第94話 肉料理(アントレ)
【1】
立ち上がったポワトー大司祭の顔色は真っ青だった。
その隣のテーブルで冷ややかな視線を向けてカロリーヌの母が彼を見上げている。
サン・ピエール侯爵夫妻も冷たい微笑みを浮かべてポワトー大司祭に無言の圧力を掛けている。
「皆、聞いて欲しい。この度我がポワトー伯爵家の一員の者が不祥事を起こした。一部は市井の民草の間で噂になっているので漏れ聞いている者もいるかも知れないが、仔細を報告致したい」
そう切り出したポワトー大司祭はチラリとカールに一瞥をくれると話を続ける。
「皆知っての通り我が父ポワトー枢機卿は重病の為昨年命を落とすところであった。それを今日お招きしておるセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢殿に治癒していただいた。そのセイラ殿に襲撃を企てた不埒者が出たのだ」
「すまない、父上。そこから先は俺が説明したい」
ポワトー大司祭の話の腰を折って、カール・ポワトーがいきなり話し出した。
明らかに自信満々で、母とその実家のサン・ピエール侯爵夫妻の視線を自分への庇護と解釈しているのだと思われる。
「先ず先に、セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢とジャンヌ・スティルトン女史に謝罪を致したい。先日は俺の部下がお二人にご迷惑をお掛けした。お詫び申し上げる」
そう言って私たちに会釈程度に頭を下げた。
私たちの前に謝罪すべき相手は数多いる。それに口先だけの謝罪で済むような話では無い。
何より全てを従卒に押し付けて保身を図ろうとしている魂胆がミエミエではないか。
怒って立ち上がろうとする私の肩がすごい力で抑えられいる。
いつの間にかナデテが私とジャンヌの肩に軽く両手を乗せているのだが、立ち上がろうとしてもビクとも動かない。
アドルフィーネが
ジャンヌと顔を見合わせてお互いに目配せして座り直す。仕方が無いので言い訳を最後まで聞いてから、キャンと言わせてやろう。
「あの男、何を賢し気に…。後でキャンって言わせてやる」
「ジャンヌ様ぁ、お言葉がぁ」
「こう言うところはぁ、ジャンヌ様もセイラ様も良く似てらっしゃいますぅ。お怒りになるポイントがぁ、同じですぅ」
「いつもはお上品ですのに、お怒りになるとそう言うお言葉になるのですね。セイラ様はいつもそんな口調ですけれど」
「アドルフィーネ…」
「ごめんなさい。これはきっと父の影響ですね。正義感の強い人の不幸に我慢できない人でした…」
「そうですよねぇ。ジャンヌ様のお父様はとてもご立派な騎士様でしたものねぇ。正義の騎士と慈愛の聖女のご両親ですものぉ」
ジャンヌは恥ずかしがって顔を伏せてしまった。
ナデテの言う通り幼くして亡くしたという両親の血を彼女はシッカリと受け継いでいるのだろう。
その間にもカールの弁明は続く。
彼の従卒がジャンヌと私の命を狙い馬車を突入させた事、そしてそれが全てシェブリ伯爵家の罠で、従卒はその手先だった事をつらつらと述べて行った。
「ですからファナ・ロックフォール侯爵家御令嬢様、すべてはシェブリ大司祭によって仕組まれていた事なので御座います。従卒が彼奴らの手の者だった事を見抜けなかったのは俺の不徳ではありますが、俺も被害者の一人なのです」
「その弁明だけは聞いておくのだわ。シェブリ伯爵家が関わっている事は分かったのだわ。だからと言ってすべて信じたわけでも無いのだわ」
ファナらしい辛辣なセリフである。
「でも、ポワトー大司祭様。今日のお話はその事だったのかしら」
「いや、その事だけでは無いのだ。それより重大な不祥事が発生しておる」
「これ以外に何か不祥事が発生しているのですか…」
カールの顔に不信と少しの怯えが走った。その質問の言葉も尻すぼみになって行く。
「ゴルゴンゾーラ公爵邸に暴漢が暴れ込んだ」
「そっそれと我がポワトー伯爵家がどう言う関係が…」
「その暴漢を雇い、先の子爵令嬢誘拐未遂事件の関係者を殺そうと謀った者がポワトー伯爵家の者だったのだよ」
