第161話 イブリン

【1】

 私がナデタを伴なって応接に戻るとベアトリスが給仕たちを連れて部屋に入って来ていた。私の指示した水とオートミールの確認を行っていた様だ。

「セイラ様、オートミールには何か具は入れましょうか? スープだけでも滋養は充分だとは思いますが」

「何か用意してあるの?」

「ささみ肉、ニンジン、玉ねぎ、ベリーも何種類か」

「ささみ肉はほぐして、ニンジンとタマネギは細かく刻んでよく煮て入れましょうか」


「ねえ、ベアトリス。王太后殿下がお酒を飲んだの。なにか心当たりはない?」

「イブリンでしょう。あの部屋にアルコールを持ち込んだのはあの娘だけですから」

「…どうして?」

「臭いで直ぐに解りますよね。アルコール臭なんて誰でもわかりますから」

「今日はその臭いがしてたって事?」

「いえ、午前中は。午後のお茶を下げに行ってから後はずっとしておりましたでしょう。王太后殿下の蓋つきのゴブレットから」

 …ああ、間違いない犯人はやはりイブリンだ。


「でもどうして…。あなたはなんて思っていたの」

「いえ、何か意図があるんだろうなと。随員の三人の方もちらちらと見ておられましたし、当然ご存じだったのですよね」

「やはりあの三人は気付いていたという事ね」

「それはそうで御座いましょう。そうでなければあんなに凝視したりしないでしょうから」


 ヨハネス卿が言った通りだ。

 極端な弱視の王太后が、誰にも気づかれずにゴブレットにアルコールを盗み取る事など不可能だったのだ。

 三人の随員が黙認したか協力したという事で間違い無いのだろう。


「ねえ、ベアトリス。あなた何故その事を誰にも言わなかったの? 多分ヨハネス卿たちはこの事を知らなかったと思うわ」

「それは失礼を致しました。生死にかかわらない事でも以後は報告致します」

「生死にかかわらない? 低血糖症の発作は死につながるのよ」


「外ならその様な事も起こりうるので気を付けます。ここなら砂糖も直ぐに手に入りますし特に支障はないかと思いまして。それにこのまま全身不随で動けなくなれば皆様にも好都合なのだろうと邪推いたしました」

 なぜそこまで処置方法を知っている? それに全身付随って、この娘も怖い。イブリンとは別な意味で怖い。


【2】

「フェ~ン~♩ 私の不注意です~。まさかこんな事になるなんて~。どんな罰でもお受けいたしますう~♬」

 帰ってきたイブリンは顔色を変えて涙を流した。

「王太后様に~もしもの事が有れば~、カロリーヌ様に顔向けが出来ないところでした~。レイチェル修道女様たちには感謝の言葉もございません~♬」

 真摯な謝罪の言葉が次々に出てくるが、どこか薄っぺらく本人が心の底で微塵も思っていないことが伝わって来る。


「謝罪は良いわ。状況を詳しく教えてちょうだい」

「は~い、あの日はフィディス修道女様に仰せつかって、王太后殿下のお着替えと部屋の掃除に向かいました~♬」

 前々日にはフィデス修道女と共に一度王太后の着替えと部屋掃除に行っており、その時もイブリンは掃除を担当したという。

 その時に消毒をやりかけたのだが、日中はやるなとフィディス修道女に止められたそうだ。


 そして今日は要領を憶えたので、イブリンが離宮のハウスメイドを仕切って着替えと掃除をする事になった。

 その時間帯は外来で診療を望む王宮職員たちの対応で、治癒術士たちが手一杯だったからだ。


 そして王太后の着替えを離宮のハウスメイドに任せて、イブリンは掃除にかかった。その時に前回同様に消毒用の霧吹きを持って来ていた事に気付き、使わないので王太后のベッドテーブルの上に置いた。


 その時に随員にはくれぐれも手を振れない事、王太后に手を触れささない事を忠告して掃除にかかった。

 この事は一緒に掃除を行っていた離宮のメイド達からも裏が取れている。

 やはりあの随員たちは知っていて見てみぬふりをしていたのだ。

 ただイブリンも酒を飲むとどうなるかは告げておらず、手を触れさせるなとだけしか言っていないのは、窃盗の誘導の様に感じられる。


 そしてここからが問題である。掃除が終わって引き上げる際に霧吹きの重さは変わっていなかったという。それにベッドテーブルにはホエーのグラス周りは濡れていたが、霧吹きやゴブレット周りは濡れていなかった。

