第142話 夕食会(1)
【1】
マトンを切り分けて行くドロレスメイド長を横目で見ながらカマンベール男爵がロアルドに問いかける。
「今日お連れになっておるその随員はどういうお立場の御仁なのかね」
ロアルドは彼の右に座るビロードの豪華な衣装を着けた中年男を掌で指して答える。
「我が家が懇意にしているオーブラック商会のランドッグ商会長殿だよ」
「この秋は羊毛の値下がりで良いお取引が出来なかったと手代より聞いて心を痛めておりました。この折に商会長自ら御挨拶にとま借り越しました」
この男がオーブラック商会の首魁か。なかなか食えなさそうな男だ。
しかし
しかし商人を連れて騎兵を侍らせて歩兵を従えて…軽装鎧に槍を持たせても警備要員では通らないだろう…いったい何が目的なのか読めない。
「その隣は俺のアッパーサーヴァントだ」
ロアルドの左横に座る二十代後半と思しき男が男爵に無言で会釈をする。
俺の…という事は伯爵家では無くロアルド付きの執事なのだろう。
切り分けられたリブステーキをカマンベール家のメイド達が配って回る。来客三人に対しての給仕はパブロが全て引き受けている。
ライトスミス商会の職員たちは主に厨房での調理と片付けの対応をしており、ホールと厨房を行ったり来たりしている。
でその実態は、厨房の裏の倉庫に設えられた兵士と御者併せて九人の接待という名目での監視である。
リオニーには暖を取る為にとの名目をつけて真っ先に蒸留酒を出すように命じている。食事はホール優先だが飲み物にまで文句は言われない。
普通はビールであろうが、兵員などは早急に酔い潰しておくに越した事は無い。
例の蒸留酒を瓶に詰めて十本運ばせておいた。
ウルヴァからの連絡では早速手持ちの干し肉を齧りながら飲み始めているそうだ。空腹で100プルーフを超える蒸留酒なら直ぐに酔いつぶれるだろう。
「たかが羊肉と思ったが香辛料が良く利いていてなかなか旨いではないか。俺が押し掛けたせいで気を使わせてようだな」
上機嫌でリブステーキに齧り付いている。
二年ほど前にこの近辺の湿地で採れるハーブを活用する方法を教えられたとかで、肉料理に活用するようになって格段においしくなったそうだ。更に私たちがハウザー王国より輸入している香辛料も安く手に入るようになったのでプチ贅沢としてこんな料理も楽しめるようになった。
ロアルド、別に普段から調理しているものでお前の為の特別料理じゃあないんだよ。
「このような香辛料も田舎では中々手に入るまい。無理な散財をさせてしまい申しわけなく思うよ」
「そこまで高価な物でもございませんよ。存分にお召し上がりくださいな」
ルーシーさんが微笑みながら答える。
「いやいや、レディールーシー。ご無理なさらずともこのワインにしても王国西部より取り寄せられたのでしょうが入手も困難だったことでしょう」
なにを優越感に浸っているのだろう。
東部を大回りしてカマンベール領に入る陸路ならともかく、南部西部と河筋を伝って遡上する河船の運行なら距離は格段に近い。
今では月に二回も大型船が定期運航している。重労働ではあるが賃金も良い河船の曳航は河辺の農村の収入手段にもなっているのだ。クオーネ迄の小型定期船なら毎日出ている。
なによりこの南に下る河筋は冬季でも凍結しないし河筋は雪もつもらない。冬場雪で塞がれる陸路より条件はずっと良い。
「我々北部領ではハッスル神聖国やハスラー聖公国との通商交流が有るので最先端の文物も商品も入ってくる上、王都の流行もそのお膝元と言う感じでしょうか。わたくし共オーブラック商会が尽力致しましたなら直ぐにでも王都の最先端が手に入りますぞ」
「何よりこれから春の雪解けまでは東部や北部の街道筋は軒並み閉鎖されてしまう。東部や北部に繋がる道筋はライオル領の南東の関一つだけですからなあ」
オーブラック商会の商会主も盛んにアピールしてくる。。
街道筋でもアヴァロン州内へ向かう街道は半分近くが開いている。北部や東部に拘らなければ陸路も沢山あるのだがハッスル神聖国至上主義の彼らはそう言う考えに至らないのだろう。
食事が終わり肉が片付けられる。
本来は食べ残しが使用人の食事になるのだが、カマンベール家では通常は使用人も同じ食事をとる。
今日も使用人分は別に取り分けて置いてあるのだ。
残った肉はそのまま厨房の裏の納屋に運ばれて行った。納屋の兵士たちが歓声を上げた声が厨房を通してホールにも聞こえる。
「品の無い! 後で叱っておかねば」
ロアルドが舌打ちをする。
