閑話23 ウィキンズと王都(10)
◇◆◇◇
その夜王立学校の騎士宿舎の窓に小石が当たる音がした。
鎧戸を開くと闇の中に小さな灯りが見えて、クルリと輪を描くと消えた。あそこに来いと言う事なのだろう。
一体いつの間に俺の部屋を調べたのだろう。それも同室の奴が部屋に居ないタイミングでの合図である。
平民や準貴族の騎士は王立学校の騎士宿舎にまとめて放り込まれる。
一年は四人部屋、二年三年からは二人部屋になる。
もちろん準貴族や金持ちの平民でも使用人など付けられない。
騎士だから当然なのだが、高位貴族の場合は取り巻きの学生が従卒代わり同室にさせられる事もある。
幸いに俺の場合は同じ中隊の同期で騎士爵の息子だったのでそんな気遣いは無かったが、爵位貴族と同室なら無理を押し付けられたり従卒替わりに顎で使われることもある。
入学前の例の事件が近衛騎士団の中ではかなり噂になっていたので、入学時に学校側や近衛騎士団の配慮も有ったのだろう。
同室のケインは気さくな良い奴なのだが夜遊び好きで、今日もどこかの酒場の女からの手紙を貰っていそいそと会いに出かけていた。
まるでそれを見越したようにケインが出かけて十分ほどでの合図だった。
ケインが良く抜け出すときに使う裏口を通って俺も表に出たところで、ナデタが待ち構えていた。
昨日こちらに着いたと聞いたが、すでに騎士寮の構造や抜け道迄把握しているのか。
「何を呆けているのですか。間抜け面に更に拍車が掛かって見るに堪えませんよ」
「久しぶりに会たと言うのにお前は可愛げが無いなぁ。少しはナデテの様に愛想良くしろよ」
「貴方に愛想を振り撒いても商会の利益にもお嬢様の利益にも成りません。それにお姉様の腹黒猫被りの真似をする自模りも御座いません」
…腹黒猫被りって、実の姉を切って捨てるこの非情さ。見た目はそっくりだが性格は真逆の双子の妹の言動にため息をついた。
「それで俺に何か話があるんだろう。でかい街のセイラカフェで店長をやっていたお前が派遣されるんだから、お嬢が何かデカイ事を企んでるんだろう」
「ええ、貴方が今後の邪魔に成らぬ様に御説明致します」
ナデタの説明と言うか命令は、俺とナデタが知り合いであることを周囲に悟らせない事と、三日に一度近衛騎士団の状況…特に第七中隊の状況と副団長とその派閥の動向を探って報告する事。
それにクロエ様とご友人の方々の周辺には目を光らせて、目の届く範囲に不用意に男を近づかせない事も約束させられた。
期日はナデタが役目を終えてクオーネに戻る一月後までと言われた。
「それで、いったい何が目的なんだ」
「大人は質問に答えたりしない」
「グリンダの指示か? お嬢が何かしてるのか?」
「その質問に答える事は容易い。だがその真偽はどうする…?」
「お前こそ質問に質問で答えるなよ!」
「三日後の報告に期待している」
あの糞メイドは言いたい事だけ言って帰って行った。
◆◆◇◇
ナデタに命じられるまま第七中隊の監視を始めてみると思わぬことがいろいろと見えてきた。
マルカム・ライオルの監視が目的かと思っていたが、どうもそれだけでは無いようだ。
マルカム・ライオルが所属する第七中隊の中隊長は現の王家に繋がるモン・ドール侯爵家の次男で、ゴリゴリの教導派貴族である。
もちろん貴族至上主義で人属至上主義者だ。第七中隊全体がそう言う考えの貴族で構成されている為、熊獣人のナデタにはその動向を探る事は難しい。
だから俺に応援を求めたのだろう。
そして近衛騎士団のエポワス副団長は、モン・ドール侯爵後ろ楯で今の地位に上りついた伯爵だ。先代王の死後の政変で成り上がった武闘派の団長とは犬猿の仲である。
なにより団長のストロガノフは子爵で副団長のエポワスは伯爵。副団長は自分より爵位の下の者つく事を由としない。
そしてその副団長を支持している第七中隊は、子爵家以上の子弟で構成された教導派の近衛騎士で思想は同じだ。
おまけにその第七中隊の新任騎士が田舎者の平民騎士に決闘を吹っ掛けた上衆人環視の中で絞め落とされて失禁迄晒してしまったのだ。
そしてその一部始終を知ったストロガノフ団長の息子イヴァン・ストロガノフが近衛騎士団中に吹聴して回ったのだ。
…溢れ出しそうになっている蜂の巣に最後の一撃を加えたのはこの俺だったのか。
今にして思えば俺もかなり無茶をやらかしていた様だ。
更にはその俺を受け入れて保護下に置いている第四中隊の中隊長は昔からライオル伯爵家と遺恨の有ったカマンベール男爵家令息の長男だ。
