第98話 アヴァロン商事組合(2)
【3】
最近クオーネの街に大きな箱を背負った獣人属の子供たちを目にするようになった。
マヨネーズ売りとか言う小僧たちだ。一壺銀貨七枚以上する高いソースを売り歩いている。
こんな掃き溜めみたいな倉庫街の荷受け場で商売になるのかと思っていたが、なかなか考えたものでマヨネーズを塗ったパンも売っている。
この辺りでも売っているゴッダードブレッドだが、ラードを塗ったこの辺りの店の物じゃ無く本場のマヨネーズを塗っている。銅貨二枚分くらい割高だが味が全然違う。
それに向こうから売りに来てくれるのが嬉しい。一々食いに行く手間が省けるというものだ。
あちこちの倉庫の前や荷受け場に箱を降ろして、注文に応じてその場でハムやチーズを乗せた本場のゴッダードブレッドを作ってい行く。マヨネーズの量り売りもしてくれるので、金の無い若い奴らは持ってきた古い黒パンにマヨネーズだけ塗りつけて食べている。
それに予約注文も受け付けて持って来てくれるのでとても便利だ。最近ではまとめ買いの大口注文を行う事務所も有るようだ。
それにしても予約先をよく間違えないものだと思っていたが、届け先と注文名を小さな黒板に書いているそうだ。
「おい、チビ助。お前字が読めるのか?」
「はぁ? 読み書きが出来なけりゃあこの仕事は出来ねえよ」
「ゴッダードブレッドとマヨネーズを売るだけで何が読み書きだ。そんな事おぼえておけば良いじゃねえか」
「儲けようと思えば、明日の仕入れの量や帰ってからの売り上げの伝票造りやら読み書きが出来ねえと困る仕事が一杯有るんだよ」
「はあ? そんな事は雇い主か事務員に任せりゃいいだろうがよ」
「事務員なんか雇える金が俺にあると思ってんのかよ。任せられるなら任してえよ!」
「お前の働いてる店は事務員も居ねえのか? ライトスミス商会って言やあ大店じゃあねえのかよ」
「おっさん、勘違いしてねえか? 俺たちはライトスミス商会に雇われてるわけじゃねえんだよ。ライトスミス商会からマヨネーズを仕入れて売ってんだ。秤や道具は格安で商会から借りてるし仕事のやり方も教えてくれる。儲けは全部自分のもんだけれど出来る事は全部自分でやらなきゃあいけねえんだよ。仕事だってマニュアルとか言う本を読めねえと全部は覚えられねえんだ。読み書きと計算は必須だぜ」
「何だよそれは? 店で物を売るだけなら本なんて読めなくても値段を覚えて払いを間違えなけりゃあやってけるだろうが。この辺りの店の親父でも字なんて碌に読めねえぞ」
「そんなんで仕入れや原価計算はどうするんだよ。帳簿も付けられないで儲けが判るのかよ」
「…なあお前。それならどこかの大店ででも雇って貰えるだろう。いっぱしの事務職で働き口だってあるだろう」
「まあ今より高い給金がもらえれば考えるけども、働いた分自分の物になるのは魅力だぜ。成人式を迎える迄の子供の為の仕事だけれど、それ迄はマヨネーズ売りを続けるさ。その先は出来りゃあライトスミス商会で働きたいけど、そうなるにはせめて簿記の実力を磨かねえとな」
「…簿記ってなんだよ。そもそもお前そんなこと何処で習ってんだ? お前は一日で幾ら儲けてるんだ?」
「簿記はまあ金儲けの記録みたいな物かなぁ。聖教会教室で文字と算術を習って、マヨネーズ売りの事務所で簿記を教えてくれるんだ。それから俺も儲けは…今日の売り上げなら銀貨二十二枚と少しくらいかなあ。でも道具の賃料や経費や明日の仕入れも有るから純益は銀貨十三枚ってところかな」
「‥‥‥」
このガキ一日で俺の日給より多く儲けているのかよ。読み書きと算術が少しできるだけでこんなにも違うのか。
【4】
この頃わたしの店の前で獣人属の娘がマヨネーズとかいうのを売っている。
一壺銀貨七枚と銅貨三十枚とかえらく高いものだが、量り売りで銅貨一枚分でも売ってくれる。
荷受け場から離れた裏町の飯屋なのだけれど、マヨネーズ売りのお陰で最近は客が増えた。
マヨネーズを買った客はわたしの店で飯を食う時にそれを使って食べると一層美味くなるとか嬉しい事を言ってくれる。
「あんた、今日もそこで売るのかい? あんたの仲間は荷受け場を回ってるんだろう。こんな所じゃたいして儲けにならないよ」
