三年 中期

閑話10 福音派聖教会(1)

 ★彡

 ハウザー王都の聖教会にはこのところ不快な情報が次々と入ってくる。

 昨年の秋には王家とラスカル王国の王家との間で交換留学の話が持ち上がった。

 宗派的な対立もありラスカル王家とハウザー王家は互いに仮想敵国としての相互認識がある。


 しかし現状では同じく北東部で国境を接するハスラー聖公国がラスカル王妃の出身国である事から、有事になるとハウザー王国は非常に不利な状況に追い込まれる。

 ただ王妃の影響力の拡大を快く思っていないラスカル国王とハウザー王家の利害が一致した事で、国境辺の清貧派勢力を仲介役に交換留学の話が具体化したのだ。

 ハスラー聖公国との有事にあたって協力体制を取る為の人質の交換である。


 ハウザー王国からはエヴァン王子とエヴェレット王女がラスカル王立学校に向かった。

 そしてラスカル王国からはまだ十二歳の第四王女が送られてきたのである。


 ハウザー王国に女性が学ぶ様な所は騎士団の養成所くらいしかない。まして十二歳の少女たちが学ぶような機関は修道会の神学校しかないのである。

 王家からは聖教会の頭越しに修道会の神学校に受け入れの命令が入った。

 ラスカル王国は教導派の国である。そしてその王家は特にハッスル神聖国の影響の強い王室だ。

 総主教が激怒して教導派は受け入れられぬと意見したが、決定事項として押し切られた。


 さすがにラスカル王国側は少しは考慮が有るようで清貧派の教徒として四人の留学生を送り出し、その随員も全て清貧派教徒と獣人属のメイドたちであった。

 しかし安堵したのも束の間、そのメンバーの概要は王女に付き従う同級生は教導派枢機卿と大司祭の娘たちであった。

 特にその一人はハッスル神聖国教皇ペスカトーレ・クラウディウス一世の孫娘だったのだ。


 それでも教導派の看板を掲げて神学校内で揉め事をおこすよりはまだましだと聖教会は考えて、修道会の神学校に受け入れさせた。

 留学生たちも諍いをおこす事も無く神学生の中に溶け込んでくれた。


 いや思った以上に入り込まれてしまったのだ。

 随員の中に居た治癒術師の聖導女が治癒技術指導の教室を開いたのだ。

 それがあっという間に一年の神学生が全員参加する授業にまで人気を得てしまった。


 それだけでは無い。今年から神学校に通い始めた総主教の孫娘があろう事か、公爵家の娘と一緒になって清貧派に与する等ど世迷い事を言い出したのだ。

 一時の戯言ではあるとはいえ腹立たしい言動である事には違いが無い。


 そして極めつけはその神学生が治癒治療の実習に行っている先で愚かな伯爵が馬車の事故を起こしその怪我の治療で修道会の司祭と揉め事をおこしたのだ。

 さすがにこの事件は聖教会でも問題になった。

 伯爵の怪我はかすり傷だったので骨折していた御者の治療が優先されたのはともかく、最優先で治療したのが農奴の母子だったことだ。


 種族・身分の平等を謳う福音派にとって農奴の扱いは最大のタブーである。農奴制を認める為に福音派は農奴を人として認めていないのだから。

 更に悪い事にその治癒にあたったのはラスカル王国の清貧派聖導女と教皇の孫娘であった。

 詰め掛けていた庶民どもがその時の光景を面白おかしく喧伝した為に清貧派のラスカル人が聖人の様に祭り上げられてしまったのだ。


 平等主義の鑑だともてはやされた患者は福音派が人として認めていない農奴である。

 美談として聖教会と修道会神学生たちの株は上がり賛辞を受けてはいるが、一つ間違えば福音派の教義に対する批判にもなり兼ねなかった事件である。


 一つ一つは取るに足らない些細な問題であったが、これが積み重なると大きな災いが来そうに思えてならない。

 そんな折又修道会神学校から不穏な知らせが入って来たのだ。


 ★★彡