 弱視の王太后は手の震えもある。それを溢さずに霧吹きからゴブレットに移し替える事は難しいだろう。

 誰かが拭いたのだ。


「その今日持って来た霧吹きは? 中身はまだあるかしら」

「は~い、すぐに取ってきます~♬」

 イブリンの持って来た霧吹きから中のアルコールをグラスに移し臭いを嗅いでみる。

 イブリンはそのコップを受け取って口に含んだ。

「うす~い♩」

「水を入れられた様ね」

「多分、随員の~誰かだと思います~♬」

 少なくとも表面上はイブリンに大きな落ち度は見られない。その真意が何処にあろうとも。


【3】

「ナデタ、二人の証言はどう思う?」

「ベアトリスは特に嘘は言っていないでしょう。本人も隠しだてをすつもりでは無かったと思います。仕事を見ている限りああいう娘ですね。余計な事は一切口にしない。腹の内は見せない。ただ主家に対しては誠実だと思います」

「あの王太后が全身不随になれば良いって言う発言も?」


「上級貴族の縁戚でメイドですから。それも侯爵家から派遣された上行った先は枢機卿家ですよ。あれくらいの感覚で無いと乗り切れないのでしょう。多分イブリンの本音もそんなところでしょうね。指示を出した者もそれを意図していたのだと思いますよ」

「何それ、すごく怖いんですけど」


「セイラ様、私たちはそう言う所迄足を突っ込んでしまったという事です。ジャンヌ様でさえ度々お命を狙われております。今回は違うと思うのですが国王陛下や教皇派の貴族が事件の発覚を恐れて口を塞ぎに来た可能性もあるのですから」

「国王陛下にとっては実の母親、教皇にとって妹であってもという事ね…」


 そうだ。そもそもルーシー義母上たちの命を助けたい為にこの地位に足を突っ込んでしまったが、それは後悔していない。この結果を甘んじて受けたのは、母上や父ちゃんやオスカルを守るためじゃないか。

「セイラ様もその立場に近づいているしもう引き返せませんから。奥様や旦那様を守るためにこのままセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢を貫くしか御座いませんよ」

 カロリーヌだって家名と弟を守る為望んでいた訳でもない女伯爵カウンテスの地位に着いたのだから。

「ごめん、ナデタ。覚悟が足りなかった。解ったわ。腹を括る。」


「…それでこの事件を企んでるものが誰かよね」

「心当たりは有ります。多分…」

「誰? カロリーヌの周りの人間よね。もしかしてポワトー枢機卿?」

「いえあの方は、今の事態は御存じないでしょう。そもそもシャピは此処から遠すぎます。それにイブリンはこちらに来てからはロックフォール侯爵家の意を介して動いていたようにも思いますし」


 そう言えば病人食や健康食品の売り込みにも尽力してた。治癒術師たちからも色々と食事療法の知識も得ていた。

「イブリンは王太后相手に使えそうな方法を調べていたのでしょう。急な飲酒が危険なことは来てすぐに聞いていたようですし、食事療法の話も良く理解している様ですから」

「ロックフォール侯爵家が糸を引いてるという事は無い?」

「あの侯爵家ならばやりかねませんし一枚かんでいるかもしれませんが首謀者は違うでしょう。ファン様ならロックフォール侯爵家の威光を見せつける様な方法を取るでしょうから、わざわざイブリンを使うようなことはなさらないでしょう」


「なら、他にも誰か王都に居るって事? いったい誰?」

「王都に別邸があり今回の情報がすぐに入手できる方。シャトラン州なら一日の距離です。多分そう思います」

「シャトラン州…。ブリーニなら行きは船で半日、帰りは早馬で一日。サン・ピエール侯爵様!」

「…と言うか、そこに食客として居座るあの野郎でしょうね」

 …エドかよう! あの野郎!

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