「父上! それは嘘だ! 騙されている。証拠も証言も得る事は出来ないはずだ」
「あら? 何故そうお思いになるのかしら。
「そうか。誰か関係者が何か言ったのか? 俺の従卒か? それならばシェブリ伯爵の手の者だ。奴らの陰謀に違いない」
「何を狼狽していらっしゃるのかしら。何かお心当たりでもあるのかしら」
「当然だろう。我がポワトー伯爵家が貶められようとしているのだ。その様な事を企むのはシェブリ伯爵家しか無い!」
「その割にはカール様はアントワネット・シェブリ伯爵令嬢とお親しかったようなのだわ。その憎いシェブリ伯爵家の令嬢と卒業後も、特に年が明けてからは頻繁にお会いしていたようなのだわ」
「それは在学中の誼が有ったからだ。会ったのもマルカムの件で…、そうだ、そうなのだ。マルカム・ライオルの件が有ったから質問されていただけだ」
「そのお話には随分深く関わっておられたようなのだわ。クロエ様誘拐未遂事件の折も休みを取って出向いておられたようなのだわ」
「だから何だと言うのだ。そうさ、休みを取っていたがそれがどうしたと言うんだ。ただの偶然じゃないか。それとも…そうか! 俺の従卒が何か言ったのか! そんなこと誰が信じる。騎子爵の息子ごときが…全てシェブリ伯爵家に、アントワネット・シェブリに騙されているんだ」
「ええ、その様ね。アントワネット・シェブリに騙されていたのかしら。貴方も含めて皆がね」
「俺は違う。従卒の言う事など当てにならん。奴が何を知っていると言うのだ」
「従卒が何を言ったか知らないかしら。でもね、
「いったい何を言っている! 俺が何をしたと言いたい!」
「クロエ様襲撃の仮面の男は貴方だったのではないかしら。襲撃に託けて邪魔に成ったマルカム・ライオルを殺したのも貴方だったのではないかしら。素性を知られたかもしれないケインを暗殺するよう命令したのも」
「嘘だ! そんな事あり得ない。三人とも生きたまま捕縛するなんて、三人とも公で証言するなんて」
「嘘ではありません! 三人は私の前で全て懺悔いたしました。全ての罪を悔いクロエ様誘拐未遂の日からゴルゴンゾーラ公爵邸襲撃までにあった事の全てを。
「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! そんな事有り得ない。絶対に…そうだアントワネット・シェブリの陰謀だ。俺のせいじゃない!」
「もちろんアントワネット様の陰謀でしょう。だからと言ってカール・ポワトー様の行いが許される訳ではありませんよ。あなたは
隣に座る私にもジャンヌの怒りがビンビンと伝わって来る。彼女は自分と境遇が似ているケインにもテレーズにも深く肩入れしている。教導派の身勝手によって肉親を殺された二人に同情しているのだから。
私だって殺されかけたルーシー様を見た時は冷静でいられなかったのだから彼女たちの悲嘆はとても良く解る。
「それでどうせよと言うのだ。この俺にどうせよと言うのだ。死んだのは只の騎子爵で脱走騎士のマルカム・ライオル一人ではないか。ケイン・シェーブルだってただの近衛騎士ではないか。それに襲撃は失敗したのだろケインは生きているのだろ」
「カール様、
「セイラ様、貴族であるあなたならお分かりになるでしょう。主命を守って命を落とすなら騎士の本懐、名誉な事ではないですか。平民や騎子爵なら陞爵されて名誉を賜れる」
カロリーヌを含め女性の何人かはその言動に眉を顰め不快な顔をしているものが居るが、大半の者はその言葉に深く頷いている者や、さも当然と済ましている者が多い。
「さあ、俺はどのような罪でどんな処分を下されるのですか父上。家名を傷付ける様な事をしたことは陳謝いたします。謹慎でも降格でも甘んじて受ける所存です」
それを聞いたポワトー大司祭は血の気の引いた顔で震える声を絞り出した。
「ならば、我が養子カール・ポワトーを廃嫡とし養子縁組を解消致す」
会場の全ての客からどよめきが起こった。
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