第93話 アジアーゴ大聖堂

【1】

 それは私の予想に反してアルハズ州から起こった。

 もともと領主派とアントワネット派の村同士で争っていたのが、顕彰行進デモ隊が入り込んだため三すくみ状態で事態が硬直していたのだ。


 それがジョバンニの声明で行進デモ隊はお墨付きを得た形になり、その婚約者であるアントワネット支持の派閥が勢いづいたのだ。

 アントワネット支持派は村を捨てて顕彰行進デモ隊に合流してしまったのだ。


 所謂逃散である。

 これは国法で禁じられた行為ではあるが、かと言ってそれが誰かを特定することもできない。

 領主たちは収穫直前で刈り取られた麦畑に激怒し、麦泥棒として反目していた隣村に捕獲を命じたが、収穫時期が迫るこの状態で村を離れて追う者などいなかった。


 何より反目していた敵がいなくなった途端に、今まで自分たちを圧迫していたのが誰か思い出したのだ。

 そして州都へ行進を始めた各領地の顕彰行進デモ隊は各地でアントワネット支持派を呑み込みながら大人数になってマンスール伯爵領を目指し始めている。


 不安を覚えたマンスール伯爵は州兵に出動を命じたが、彼らの動きは非常に鈍かった。

 なにより州兵たちが知っている村の者たちがその行進に加わっているのだ。

 捕縛に力が入るわけもなく、州都騎士団も意識的にそれを黙認しサボタージュを助長しているのだから。


 業を煮やしたマンスール伯爵家は州都周辺に州内からかき集めた教導騎士団を展開し警戒に当たらせた。

 各街道で顕彰行進デモ隊との睨み合いが始まったのだ。


「これはアントワネットの思惑とも外れた事態だと思うのだわ。きっとあの性悪とは別の思惑で動いている集団がいるのだわ」

「それは私も賛成かしら。農村開放要求書は誰かわからないけれど清貧派支持者の画策かしら。でもその後の市民開放要求書と顕彰行進デモ隊は清貧派の考えをまとった教導派なのかしら」


「ええ、あからさまにアントワネット様のジョアンナ様支持発言に便乗していますし、自ら教導派を名乗っておりますもの。近い地域のことですし、私のいるポワチエ州や周辺の教導派が賛同して顕彰行進デモ隊に合流しないかの方が不安なのですよ」


 カロリーヌの言う通り北部西側の清貧派地域は平和で潤っているが、もともと教導派支持の地域だった。

 その地域に残る教導派信徒が変な使命感から混乱する北部諸州に乗り込んで顕彰行進デモ隊に参加する可能性は大きい。

 そうなれば北部教導派諸州都の騒乱になることも視野に入れなければならない。


「そうなればルーション砦の海軍に動いてもらうことになるかもしれないわね。シャピの船団もしばらくは外洋探索の数を減らして港内に係留する数を増やすようにするわ」


【2】

 さすがのアントワネットもアルハズ州のこの事態を看過できない状態になった。


 まだまだマンスール伯爵家は使い道がある。

 今手札が潰れるのは困るが、この先アルハズ州を押さえるためには今のアントワネット支持派に潰れられるのも困る。


 そこに彼女にとってまた厄介事が起こった。

 教皇がアジアーゴにやって来たのだ。


 老齢の教皇はここ最近体調が優れず、教皇庁での治癒施術では好転しない状態が続いていた。

 そこにポワトー枢機卿の延命治療の話が耳に入ったのだ。

 さらに真偽の程は定かではないが、妹であるラスカル王太后ヴェノッア・ペスカトーレ・ラップランドが命を取り留めた…と言うか一度死んで蘇ったと噂まで入ってきたからだ。


 蘇りが虚構か事実かは兎も角、居合わせた王宮治癒術士たちがそれを目撃し、さらに一部の術士は混乱のあまり精神に異常をきたした者もいるという事は教皇庁の治癒院を通して確認されている。


 その話を聞きつけた教皇が随員を引き連れてアジアーゴの大聖堂に帰還したのだった。

 随行の治癒院の大司祭によると『カルキノス』の疑いがあるという。


「ポワトー枢機卿は明らかに大きなカルキノスを首の基に発症していた。それが今も命を長らえておる。余命は三カ月も無かったはずがもう三年だ。三年その息を長らえておると聞いた」


「ええ、それは事実のようですわね。今も必ず枢機卿様の筆跡で司祭会議の委任状が送られてまいります」

「ならば、治癒施術によって命脈を保っておるというのは事実なのだな。その治癒術士が光属性を持つ聖女と聞いたのだが…」


「光属性はともかく聖女など言えぬ俗物の腹黒女ですわ」

「光属性は事実か。その娘が王太后殿下の蘇生治癒を施したとの噂も流れてきておるのだが」

「詳しい話は聞いておりません。あの娘がその場にいたという事は聞いておりますが、詳細は当時その場に立ち会っていた王宮治癒術士たちにご確認ください」


「それが要領を得んからこうして聞いておるのだが…。まあ良いわ。その娘をここに招聘してくれ。教皇猊下の治癒治療の栄誉を与えられるのでな」

「…無理ですわ。他の理由ならともかく教皇猊下の名を出せば絶対に来ませんよ」


「其方、何を申しているのだ?  教皇猊下の治癒だぞ。これ以上の栄誉は無いぞ」

「その者は清貧派の尖兵のような娘ですわ。教皇猊下が命を亡くすならその遺体の上で土足で踊るでしょう」


「ぶっ無礼な!  其方、何を申す!」

「私では御座いません。その光属性の娘セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢の事で御座いますよ」


「しかし…ポワトー枢機卿を癒し王太后殿下のお命を救ったという…」

「その延命と引き換えにポワトー枢機卿は清貧派の孫娘に伯爵位を奪われ、教導派のポワトー大司祭は隠居、後継の三男は聖年式までの間、清貧派のグレンフォードで聖職者としての修業中。孫娘の女伯爵カウンテスはセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢の傀儡ですわ」


「しかし王太后殿下は…」

「たまたま王妃殿下のパーティーに居合わせただけですわ。その後二週間余り王妃殿下の離宮にゴルゴンゾーラ卿を唆して治療名目で監禁させたのですから」


「…たちが悪いな。しかし、それでおめおめとハッスル神聖国まで帰る訳にも行かん。そうだ!  聖女ジャンヌは?  闇の聖女がいるではないか」

「大司祭様は教皇猊下の治癒に聖女ジョアンナの娘であるジャンヌが来るとお思いですか?」

「…そうだな。あ奴の恨みも深いであろうな」


 ああそう言えばタイミング的には良い時期かもしれない。

 アントワネットは思いついたことを提案することにした。

「相手が乗るかどうかは分かりませんが、清廉な聖女ジャンヌなら或いは可能性があるかもしれませんよ。教皇猊下が謝罪と誠意を見せれば軟化する可能性が無いとは言えません」


「可能性があるならば上申致したい。教導派聖教会が清貧派に膝を屈したと思われる事であれば上申しかねるが、その判断は話を聞いてからだ」

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