閑話19 福音派反主流(2)

 ★★★★

 ヘブンヒル侯爵はソファーに座りなおすと、手元のコーヒーを一口飲んだ。

「できれば申し上げずに穏便に済ませればと思っておりましたが仕方ありませんな。何より高々二人の農奴の子供風情相手に侯爵家がここまで執着する理由についてご不信を持たれるのも致し方ない事だ」


 農奴の子供風情と言う言葉に引っ掛かりを覚えたルクレッアが何か口を開きかけたが、ベルナルダに止められて口をつぐんだ。


「はっきり申し上げよう、ルイージとか申す少年は我が家の血を継ぐものなのだよ。そう、私の異母弟にあたるのだ」

 思わぬ爆弾発言にテレーズたちは凍りついてしまった。


「しかし、それならばなおさら我々にその事を告げられたのです。余計な弱みを晒すようなものではないですか」

 ケインが侯爵に問いかける。

「売買契約を辿れば元の持ち主を遡る事など容易なので気づくものは気づいてしまう。あの女を競売にかけた時も匿名で出したにも拘らずシエラノルテ男爵は何か気付いていたようだったしな」

 侯爵はそこまで一気に話すとホゥとため息をついた。


「驚くほどの事ではないぞ。多分公にならないだけでこの国では普通に起こりえる事なのだよ。父親の判らない農奴の子など数多くいるのだからな」

「ならばなぜヘブンヒル侯爵家は…」

 そうなのだ。父親の判らない子供なら敢えてこちらから口を開かなければ波風は立たない。

 知らぬ存ぜぬを決め込むことなど容易なのだから。


「はっきり申し上げましょう。名付けが行われたからだ。名前も無い農奴のままならば野に紛れ忘れ去られていたでしょうがな。名がついたばかりか洗礼を受けて属性が具現化したが為に人目を引いてしまったのですよ。名前を付けただけでも疎ましい事ではあるが、洗礼を施されれば何かあった折にその血筋をあげつらうものが現れては困る。ましてや治癒魔術の鍛錬を受けているとなると…。まったく持って厄介な事をしてくれたものだと思わざるを得んのです」


 そう言う事ならヘブンヒル侯爵の言う事も解らぬではない。

 この国では農奴の身分のままなら人として扱われない。血筋がどうあれ家畜同然の扱いなのだから。

 しかし彼の言う通り洗礼をされてしまえば、少なくとも聖教会が人としてのお墨付きを与えた事になる。

 農奴の頸木を逃れた者は容易に解放農奴として人として扱って貰える州が有るのだから、そこに逃げ込んで血筋を主張すれば簡単に無視できなくなる。


「それでしたら、ヘブンヒル侯爵様には決してご迷惑はお掛け致しません。無事に私とルイージとカンナをラスカル王国に帰して頂ければもう二度と接触を持つ事は致しませんから」

 ルクレッアは両手を合わせて祈るようにヘブンヒル侯爵縋った。


 多分ヘブンヒル侯爵はその様な話は絶対に飲まないだろう。

 農奴制度の無いラスカル王国に入ってしまえば、二人は人として認められてしまう上もう手出しも出来ないのだから。

「それでは困るのですよ。そうなればラスカル王国に我が家の直系の継承権を有する男子が出来てしまう。ルクレッア様が何と思われようがそれを政治の道具と見る者は何か画策するでしょう。あなたでは無くあなたの父君や御祖父様を何一つ信用する事が出来ぬのですよ」


 隣国の最上位聖職者に向かって大変な物の言い様ではあるが、テレーズも何よりも娘であるルクレッアが同じ考えである。

「私は絶対に漏らしません! お誓いいたします。命を賭してでも守り抜きますからどうか後生です」

「困りましたねエ。ルクレッア様が誠実な方である事はご理解申し上げております。しかしテレーズ殿、少し冷静にお考えねがいたい。我が家の立場も慮って頂きたいのだ。今すぐにとは申しませんが、重ねて申し上げますぞ! そもそもはそちらの行われた横紙破りの結果がこうなったのだという事をご理解ください。その上で我が家がここまで折れているという事も」


