第142話 夕食会(2)
【2】
「一体何なのだ? マヨネーズなど王都でもめったに出回らぬ物を」
「王都はどうか知らんが、クオーネでは普通に出回っておるぞ」
「クオーネ? どういう事だ? ゴルゴンゾーラ家の領都と言うだけで、ただでかいだけの平民の街ではないか」
ルーク様の返事に対してロアルドが吐き捨てる。
「平民の街かもしれんが、その平民の商人が多数集って賑やかな街だぞ。裕福な商人も数多く移ってきている」
「いくら裕福な者が多くても平民は平民。貴族が集う北部諸州とはそもそも民度が違うのですよ。増長した平民など害悪にしかなりません」
アッパーサーヴァントもロアルドに同調して批判を始める。
「そう言う事だそうですよ。ランドッグ様」
私は皮肉っぽく彼らの会話に口を挟んだ。オーブラック商会長は苦笑いで返してくる。
「違うぞ。コヤツは弁えておる。貴族を立ててその意に従う事こそ教導派聖教会信徒の誇りであろう。それが出来るかできないかで平民の値打ちは変わって来る」
「左様でございますか。さすがはオーブラック商会様。男爵様に対して不遜な会話も無くその意を慮ったご配慮。感服いたしました」
私は深々と一礼してリオニーに耳打ちする。
「お酒をお持ちして。三本とも開けてかまわないわ。もちろん私持ちで」
「ルーク殿! 其方の娘か? レビュタントの準備なのかどうか知らんがもう少し教育をした方がよいのではないか」
「下賤の出の者でご容赦願います。男爵様やルーク様にご迷惑をお掛けいたしましたならお詫び申し上げますわ」
「何をおっしゃる、セイラ殿。客人である其方が謝罪する必要はさらさら御座いませんぞ」
「其の方ここの娘では無いのか? 客人か何か知らんが、同じ客人ならば俺に何か言う事は無いのか」
「現役で爵位を持たれている男爵様にも御嫡男でこの中では次に年長のルーク様にもお許しいただきましたので、お若いですが伯爵家を継がれるご予定のロアルド様にも謝罪いたしますわ」
爵位貴族や年長者が了承している事に若年の者が異を唱えるのは貴族としては不作法だ。特に教導派の教義とは相いれない。
ロアルドは私の当て擦りに顔を真っ赤にして言葉を呑んだ。
「私はこの度カマンベール男爵家の御用商人としてお取引致したく参上いたしました。カマンベール男爵家とは親族にあたりますのでその御厚意に預からせて頂いております」
「商人! こんな小娘が商人とは。親族かも知れぬが実力も無い商人よりも、北にしっかりした基盤を持つオーブラック商会の方がカマンベール領の為になるのだぞ」
「実力云々はともかくセイラ殿は信頼できるのだ。今回の事件でも迅速に誠実に対応してくれたのだから。なにせ我が従妹の愛娘なのだからな」
「親族か。血筋だけで行う親族経営などたかが知れておるぞ。その点オーブラック商会は王都の宮廷貴族にも伝手を持っている。よく考えみればすぐにわかる事では無いか」
ここでもめる必要も無いので急いで話題を切り替える。
「さあ皆さま。私の持参いたしました特製のボトルをお開け致しますのでお楽しみください。カマンベール領のチーズともとても良く合うと思いますわ」
リオニーたちがマデラとシェリーとポートを一本ずつ持ってくると皆の目の前で順番にコルクを抜いていった。
「ルーシー様。氷を入れてお飲みになっても美味しゅうございますよ」
「こっこれはハウザー王国のマデラ酒、この様な物を持参とは。いったいどこから」
「ランドック商会長様は北部の方ですのご存じ無いかも知れませんが、州都のクオーネではかなり出回っております。ゴルゴンゾーラ公爵家肝入りのサロン・ド・ヨアンナで饗されて大人気ですわ」
「ああそれで…。先ほどのコーヒーもワインもクオーネからあなたが持ってこられたのですな」
「ええ、まあその通りですわ」
間違ってはいない…クオーネに運び込んだのも私なのだけれど。
「フム、如何で御座いましょう。オーブラック商会の希望する物をご持参いただければ定価で買い上げさせていただきますぞ。もちろんライオル領迄等とは申しません。カマンベール領でお取引させていただきますよ」
この商人は私を使い走りにしようとでも思っているのか?
