なのに私に一切相談も無く…。それならばハウザー王国の方が少しは誠実では有りませんか」
「エヴェレット王女殿下の婚約に関しては直ぐには決定できないでしょう。多分この話はハウザー国王陛下にも知らされていないと思います。ラスカル王宮でも獣人属の王女を正妃に向かえるとなると教皇庁が納得しないでしょう。だからしばらくは時間が有ります。サンペドロ辺境伯様に連絡を入れてご助力を仰ぐことは出来ないでしょうか」
「テレーズ様、それならば私共セイラカフェのネットワークを使って急いでコンタクトを取ってみます。サンペドロ辺境伯様も姪に当たられるエヴェレット王女殿下の事ですので無碍な扱いはなさらないでしょう」
「お願いします、シャルロット」
「しかしジョージ王子はかなり迂闊な男のようだな。危機感が無いのか状況を呑み込めていないのか」
「多分私が子供で平民出なので舐めているっす。うまく誘導すればかなりペラペラと喋ってくれそうっす」
「ならしばらくはそのパンケーキどら焼き? のレシピ作成でジョージ王子の懐に切り込んでくら無いか。ウルスラは必ず側につけて他の関係者に悟らせぬように気を配って欲しい」
ケインはシモネッタに情報収集を依頼する。
危険なのは分かっているがそれしか情報を集める伝手が無い。
頭も言葉も巧みで世間慣れしているシモネッタだがそれでもまだまだ子供だ。ウルスラもセイラカフェメイドだけあってしっかりしているが成人を迎えたばかりの娘である。
心苦しくてもケインは二人に情報収集を託すほか無かった。
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