「寒い中を行軍してきたのだから、その程度多めに見てやる寛容さも必要だぞ、ロアルド殿」
男爵がやんわりと諭す。
「痛み入り申す」
ロアルドは忌々しげに男爵に頭を下げる。
「まあまあ、これから夜も更けてまいります。少し寛いで暖かい飲み物でも頂きながら歓談でもいかがでございましょう」
メリル様がそう言うと厨房に向かってベルを鳴らす。
「ウルヴァちゃん、貴女のお得意のコーヒーを入れて頂けるかしら」
「はいメリル奥様」
ウルヴァがハキハキとした声で厨房から出てくるとメリル様に一礼してまた厨房に帰って行った。
メリル様は最近アーモンドオーレにハマっているのだ。
「コーヒーですか。珍しい飲み物ですなあ。高価な物だがもともと南の蛮族の習慣だ。やはりラスカル貴族はハーブのお茶が良いですぞ。ハウザーから茶葉も仕入れております故融通いたしてもよろしいのですが」
ランドック商会主は勿体ぶりながらそう言った。
ハウザー経由でなければコーヒー豆は手に入らない。ただ茶葉も南方よりハスラー商人が取り寄せているもので北で茶葉はとれない。
おまけに同等の品質ならハウザー経由でもライトスミス商会なら手に入る。
「まあそう仰らずにお試しくださいませ。本当によそでは飲めない素晴らしいものなのですから」
「わたくしも王都で暮らしておりましたのでコーヒーも良く嗜みました。王都のアロマには届かぬものの良い豆なのでしょう。いただきます」
アッパーサーヴァントがイヤミ交じりに言う。
ウルヴァがティーポットと茶器を乗せたワゴンを押しながら入ってきた。
パブロがそこから三人分のカップを準備するとティーポットを取ってコーヒーを注ぐ。あたりにアーモンドの香りが立ち込めた。
「こっ…この香りは?」
「嗅いだ事の無い芳香だ」
「お毒見は必要で御座いましょうか」
パブロがロアルドに向かって聞いた。
「ひっ…必要ない」
ロアルドの答えに頷くと三人にカップを回し始めた。
それを見てウルヴァも家人たちのコーヒーを注ぎ始める。
「ミルクと蜂蜜を入れるとさらにまろやかで美味しくいただけますわ」
ロアルドもアッパーサーヴァントも無言でアーモンドオーレを飲んでいる。
「これは、豆が違うのでしょうかな? それとも淹れ方に工夫が有るのか。如何ですか男爵様。この豆の入手先を教えて頂ければオーブラック商会が便宜をお諮りいたしますよ。いえ、コーヒー豆云々では無く行商人だけの取引ではお困りでは無いのですか? ロアルド様よりカマンベール男爵領がお困りであろうから手助けをしてやれと申し付かりましたので、ロアルド様のお顔を立てさせていただきに参りました」
この商人もひどく上から目線の感じの悪い男だ。
「お気持ちだけ頂いておく。今のところ困った事は起きておらんのでな」
男爵もさぞ不快だったのであろう木で鼻を括ったような返答を返した。
「まあ今はそうかも知れませんが、これから冬の間は人の行き来も途絶えてしまいます。私どもなら雪が降ってもライオル領から半日でこちらに来ることも可能でございますぞ」
「それも必要無い」
男爵の返答にランドック商会長は何か勘違いをしているのだろう。更に話を続けた。
「もちろん分かっておりますとも。冬の間は手元不如意になる事は当然でございます。春までの貸し売りも考慮させていただきますとも、信義に熱いカマンベール男爵家の事そこは信用申しております。利息も三割と申しあげたいところですが月に二割五分で構いませんとも」
北部ではこの利息で当たり前なのか? たしか王法では年率二割が上限だったはずだろう。
まさに闇金じゃないか。お前らは萬田の兄貴か? ウシジマくんか? まあトイチやトゴーじゃないからまだマシか。
「そんな暴利払える訳が無かろう。ふざけるのも大概にしろ」
ああ、やっぱりマシじゃなかったね。常識的に考えて暴利だよね。
「もちろんそこも心得ておりますぞ。北部の山あいの一部を担保にしていただければ利息は一割まで下げましょう」
「もう良い! 話にならぬ。この話はここ迄だ!」
「少々ご提案が早急過ぎましたかな」
「ドロレス。悪いが酒を出してくれ。こんな下らない話素面で聞きたくもない」
ルーク様が耐えかねた様に言う。
その要請に応じてチーズやベーコンやハム、パンにマヨネーズの壺もテーブルに並べられる。
「これはマヨネーズか?」
ロアルドが驚いて目を見張る。もちろん今朝リオニーが作った新鮮なマヨネーズだ。
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