第12話 家事使用人寮

【1】

 フランにメイドが付いた。名前をアイーダとイダの従妹同士だと言う二人で、同い年の十五歳だ。

 王都でグリンダの教育を受け、更にナデタに体術を叩き込まれ、クオーネのサロン・ド・ヨアンナでエミリーメイド長に指導されたそうで、同い年だがナデタの妹分のようだ。


 入学式の一週間前となると新入生の数も増え始めて、南部や西部の貴族が次々に入寮してきた。

 そして突然に大貴族寮から私に呼び出しがかかった。エントランスに出るとゴッダードで見覚えのあるメイドが表に立っていた。

「あの、セイラ様。主のファナ・ロックフォール様からのお茶のお誘いで御座います。あの、セイラ・カンボゾーラ様宛にご招待状を…」

「ええ、私がセイラ・カンボゾーラで間違い無いわ」

 そう言って、彼女の耳元で呟いた。

「よくゴッダードに行っていたし、名前が同じだから皆勘違いしていたようね」

 メイドは得心したように頷いて一礼して去って行った。

 しかしファナの呼び出しとは何だろう。


 ロックフォール侯爵家はライトスミス商会の上顧客でビジネスパートナーではあるが、ファナとは一度しかあった事は無い上パーティーのメイドと客の立場で数度言葉を交わしただけだ。

 憶えているとも思えないが、ロックフォール侯爵は記憶していたしなぁ。

 まあどうせ入学式までには挨拶に行かねばならない人物だし、なるようになるだろう。


 ウルヴァを伴って上位貴族寮のファナの部屋の扉をノックした。

 扉が開かれ中に招き入れられて、驚愕した。

 私の部屋の三倍は有るだろう。大きなリビングスペースに立派なテーブルセットが据えられている。

「王立学校の寮なので手狭で悪いのだけれど腰を下ろすのだわ」

「カンボゾーラ子爵家長女セイラ・カンボゾーラと申します。ご招待に預かり光栄で御座います」

 そう言って一礼する。


「久しぶりね。ファナ・ロックフォールよ。貴女は子分の騎士よりは記憶力が良いようなのだわ」

 やっぱり憶えていた。侮れないな。…子分の騎士って誰だ? ポールか?