そもそもマルカム・ライオルが絡んでくるのは俺に対する遺恨が有るからだけだと思っていた。
クロエ様はそのトバッチリでマルカム・ライオルの火の粉を被っているのだから俺が守らなければならないとの使命感があったが、ナデタに言われてやっとそれ以外の可能性に気が付いた。
ルカ・カマンベール中隊長が俺を取り込んだのもライオル伯爵家への意趣返しの意味もあったのかもしれない。
そう考えるとクロエ様に対するマルカム・ライオルの嫌味や恫喝も別の意図が有るのかもしれない。
そう言った事をナデタに告げると”何を今更と"見下した顔で言われた。
それでもモン・ドール侯爵家とエポワス副団長の関係は初耳であったようで一応のご評価はいただけたようだ。
去り際にナデタから一言、食材から目を離さない様に命じられた。
翌々日にはルカ中隊長から俺とケインで中隊長の部屋の食材の運搬を依頼された。中隊宿舎からカミユ・カンタル子爵令嬢が借りているお茶会室の厨房に移動するのだ。
「中隊長、リストの内容と少し内訳が違うようなのですが?」
俺はナデタから渡されたリストを見ながら聞いた。
「? えっどういう事だ…」
「ベーコンが一本とマデラの瓶が一つ足りない」
ケインが俺の持つリストを覗き込みながら言った。
「…まあ、それは…あれだ。…ほら、傷んでいたんだよ」
このおっさんつまみ食いをしたな。
「クロエ様には正直に報告しておきますよ」
「なあウィキンズ。そこはクロエにお前からうまくだなあ…」
「自分は知りませんからね。クロエ様に叱られてください」
「ウィキンズ。お前に慈悲は無いのかよう」
中隊長の嘆きをよそに俺たちは荷物を背負って王立学校に向かった。
「おいウィキンズ。つけられてるぜ」
「ああ、ふたり? いや三人か」
「あの角の女も…、それから多分左のガキもだ」
「子供も?」
「あのガキはこの辺りでも手癖の悪さで評判の奴だよ。どさくさで、女と子供が荷物をかっさらって逃げる気だろう」
「なら荷物は下せないなぁ。どうする? 冒険者崩れのようだが三人やれるか」
「地の利の良い場所でやっちまおう」
俺たちは様子を窺いながら通りを歩く。
「ウィキンズ。この先の路地だ。袋小路になってるがやれるか?」
「了解した。行くぞ」
俺たちは路地の前を通ると急に背中から路地の中に滑り込んだ。
大人一人が通り抜けられるくらいの狭い路地だ。
「ヤロー、感付きやがった!」
「追うぞ!」
「へっへっへ、その路地は行きどまりだ!」
三人が走り込んで来る。
そして、一拍おいて女と子供の二人が後から駆け込んできた。
俺は路地の奥で袋小路を背にして待ち構えていた。
「おい、一人しかいないぞ! もう一人はどうした?」
「いったいどこに消えやがった?」
「かまわねえ。こいつからやっちまえ」
冒険者崩れの三人はそれぞれ獲物を構えかけたが、直ぐに地面に投げ捨てる。
杖や天秤棒は路地には不向きだからだ。そうして一斉にナイフを取り出し構えた。
「オレ達はもう一人を探してくる」
女と子供は路地から抜け出そうと踵を返し歩み去りかけた。
「そうはいかない」
路地の入口にある家屋の扉が開いてケインが剣を持って仁王立ちになる。
ケインは長剣が役に立たない路地を避けて、通り側の入り口を固める。
そして路地の入り口を塞ぐためにロングソードを抜いて立ちふさがった。
俺はファルシオンを右手に構え仁王立ちしている。
襲撃者たちはダガーを抜いているが、狭い路地内では一斉にかかれない。常に一対一の接近戦なら三人が五人になっても負けるつもりは無い。
俺は先頭の男の左胸にファルシオンの峰を叩き込んだ。アバラを何本かやったのだろう。悲鳴を上げて倒れ込んだ。
「待ってくれ! 俺たちは頼まれただけだ。危害を加えるつもりじゃねえ。荷物を奪えって命令されただけだ」
襲撃者たちは早々に降参の意思を示した。
「名前は知らねえが貴族のボンボンに一人銀貨十枚で頼まれたんだ。嘘じゃね。俺たちが絡んでその間にこいつ等が荷物を盗んでそれで終わりだったんだ」
「どうするウィキンズ。衛士に出も突きだすか?」
「行かせてやれ。衛士に突き出しても裏で手を回すだろうしこれ以上何も知らないだろう」
ケインが路地の入口から退くと五人は転がるように通りに駆け出して去っていった。
クロエ様のお茶会をそんなに邪魔したいのかマルカム・ライオル!
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