第39話 夢の後(4)

【4】

「本当に驚くべき御子様でした」

 思わず口をついて出てしまった自分の言葉に戸惑いつつも、ヘッケルはボードレール大司祭への報告を続けた。

「どこまで意図されていたのかは測りかねまするが、まるで大司祭猊下すらたなごころで動かされておるのではと思うほどに利発な御子様でした」


「以前から…、そう属性が発現されてから以降のセイラ様のご活躍は著しいものがございます。やはり聖属性の発現というものは一般の属性とは違う何かが御座いますのでしょうか」

「そう言えばジャンヌ様も聖属性のご発現以降、私のために誰かが死ぬようなことがあってはならないと口癖のように仰っておられます。私の手の届く範囲ではだれ一人死なせはしないと…。そしてご自分の手が小さいことをいつも嘆かれておられます」


「そうかも知れんなあ。妹のジョアンナも聖属性の発現以降は、いつも死にゆく者の無念さを語っておった。大切なものを残して死ぬ事がどれ程辛いか、それは死に瀕した者しか解らない。覚悟があっても辛さ無念さを贖えるものではないと…」

 大司祭猊下も感慨深げに語った。


「失礼を承知で申し上げますと、わたくしがジョアンナ様のお側付きに成ったのは十五の時。ジョアン様がご発現なされて直ぐの頃でしたが、まるで母と接しているようなそれ程に大人びて感じるお方でございました。ただセイラ様についてはそれ以上にと申しますか、まるで大司祭猊下と相対するような風格がおありなのです」

 ドミニク聖導女の言葉にヘッケル聖導師も続ける。

「わたくしもそれは感じました。ただこれはジャンヌ様にも言えることで、お二人は違ってはいるのですがどこか同じような風格が感じられます」


「それならなおさらだな。ジャンヌが全幅の信頼を置くお前が此処の聖導師としてこの教区を導いてくれ。何よりセイラ殿をお守りするのを使命と心得よ」

「はい必ず」

「うむ、これまで聖属性が複数人現れたことは歴史上聞かぬ。それが闇と光の二大聖属性が同時に現れたのだ。年も同じ、発現時期もほぼ同じ。これこそ天啓である。われら聖教会信徒はこの二人を両輪として民を救うことを使命と決して行動致せ」

「何より教導派に知られぬ様に、命に代えて守り通しましょう」


【5】

 大司祭猊下はチョークの契約書類に署名を入れた後ボードレール教区に帰還なされた。

 この契約によりゴッダード周辺教区とボードレール教区に於いては完全に教導派の勢力は排除され聖教会は清貧派の司祭に代わることは間違いない。

 清貧派はチョークと黒板の専売の契約に伴い販売の利権を得た。

 そしてそれに伴って行われるチョーク生産の業務と聖教会教室とにより若い底辺層の信徒の支持を、更にはそれに関わる市井の庶民の支持を得ることになる。


 これだけ考えても絶大な影響力が得られる。

 だがそれだけでは無い。

 教導派の資金源であった救貧院を切り崩すことができる。

 ゴッダードとボードレールの二教区においては救貧院はチョーク工房に吸収されるだろう。


 州内の周辺教区でも同様の改革を推し進めることで、救貧院をチョーク工房に吸収できない教区でもチョーク工房が有る為に未成年の収容は出来なくなる。

 さらに清貧派主導で貝灰の工房を開くことにより救貧院に収容される人員はほぼ居なくなる。

 教導派の資金源である今の救貧院は、両教区の有るレスター州とブリー州でも排除されチョーク工房と直結した清貧派の救貧院に変わるだろう。


「ドミニク聖導女。この結末をセイラ様はどこまで見越しておられたのでしょう?」

「それはわたくしにも測りかねますが、ほぼ全てを見通しておられたと思うのです」

「本当にセイラ様が考えられたのでしょうか?」

「それも測りかねますが、御父上のライトスミス様は職人で商人でございます。商才は兎も角、政治まつりごとや聖教会の事情には無知な方です。奥様のレイラ様は下級ではありますが貴族の出、そちらの知識はあってもその様な事には進んで口を挟むようなお方ではありません」


 多分そうなのだろう。

 ヘッケルが接してきた限りでも、二人は善人であるが所謂常識人で己の分を外してまで何かをなそうとする様な人ではないと感じていた。

 しかしセイラには何か先を見据えるヴィジョンがあるように感じられるのである。


「セイラ様が発現後に初めに成された事が読み書きと算術の指導だったのですよ。黒板とロウ石を使って近所の子供たちに読み書きと計算を学ばせたのです。その子たちが今回聖年式を終えたあの子供たちなのですよ。さらにあの子供たちを使ってさらに小さい子供たちに読み書きと計算の指導をさせている。やらせたのは奥様のレイラ様かもしれませんが形にしたのはセイラ様でしょう。さらにチョークの製造に関しては独自で作られたとか、混ぜ物の貝灰については最近まで御父上も奥様にも秘密にしていたそうなのですから」


「それならば何故今になって聖教会に…」

 シスタードミニクの考える通りセイラ様は自分でこの教育システムを築いてきた。

 それを何故?

「それは契約の際にセイラ様がおっしゃった通りではありませんか。自分一人で成すより早く多くの子供たちが救えるとお考えになられたのでしょう」

「なんと恐れ多いことか。わたくし共、凡愚の修道士ごときに何より大きなご期待を抱いていただけたとは本当にもったいないことです」


 今後の清貧派聖教会としての方針を周知し新体制を通達する為、のゴッダード聖教会の聖職者がすべて聖堂に集められた。

 聖教会教室やチョーク工房の運営目的、そして救貧院における業務の変更、すべてが詳細に説明された。

「修道士、修道女の諸氏よ。お前たちにも判ったであろう。これから成すべき事業は下らぬ権力争い等では無い」

「そうなのです。より多くの幼き者たちが死に逝かぬように、不幸にならぬように。施しを与えるのではなく、魂の糧を与えるのです。今日を生きさらに明日からも生きられるように」


「この試みが市井の一聖女から成された事を重く受け止めなさい。民の救いに聖俗の区別はないのです。いえ、俗世に生きるが故に俗世の民に目をやることができるのだと。なれば我々清貧派が成すべき事は俗世の民と共に歩むことです」

「誇りなさい。次代の聖女様とともに歩める奇跡を、俗世の民とともにすべてを救える歓びを」

「聖と俗、お二人の聖女様と新しき世をこれからこの地で築いてまいりましょう」

 ゴッダードの聖教会に集った清貧派の修道士修道女たちから賛同と感激の雄たけびが上がった。


 これが後世に語りゴッダードの誓いとして継がれる宗教改革の烽火であった。

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