第109話 相見積もり

【1】

「高等学問所は少々酷すぎました。アナ司祭様、治癒員から人を割いて彼らの健康管理と栄養管理をお願いいたします。それから食堂のメニューは選択式ではなく日替わりで決まったメニューを出しましょう。でないとあいつらは野菜を食べないから」

 昼食時、義父母とジャンヌに加えてアナとニワンゴも同席してもらった。


「セイラさん、一体何が問題なんですか?」

「あそこは研究以外の生命活動を放棄した引きこもりの巣窟になっているのよ。このまま放おって置くと本当に命を削って研究に没頭してしまう事になりかねない程に」

「すみません。私が頼りないばかりに…」

「別にニワンゴ様のせいではありませんよ。大人だと思って自主性に期待した私達領主家が間違っていたのです。少々厳し目の規則で生活態度を改めさせれば良いだけですよ。業務の運営は滞りなく、イエ期待以上に進んでいるのですから」

「それなら、騎士団から寮監をつけて管理させよう。それでだいぶ変わるだろう」


「しかし食堂の管理を任せた二人は何をしていたのでしょう。厳しく言い聞かせておかないと…、人選を間違えましたかしら」

 給仕でついているアドルフィーネが眉間にシワを寄せる。

「それは止めてあげて。研究者が酷すぎたのよ。あの娘たちも頑張っていたようだから。それより研究者の栄養管理をあの娘たちに任せて治癒術士と研究させれば新しい栄養の学問が開けるかもしれないわ」

「それは良いですねえ。不健康な人間のサンプルが山ほどいるのですから。健康状態の推移と食生活の管理。医食同源ですよ! アナ、是非お願いします。私も色々とアイディアを出しますから新しい栄養学を作ってみましょう」

 ジャンヌがとても乗り気になって目を輝かせている。


「それで義父上、シルラ副司祭はどのような方なのでしょう。あまり信用は置けなさそうな方と見受けましたが」

「そうだな。信用はできんが小物だからこれと言ったことも出来まいよ。なあニワンゴ司祭長」

「小物だなどと。高等学問所や治癒院の運営に邪魔にならない良いお方です。聖教会工房の新設や救貧院の廃止の邪魔さえされなければ何も問題はございませんよ」

「ドミンゴ司祭と比べると足元にも及ばないな」

「そんな…ドミンゴ様は別格で、それはそれはご立派な方ですから…」

 ドミンゴ司祭の本質を知りながら、顔を赤らめてこんな事を言ってのけるニワンゴ司祭長ならば さして心配することもないのだろう。


「お二人はそうおっしゃいますが、野心家で強欲な方だと思いますわ」

 二人の楽観論にアナが釘を刺す。

「この領の聖教会はずっとロワールからやってくる教導派司祭たちの食い物になっていたようですわ。この領で利権を貪って出世して他領に移る。あのシルラ副司祭はそれをずっと見ていたのでしょうね。上が居なくなって自分の番が回ってきたと思えばニワンゴ様が利権の元も贅沢品も全部叩き売ってしまって何も残らなくなりそうなので焦っているんでしょう。子鼠でも噛みつくときは噛みつくものですわ。侮ってはなりませんよ」

 ルーシー義母上の言葉にフィリップ義父上は慌てて首を縦に振った。

「いや侮っておる訳では無いぞ。しかしルーシーの言う通り聖教会工房が軌道に乗るまでは気を抜かぬ事だな」


「それでジャンヌ様はこれからどうなさいます。これと言ってお持て成し出来る様な場所も御座いませんが、場内で寛いでいただければ…」

「いえ、ルーシー様。セイラさんにもお話しましたが、村々の説得をしたいと思っております。アナ、村々の案内に修道女を付けて下さらないかしら」

「それならば私が…」

「ダメよ。あなたは治癒院のお仕事が有るわ。公衆衛生指導や健康指導もしたいのでその方面に明るい人で出来れば地元をよく知っている人が良いのだけれど」

 そう言う事で早速ジャンヌは午後から近郊の村を回る事になった。


 ジャンヌがアナと治癒院へ戻った後、私と義父母とニワンゴでこれからの方針の相談を始める。

「商工会の幹部、地主、それから村長も世襲よね。その辺りとシルラ副司祭は繋がっていると思うの。それでニワンゴ様は聖教会の何を売り払ったのですか?」

「不要と思われる物はだいたい…。でもシルラ副司祭やその配下の聖職者の私物には何も手を付けておりませんよ」

「と言う事は私物以外は」

「ええ、前任の司祭長や司祭達、それにロワールからの派遣の聖導師や聖導女たちの部屋の物は全て。それに隠し部屋の物も…、ゴルゴンゾーラ公爵夫人からご紹介していただいたアヴァロン州の古物商に売り払いました」

「でもよくそんなに私物が残っていたのですね」

「ああ、それは退去の期日を二日後にして、商人の出入りも止めて強制査察を入れると迫ったものでな。馬車の手配もアヴァロン商事以外は入れない様に準備しておいた。奴ら鞄一つで退去する羽目になったんだ」


 義父上は聖教会への商人の出入りを封じて査察の脅しをかけたのだ。ロワールの聖職者は鞄に貴金属を詰め込んで逃げ去り、後に残された骨董品や美術品や家具はニワンゴが売り払ったと言う事だ。

 おまけに借金の貸付証文もカンボゾーラ子爵家の印の有るもの以外は無効化し、提出書類には厳格な調査を入れた為、不正貸し付けの証書も全て遺棄されていたらしい。

 隠し倉庫には金のインゴットや金や銀の彫刻品が隠されていたと言う。


「そう言えばゴルゴンゾーラ公爵夫人の紹介があった古物商と仰いましたが、合い見積もりを取ったのでは無かったのですか?」

「ええ、私はそんな商人に伝手は御座いませんから、心当たりのある方に紹介して頂きました。ライトスミス商会、ロックフォール卿、ボードレール卿、アヴァロン商事、そしてゴルゴンゾーラ公爵夫人。もちろんシルラ副司祭にもお願い致しましたよ」

「それは非公開でですか?」

「もちろん、金額を公開すると差し障りも有りますし。査定理由も明示して頂きました。シルラ副司祭の推薦された商人は慣れていらっしゃらないのか査定理由が些か不明確で困りましたが」


 そう言う事なのか。

 シルラは中抜きを企んだのか仲介手数料を要求したのか、それで商人連中に不興を買ったのだろう。

 そもそもこの領地の商人に相査定などという考えなど無かったのだろう。ニワンゴはそれで余計に恨みを買ったのだ。

 こういう商売事の交渉はニワンゴには難しいかも知れない。

 相見積もりにアヴァロン商事やライトスミス商会の息のかかった者がいるなら、やりようによってはもう少し売却価格を吊り上げられたかもしれないからだ。

 ニワンゴには交渉担当と護衛を兼ねてセイラカフェのメイドを付ける事にした。


 後はシルラ副司祭の裏金の遮断だな。

 聖教会の帳簿管理や査定は高等学問所の研究員に任せて徹底的に調査して貰えば良い。

 数学オタクの彼らなら重箱の隅を突くような細かい査定をやってくれるだろう。

 私は金の流れを調べてその大本を断ち切る事にしよう。

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