 馬車の事故に巻き込まれて死んだ農奴の女は修道会が葬った事は聞いていた。その遺児をラスカル王国の留学生が買い取った事も聞いている。


 ただその遺児の一人が洗礼を受けて更には治癒施術の教室で教育を受けていた事やその魔力が随分と大きい事が報告されてきたのだ。

 所有者のそれも他国の高位貴族令嬢の所有物であり、その使用に口を挟む権限が福音派聖教会にはないが、農奴に名を付けて洗礼を行うなど福音派の内規では忌むべき行為として忌諱されている。


 福音派としては”農奴に洗礼を施すという事は牛や馬を人として扱うが如きことである”との初代総主教の発言の通り避けるべきことが、修道会の神学校で行われたのだ。

 忌々しい事にその行為に福音派聖教会としては口出しが出来ない。出来たのは講師を通して苦言を呈する事だけだった。


 不快でも分っていてもそれに手を出せないもどかしさを感じている。

 どうにか手を打たねば神学校の秩序が乱れ始めているというのに、その方法が無いのだ。

 それというのも全てハウザー王家が留学生などと言うものをゴリ押ししてきたせいではないか。

 いつまでもあの国王たちに大きな顔をさせていられるものか! 絶対に捻り潰してくれる。


 ☆★★彡

「某貴族の代理と言うものがルクレッア様にお会いしたいと申されております。ただ素性も明かされずそれだけを申すのでお引き取り願おうと致しましたが、神学校の講師の先生からの口利きだそうで。御不快ならルクレッア様はお顔だけ見せて後は私がお帰りになるように申し上げますが」

 先程神学校の講師から呼び出されたメイドのベルナルダが心底困った様子でルクレッアのもとに訪れた。


「わかりましたわ。お会い致します。一緒に参りましょう」

「お待ちください。多分テレーズ聖導女が居ないタイミングを狙ってやって来たのでしょう。俺も同行いたしましょう。エレノア王女殿下、シャルロットをお借りいたしますよ」

 近くで聞いていたケイン聖堂騎士が剣を履くと椅子から立ち上がった。


 エレノア王女は頷いてシャルロットに目で合図を送る。

 ベルナルダを先頭にルクレッアその後ろにシャルロットとケインが並んで進んで行く。


 部屋に入るとソファーの正面には身なりの良い獣人属の壮年が後ろに召使いと思しき人属の初老の男を従えて座っていた。

 向かって右のソファーには神学校の講師を務める聖導女が座りルクレッアに椅子をすすめる。

 ルクレッアが獣人属の男性の向かいのソファーに腰を掛けると講師が話始めた。


「こちらはとある高位貴族様の代理の方でいらっしゃいます。こちらの方もご立派な爵位をお持ちで御座います。お名前や爵位を申し上げる事は出来ませんが身分は私が保証いたしますから安心なさってください」

「そう申されてもお嬢様も何とお呼びすればご無礼にならないかと困られております。せめて爵位か家名でもお教え願えないでしょうか」

 ベルナルダの言葉に壮年の貴族は微笑んで口を開いた。


「そちらのメイドの申す事はもっともだ。わたくしの事はビショップ卿とでも呼んでいただこう」

 胡散臭い。神学校に来て名乗る呼称がビショップ司教とは余りにもふざけている。ケインは早々に警戒モードに入った。


「一介の神学生であられるお嬢様がお相手する相手がビショップ卿では荷が重すぎると言うもの。何のお話か存じませんがご令嬢のお話はご寛恕をお願い致します」

「オイオイ、待たれよ。何も取って食おうという訳では御座らん。この度はルクレッア様に良いお話を持って来たのだ。ルクレッア様が所有しておられる農奴を買い取りたいと我が主が申されてな。市価の倍、いや四倍の値でも構わんとの事であるぞ」

 その言葉に不快感を隠せないルクレッアの様子を見ながら、ケインはこの代理人の裏の意図が何となく思い至った。

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