「卑賎の身を憶えて頂いて光栄で御座います」

「なにを心にもない事を。ゴーダー子爵家で行儀見習いをしていたのでしょう。殊勝な事を言っても、あの時から貴女ギラギラしていたのだわ」

 まああの時は成り上がるチャンスだと思ってがっついていたのは事実だけど、割とよく見ているなこの娘。


 私は黙って一礼すると向かいのソファーに腰を下ろした。

 テーブルにはスコーンやパウンドケーキが並ぶ。

 アーモンド・オ・レにクッキーが副えられて運ばれてきた。

「砂糖を控えめにして、クッキーを添えて食べる方が香りと味が引き立つのだわ」

「この度のカンボゾーラ子爵家叙爵に当たっては父君のロックフォール侯爵様にもお口添えいただき感謝しております」

「それはパパが勝手にした事だわ。貴女だって叙爵されなくても幾らでも成り上がる手札を持っているんじゃなくて? それよりコーヒーの感想が聞きたいのだわ」

「私の意見で宜しいのでしたら、女性やコーヒーを飲み慣れていない方には喜ばれると思います。砂糖やクリームを増やせば子供でも喜ぶでしょうが…」

「それで?」

「コーヒーの香りや苦み、酸味が味わえないので私はあまり好みません」


「水出しコーヒーが好みなのだけれど、王都は水が悪いのだわ。南部のように美味しい水出しコーヒーが入れられないのだわ」

「水を運ぶのは面倒ですしねえ」

 水にまでこだわるとは、そのうち”この料理を作ったのは誰だ!”とか言って厨房に暴れ込むんじゃないだろうか。


「それじゃあついて来るのだわ。この寮はロクな調理人がいないのだわ。男は入れないからお茶請けも限られてしまうのだわ」

 そう愚痴りながら勝手に立ち上がり部屋の外へと出て行く。

 連れてこられたのはお茶会室…では無く、食堂の厨房であった。

 厨房の隅にはテーブルと椅子が設えてあり、そこに座るとファナが奥に向かって呼びかけた。

「準備ができていたらさっさと出すのだわ」

 奥から返事が返ってくる。

「部屋に厨房が有るというから連れてきたのに、寮は男性は入れないと言うのだわ。これじゃあ何のためにザコを連れてきたのかだわ」

 一人ブツブツ言いつつグラスの水を飲んでいる。


「お嬢様、焼きあがったぜ。でも焼き加減はまだまだだな検討が必要だな、これは」

 そう言いながら奥から調理人が皿を持って現れて、テーブルの前で硬直した。

「お嬢…???」

「何してるのザコ? さっさとお出しなさい。こちらはカンボゾーラ子爵令嬢よ。知ってるでしょ」

「へっ?! カンボ…?? お嬢だよなあ。セイラ…」

「セイラ・と申します。の長女です」

「いや、あれっ? 何? 訳分かんねえ」

「さっさと皿を置くのだわ。冷めてしまうじゃないの」

「お嬢様、焼き菓子だが冷めても旨いとは思うぜ。焼きたてと冷ましたものとで食べ比べて見てくれ。それとバターの焦がし具合の配分もまだまだ研究が必要だな」


 置かれた皿からはアーモンドの香りがテーブルいっぱいに広がる。

 アーモンドプードルを使ったレシピは無いかと問われて、二月前に私が送ったフィナンシェのレシピを研究していたようだ。

「冷めれば香りが無くなるのだわ。セイラ・カンボゾーラ、あなたはどう思う」

「でも食感は、冷めた方がさっくりして良いかも」

「なあお嬢、焦がしバターの配分を変えたやつも有るんだがそれも…」


 ダドリーが私に意見を求めようとするとファナの機嫌が悪くなった。

「それは私が決めるのだわ。も良いから引っ込んでいるのだわ」

 そう言ってダドリーを追い払うと私に向かって言った。

「焼き菓子の感想は私に言うのだわ。ザコにでは無くて。だから後で貴女に渡すのだわ」

「良いのですか? これ一個でもとても高価なものになると思うのですが」

 もちろんアーモンドプードルの卸値は心得ている。ハウザー王国からの輸入品だし価格もバカ高い。

 それをふんだんに使った焼き菓子である。


「それを貴女が言うの? あなたが考えたレシピでしょう。セイラ・ライトスミスは商人。レシピは貴女が、セイラ・カンボゾーラが考えていたのではなくて? 忙しい貿易商にこんな凝ったレシピを考える余裕などないのだわ」

 常識的に考えればその通りだ。

 でも私(俺)はレシピを記憶していただけで研究したわけじゃない。妻の残したレシピをそのまま丸暗記しているだけだ。


「焼き菓子は後で貴女のメイドに持たせるのだわ。何か思いついたレシピが有れば直接私に言うのだわ。出来た試供品の報告も私に持ってくるのだわ」

 なんだろう? ダドリーに会わせたくないのか?

 別にそれは構わないのだけれど。

「…そもそもザコは女相手になると良い顔をし過ぎるのだわ。…まったく」


「それでは焼き菓子は私の部屋付きメイドのウルヴァに取りにやらせましょう」

 そのついでにダドリーにも事情を言い含めておかねばならない。

「それには及ばないのだわ。直接家事使用人寮の貴女の側付きメイドに渡しておくのだわ」

 何のことだろう? 私はウルヴァしかメイドは連れて来ていない。

「何かのお間違えでは? 家事使用人寮に控えているメイドはいないはずなのですが」

「あら、そうなの? でもウチのメイドがカンボゾーラ子爵家の側付きメイドが赴任してきたとさっき言っていたわ。先ほど私の元にも挨拶に来たので間違いないと思うのだわ」

「…?」

「ほら、貴女の後ろにいるのだわ」

 …そんなメリーさんのようなことを言われても。


 私の横に立っていたウルヴァが振りかえって固まっている。ウルヴァの尻尾は毛先迄真っ直ぐに立って、耳もピンと強張っていた。

 私が振り返るとそこには優雅にカーテシーをする狼獣人が立っていた。

「お久しぶりです、セイラお嬢様。アドルフィーネ、メリージャより戻って参りました」

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