第168話 ヘレナ・ギボン司祭(1)
【1】
私たちが二番目の村を発って一刻程の進んだところで前方から騎馬の一団が現れた。田園を抜けて森に入って暫くしての事である。
白い司祭を示すシュールコーを羽織った聖職者を先頭に白のシュールコーを着た修道士服の男女が数人。
いや、そのうち三人はマントの下に着ているシュールコーが、白地に赤い大の字の様な聖教会の聖印を染め抜いたの中心に青い鷺が羽を広げている。
教導騎士だ。
あのシュールコーの下に鎧を着ているのだ。
拙いなあ。ジャンの護送の為の先触れか?
私たちは道の端に避けてその一団をやり過ごす事にした。私たち五人は道の端に避けて頭を下げて一段の通過を待った。
騎馬の一団は私たちの前をゆっくりと通過して行く。そしてその途中で馬の蹄の音が止まる。
「其の方ら商人か? どこから参った」
応えようとする私を制してルーシーさんが頭を上げる。
「はい、フラミンゴ伯爵領から参りました。最近ライオル伯爵領より香辛料や酒やコーヒーなど珍しい品が入手できると聞きまかり越した次第で御座います」
「それならば残念であったな。ライオル伯爵領の関所は封鎖されておる。とく帰られよ」
「やはり閉まっておるのですか。遠くよりやってきました。手ぶらで帰るくらいなら関所の村でしばらく待ちたいのですが」
「それは難しいなあ。当分関所は開かん。ライオル伯爵領は麻疹が蔓延っておるからな。カマンベール男爵領にも蔓延するようになれば関所も開いてやろう。…なあルーシー・カマンベールよ」
そう言うとフードを取り顔を晒し邪悪な笑みを浮かべた。短く刈った銀髪に紫の瞳が怪しく光る。
私が顔を上げるより早く、騎士団長が私たちを押しのけて前に躍り出た。
「やはりそうか。まさかとは思うたがこれは僥倖。良いエサが手に入るとはな…捕らえよ!」
教導騎士が馬から降りるとマントを翻し団長に迫る。他の修道士たちが私たちを騎馬でぐるりと囲んだ。
「儂らは北西部聖教会教区長クオーネ大聖堂筆頭大司祭シシーリア・パーセル様より遣わされし者。其方に拘束される謂れはない!」
「其方らはともかくルーシー・カマンベールは大聖堂より遣わされたわけではあるまい。我は個人的にルーシー・カマンベールに用が有る。賓客として迎えてやろう。ライオル伯爵領の牢にな」
落ち着き払った態度でヘレナ・ギボンは言い放った。
「案ずるな。抵抗しなければ目的が終われば帰してやる。ルーシー・カマンベールよ、喜べ希望通りライオル伯爵領に連れて帰ってやろう。交渉次第ではカマンベール男爵家に帰れるかも知れんぞ」
「ライオル伯爵領に帰る…、あなたは何者です?」
「我か? 我はライオル伯爵領付き筆頭司祭のヘレナ・ギボンと申す。まさかこの様なところで会えるとはな」
そんな会話の中団長は私たちを背で庇いながら、ゆっくりと交代を始める。そして小声で私にだけ聞こえるように告げた。
「ここは抑える。儂が切り込んだら、森に逃げ込め」
私はルーシーさんの袖を引き目配せをすると、庇うように左手を彼女の前に回した。
「その女以外は平民だ! 殺しても構わん。やれ」
ヘレナ・ギボン司祭が落ち着いた声で命じた。
それを聞いた騎士団長が雄叫びを発して剣を抜くと教導騎士に切り込んだ。
三人の教導騎士も剣を抜き応戦する。
私はルーシーさんの右手を掴み森に走ろうとする横を、二人の聖堂騎士が抜刀して駆け抜ける。
私たちが踵を返して森に向かって踏み出しかけた時だった。
「グッワッ! な…なにを」
騎士団長の叫びが聞こえた。
振り向くと、あろう事か聖堂騎士の一人が団長の背に剣を突き立てているのだ。
「貴様! よくも!」
もう一人の聖堂騎士が気付いて、その騎士に切り付ける。
刺した方の騎士は剣を引き抜けず、袈裟懸けに斬られて倒れ伏した。
そこをもう一人の聖堂騎士目がけて教導騎士が切り込んで来る。
かろうじて相手の剣を払うが、左腕を切られて血がしたたり落ちている。
団長は剣が刺さったまま踊り込んで、教導騎士三人を相手に威嚇しながらけん制している。
「行け! 直ぐに行け!」
団長は後ろの騎士にそう叫ぶ。
裏切り者を切った騎士はその言葉に躊躇なく剣を捨てると、馬に飛び乗って駆け出した。
「「「待て!」」」
後を追おうとする騎馬の聖職者たちにギボン司祭の声が飛んだ。
「良いわ! それよりコヤツら二人を確保しろ」