 テレーズとてそれは理解している。

 しかしそれが彼女たちの責任かと問われれば反論はあるしやましい事は無い。

「侯爵様の言い分はご理解致しております。何よりそのお立場でありながらここまで胸襟を開いてお話し戴いた事は感謝いたします」


 テレーズの含みのある言い方に侯爵の目がギラリと光った。

「それでもそもそもの非は私どもにある訳では御座いません。瀕死であった子供たちを治癒したことも何ら咎め立てされる謂れは御座いません。それに二人はハウザー王国の正規の手続きを持って買い入れた者。その事に対しても落ち度は御座いません。そこはハッキリとお伝えいたしますしお含み置き願いたいと存じ上げます」


「フフフ、さすがにテレーズ聖導女殿は一筋縄では行かんようですな。仕方がないが我が家の申し出を少し吟味して頂きたい。落としどころがあるのならば交渉は幾らでも致しますからご連絡を戴きたい」

 そう言って侯爵は席を立つと両手を打ってサーヴァントを呼んだ。


「ご連絡と申されても…」

 テレーズが問いかけると半分に折られたメモを渡された。

「ここに使いの物を寄越して頂ければ連絡はつきます」

 そしてテレーズの耳元でコッソリと次の言葉を告げる。

「出来ればあなたと、或いはその従者とだけで話せれば宜しいのだが。この場所に来て頂ければすぐにでも馳せ参じますからそこでゆっくりとお話も出来ますぞ」

 そう告げるとニコリと笑い部屋を出て行った。


 ★★★★★

「テレーズ先生、私はどうすれば良いのでしょう。全ては私の責任でこの子たちにはなにも落ち度はないはずです」

 ヘブンヒル侯爵が退出した途端にルクレッアは泣き崩れた。


「ルクレッア様、先ほど私が申したようにあなたにも私にも何ら落ち度はないのです。そもそもルイージを生ませた先代のヘブンヒル侯爵が何よりも元凶です。全てはヘブンヒル侯爵家が自分で蒔いた種ですから私達が恥入る事も悔いる事も罪悪感を憶える事も無いのですよ」


「そうですよ、ルクレッア様。あの男はルクレッア様が罪悪感を憶えるように殊更に我々の行為をあげつらい被害者面をして譲歩したように申しておりましたが、全ては自分たちの体面を守り不手際を隠蔽するための言い逃れです。汚い貴族連中の良くやる事ですよ」


 テレーズとケインの言葉で幾らか冷静さを取り戻したルクレッアは涙を拭いて顔をあげた。

「お二人の仰る通りです。でも何よりも一番悪いのはこの国の法律です。平等を謡いながらその実平気で農奴制をのさばらせているこのハウザー王国と福音派が全ての悪の根源なのですから」

 最後にベルナルダがルクレッアの肩を抱いて背中をさすりながらそう言った。



「私は愚か者です。ラスカル王国ではお爺様の教皇猊下が獣人属を人と認めず、その事を何の疑問も無く当たり前と受け止めてきました。そしてこの国に来てルイージとカンナに巡り合いそんな事も忘れてこの子たちに洗礼を授けて皆に迷惑をかけて。思えば国に帰ってもペスカトーレ家がこの子たちを受け入れる筈が無いのに…」


「ハウザーの王都を抜ければ…ラスカル国境へ、北部へ逃げればサンペドロ辺境伯領なら大丈夫です。ラスカル王国に戻られてもロックフォール侯爵様なら必ず保護してくださいます。ですからそう悲観的にならないで下さいまし」

 そう言ってベルナルダはルクレッアを抱いて背中をさすり続けた。


「この子たちの為にも後には引けんな。明日にでもその地図の場所に出向こうかテレーズ殿」

 意を決して小声でそう言うケインにテレーズも頷いた。

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