欲しい物が有るからクオーネに買いに行ってこい、金は出してやるからという事か。
バカにするにも程が有る。
「運送費も支払われる事無く搬入するのでしたらお世話になっている男爵様の積み荷を優先させていただきます。余分に積むつもりは御座いません。必要なら男爵様に交渉されて二割増し程度でお買い上げいただければどうでしょう。大量に必要ならクオーネの州役所に申請されては宜しいかと思います」
「其の方男爵家の世話になっていると申すなら少しは助けになるように努めてはどうだ。オーブラック商会は男爵家の為を思って提案しておるのだ。東部商人やハスラー聖公国でもできる取引をクオーネを介して買ってやろうと言う好意が分からんようだな」
「まあまあ、ロアルド様。まだまだ子供の申す事ですし、我が商会も男爵様と直接お話ししてご助力を提案致したいと思いますから」
「いや、重ねて申すが交易に関しては我が領は特に窮しておらん。秋の収穫も充分にあったし無理をする必要はない。貸し売りの件はお断りいたす」
カマンベール男爵が重ねてランドッグ商会長の提案を突っぱねる。
「意地を張ってよいのか? 今はともかくこの冬を乗り切れるのか? 男爵家の体面が守れなくなってはどうするのだ。ルーク殿、息子のルカ殿の栄達にも瑕がついてはどうする。娘のクロエ殿も王立学校の立場が悪くなるかもしれんのだぞ」
ロアルドがしつこく絡んでくる。
「そのような事はロアルド殿が口を挟むことでも無かろう。それこそ大きなお世話だ。他領の事を気にかける暇が有れば自領の領民を気にかけては如何か」
ルーク様が腹立たし気に答える。
「それこそ不要な事。我がライオル伯爵家の家臣団を見られたか。下級の家臣ですらあの精強な装備と練度を持って領内を守っておるのだぞ。領内を荒らすものに容赦なく鉄槌を下せる。我らほど領民を守っておる貴族は居るまい」
「その為にどれだけ領民が困窮しているかご存じないとは。州境を越えて行商に来る者たちが嘆いておりましてよ」
耐えかねたメリル夫人も参戦する。
「奥方、男のすることに口を挟むのは如何かと思いますぞ。そもそも農民など少し甘やかせばつけあがる。武を誇って守ってやっておるのに感謝すらせず、供出品さえ出し渋る。安穏に暮らして行けるのは武人の守りが有っての事。それを弁えず女々しく他領で愚痴をこぼすとはもってのほかですな」
「その領民こそが領地を支えているのだ。俺は祖父である先々代の男爵からも先代の叔父上からもそう教えられてきている。もちろん親父殿からも麦を作るもの無くして領地は成り立たぬと教えられてきた。このカマンベール男爵領は永劫に領民の安寧を最優先で考える」
ロアルドの、ライオル伯爵家の考えは私たちとは相いれない。
これが典型的な北方貴族というものの考え方なのだろう。北方三国はハッスル神聖国の宗教的権威を守るため、文のハスラー聖公国、武のラスカル王国の立ち位置を担っている。
ハッスル神聖国の影響の強い北方は神聖教皇の盾であり鉾であるとの考えが強いのだろう。
「体面も守れぬようではルーシー殿もご息女のクロエ殿も上位貴族との婚姻は難しいのではないのかね? 貴族の体面を失してまで守ろうとするその領民も困窮する事に成るのではないのかね?」
「ロアルド様、一体何を仰りたいのでしょうか」
温厚な男爵夫人も腹に据えかねたようで、怒気を含んだ言葉でが聞き返す。
「色々と聞き及んでいるのですよ。カマンベール領内で何やら不穏な事が起きているようだとね。このままではその大切な領民にも被害が及ぶような…、いやすでに被害が及んでいると聞いているのだが」
ロアルドは何か企みが有るのだろう。含みのある話し方で挑発してくるのだが、ルーク様はそんな言葉遊びに興じるつもりは無いようだ。
「始めに申したはずだ、忙しいと。その為に我々は動いておるのだ。それが判っておるなら何の為にやって来たのだ」
「大変な時にお邪魔してこうして接待を受けて申し訳ないとは思っているのだよ」
ロアルドは勿体をつけて話し始めた。
「ああ、まあ大変忙しい時期なので今日以降はもてなしなどできん。それはわきまえてくれ」
ルーク様がそっけなく言い放った。
「おいおい、良いのか? 助けになるかもしれんのだぞ」
ロアルドは上げ足を取るようにおちゃらけた風で話を繋ぐ。
「お前の助けなどいらん! 事情も分からず口を挟まんで貰おう」
「本当に良いのか? 狼の群れが出たのであろう。羊しか収入の無いこの量では死活問題では無いのか? 力になろうと言っているんだ」
席に座るカマンベール家の面々の視線が一気に厳しくなった。
「狼など出ておらん。そのような報告も無ければ、狼が出た事実も無い」
「何を言っておるのだ。我が領にも噂が聞こえて来ておるぞ。カマンベール領で狼が出て羊が被害にあっているとな」
「どこの愚か者がそのような事を言っておるか知らんが、狼など出ておらん。羊に被害が出ているのは事実ではあるがな」
「おいおい、頑なに何を言う。羊に被害が出たのに狼は出ておらぬなど、それこそ愚か者の戯言では無いか」
「くどいようだが狼は出ておらん。出たのは盗賊団だ!」
ロアルドの顔つきが変わった。
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