「その二人は部外者だ! 指一本触れるな!」
ギボン司祭は馬を降りると、教導騎士とにらみ合う団長に向かって答える。
「聖教会にとっては部外者でも、我らライオル伯爵領にとっては当事者なのだよ」
そして私たちに目を向けると更に他の聖職者に合図する。
「大人しくすれば手荒な真似はしない。そこの小娘も雇い主に義理立てしようとか考えるな。命を落とす事になるぞ」
ギボン司祭が近寄って来る。
「司祭様! そいつは…グッワ!」
さっきの裏切り騎士が口を開きかけたとたん団長の大剣がその騎士の喉元を貫いた。
「小汚い裏切り者が! まだ生きていやがったのか!」
「「「貴様!」」」
その団長目がけて教導騎士の剣が一斉に突き立てられる。
「団長様!!」
ルーシーさんの悲鳴が響くが、団長は返事も出来ずにその場に座り込むように崩れ落ちた。
私はルーシーさんの手を払って騎士団長に駆け寄る。意識は無い様だがまだ息は有る、まだ間に合う。
ルーシーさんも私に駆け寄ってくるが、教導騎士が手を引っ張って地面に放り投げた。
「人殺し! それが聖職者のする事なの」
そう叫びつつ騎士団長を掴んだ両手に霊気を込めて魔力を注ぐ…全力で。
「騎士団長! 目を開けて、お願い」
無茶を承知で更に力を流す。
ゆっくりと聖職者たちが近づいて来て私の肩に手を伸ばす。
「人殺しども! 私に触るな!」
「気の強い使用人だが、そんな事をしているとお前の主人がもっと大変な事に成るぞ」
騎士団長の意識は戻っていないようだが血は止まっているようだ。団長から手を放して立ち上がると、二人の修道士が私の両腕を押さえつけて引っ張って行った。
私とルーシーさんはギボン司祭の配下の修道士たちに取り押さえられて縛られた。
幸い私の正体はバレていないようだ。
多分あの裏切り者はそれを伝えようとしたのだろう。それを察した団長に止めを刺され、そして団長も…。
「フン、此奴何か言いかけたようであったが。まあ良いわ。二人ともまとめて森の中にでも捨てておけ。獣が処理してくれるであろうよ」
ギボン司祭は裏切り騎士を足でつつきながら部下たちに告げた。
「履物が汚れてしまったわ」
そう言うと今度は団長の肩を蹴りつけて地面に転がした。
「あなたは聖職者でありながら死者に敬意すら払えないのか!」
「小間使いの分際で横柄な口ぶりじゃな。清貧派など異教徒も同然。異教徒なら人ではない。当たり前であろう」
「その裏切った騎士は貴女の密偵でしょう。それなら…」
「貴族でも無い聖堂騎士など我ら貴族の役に立った事こそ誇りに思うべきじゃな」
ギボン司祭はそう吐き捨てるように言うと、顔色も変えず馬に跨った。
私たちは縛られたまま馬に乗せられた。
教導騎士がそれぞれ自分の馬と私たちの二頭の轡を引いて関所に向かって歩く。
「今は我慢しなさい。貴女がいくらセイラカフェの者でも騎士には敵わないのだから」
「ああ、その小間使いは噂のセイラカフェのメイドか。強い奴なら一端の騎士程度の体術を心得ているとか聞いたな。なあオイ小娘、後で俺と手合わせしてみるか」
さすがはルーシーさんだ。
奴らの思い込みに併せて私をセイラカフェ仕込みのメイドと思わせる事が出来た。死んだ騎士の一言も奴らはそれを警戒しての発言と思い込んだようだ。
このまま連行されてジャンヌと合流できれば良いのだが、多分ルーシーさんを脅しのネタに使うつもりなのだろう。
彼女にはジャックたち三人組も付いている。合流できれば何か算段が付けられると思うが、危ない橋を渡ることには変わりない。
それにギボン司祭の意図はジャンヌでは無く別の事にあるように思える。
そもそもがライオル伯爵領の筆頭司祭が何故シェブリ伯爵領に居るのかも謎だ。
彼女の口ぶりでは、これまでのカマンベール男爵領に対する嫌がらせにも関わってきている事を思わせる。
そうなるとこれまでの嫌がらせや要求の背後にシェブリ伯爵家や教導派が関わっているのだろうか。
それにあの裏切った騎士も気になる。クオーネの正規の聖堂騎士団員の中にまで裏切り者が浸透しているのだから。
アナの件も含めて教導派が清貧派を潰しにかかっている事が良く解る。
麻疹だけの事では無くもっと根深い陰謀が進んでいる事を予感しならがら、私は馬上でバランスを取り続けた。
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