「うーん、でもおばさんのご飯美味しいんだもん。うちのマヨネーズと組み合わせたらすごく合うんだよ」
「嬉しい事を言ってくれるねえ。でっ今日は何を食べて行ってくれるんだい?」
「うふふふ、今日はおばさんに提案。キャベツとね、ソーセージを刻んでマヨネーズをかけて炒めるんだよ。おばさんのソーセージ炒めがさらにおいしくなるからさぁ。今日は私の分を作っておくれよ」
「アハハ、やっぱりあんたも商売上手だね。作ってみた美味かったらウチのメニューにしても良いのかい?」
「うん、そして私も大口のお客さんが増えるからね」
そのマヨネーズ炒めはうちの店の看板メニューになった。あのマヨネーズ売りの娘に勧められて、うちの店でも料理に量り売りでマヨネーズを添える事になった。
あの娘は量り売りはやめてうちに配達と卵の殻の回収に来るようになって暫く経った頃だ。
「ねえおばさん。このお店の料理はこんなに美味しいんだから荷受け場で売ってみない?」
「売れりゃあいいが、あそこに店なんて出せないよ。ウィンストン商店が牛耳っているからね」
「ねえお客さん達。このお店の料理が荷受け場で食べられるなら買うかい?」
「おう、荷受け場のウィンストン商店は不味いシチューと黒パンくらいしかないくせに高いからなあ。ここの飯を食えるなら倍払っても良いぜ」
「ちげえねえ。あのシチューに金を払うくらいなら、堅パンに嬢ちゃんのマヨネーズを買って食った方がましだ。まあ倍は言い過ぎだがな…」
「それじゃあ、この店の料理を銅貨十枚でお昼に持って行くっていうのはどうだい?」
「おし! その話乗ったぜ。俺は明日ゴッダードブレッドとソーセージのマヨ炒めだ」
「よし、おれはサーモンのマヨネーズ焼きとチキンだ」
「シチューも頼んで良いか?」
「冷めても良いなら受けるよ」
「おう、ここのシチューなら冷めてもうめえから構わねえ」
「と言う事でおばさん、明日から宜しくお願いします」
わたしの意見なんて関係なく配達が決まってしまった。
あの娘は服のポケットから紙と細い先の尖った木炭を取り出し何か書き付ける。
「リコさんはソーセージマヨ炒めとゴッダードブレッド、チーズで良いかな? ブルさんはサーモンマヨとチキン…マヨ焼き? ギルさんはシチュー、パンはいらないのかい? 料金は一品で銅貨十枚だからね」
翌日から昼の配達が始まった。配達する数も毎日倍々で増えていって私の店の売り上げは日ましに増えていった。
「なあ、あんた。これだけ注文が増えて良く注文や勘定を間違えないねえ」
「うん、注文票を付けてるからね」
「あんた確か九つだって言ってたよね。その年で字が書けて計算もできるのかい?」
「私はまだまだだよ。あと一年頑張って読み書きや帳簿付けをしっかり覚えて、来年は絶対セイラカフェのメイドになるんだ」
「セイラカフェ? 十歳でメイドになれるのかい? メイドに読み書きや帳簿付けが居るのかい?」
「セイラカフェの見習いになるには必須だよ。もうすぐこの街に店が出来るんだ。前の市庁舎の後に」
「なにか知らないけれど頑張りな。でも読み書きや帳簿付けって誰が教えてくれるんだい?」
「私は聖教会教室で勉強して、今はライトスミス商会でマヨネーズ売りながら教えて貰ってるよ」
「わたしのうちにも娘と息子がいるけどあんたみたいになれると良いんだけどね」
「成れるよ。六歳以上なら聖教会教室で教えてくれるし、工房に行けば働きながら勉強できるよ。読み書きと算術を覚えれば、私みたいにマヨネーズ売りをやりながらもっと色々教えて貰える。それに女の子は十歳になるとセイラカフェのメイドに採用される子も居るんだ。セイラカフェのメイドから貴族や大店のメイドになった子達も大勢いるんだから」
「わたしらみたいな獣人属でも大丈夫なのかねえ?」
「マヨネーズ売りの子達はみんな聖教会教室で勉強してきた獣人属の子が多いんだよ。聖教会工房なら働いてお金を貰って、読み書きと算術迄教えてくれるんだから」
「わたしの娘も先月で六歳なんだ。もし良かったらその聖教会教室に連れてってくれないかい」
この娘が言うんだから間違いないだろう。わたしの子供達もこの子みたいになれるなら聖教会に預けてみよう。
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