閑話21 福音派の造反者(2)

 ★★★

 デキャンターのワインが半分ほど空いたころヘブンヒル侯爵はやってきた。

「少々待たせたようだね。まあくつろいで…くれているようで良かったよ」

 少し残念そうな口ぶりでそう言って向かいに腰を下ろした。


 彼としては外の賭場の雰囲気に気圧されて緊張している相手の方が御しやすかったのだろう。

 そういった意味でも先入観を与えずにここに呼び出したのは正解だろうが、そう思惑通りになってたまるものかとケインは腹の中で毒づいた。

 テレーズとて酒が飲めぬわけではない。

 中々良いワインだったし二杯ほど口にして緊張も解けたのはケインのおかげだろう。


「しかしご提案した翌日にこうして来て戴けるとは思いもよりませんでした。ありがとうございます」

「私どもも子供では御座いません。ヘブンヒル侯爵様のお立場も理解いたしました。ただこちらの立場もございますの簡単にのめる提案では御座いません」


「とっ申しますと?」

 テレーズの言葉にヘブンヒル侯爵の目がきらりと光った。

「説得を行うにしても、話し合いで妥協点を見出すにしても、手間はかかるが我々を通してほしいと言う事ですよ。未成年の子供たちに負担をかけるのは控えて欲しいと言う事です。プレッシャーを与えてあの子たちが頑なになって困るのはあなたたちですよ」

 ケインが今回の一番の要求を告げる。


「それは心得ているさ。だからテレーズ殿に密かにこの場所を伝えたのだよ。お望み通りもう直接ルクレッア殿には接触はせんよ」

「それともう一つ。私どもはいくら侯爵様が言葉を紡がれようと信用ができないのです。お立場上ルイージとカンナは居なくなる事が侯爵様にとっては一番都合がいい。その二人をどれだけ甘言を並べられようともお手元に引き渡すのは納得しかねるのです」


「そうおっしゃられると交渉は不可能に思えてまいりますが? 農奴二人に破格の条件ですよ。我が手中にあっても何もせずに死ぬまで贅沢な良い暮らしができるのですよ。この先の事をどこまで保証できるかはともかく、五年十年で死ぬようなことにはならないと保証しますが」

「何もせず、外にも出れず、うまいものだけ食べていることが果たして生きていると言えるのですか? はなはだ疑問ですね」


「理想論! 聖職者にありがちな感情論ですよそれは。子供たちだって一時は思い悩んでも世の理を理解すればすぐに忘れるでしょうに。それにこう言ってはなんですが高々農奴の事では御座いませんか」

「ええ、こちらの国ではそうでしょうが、それならばルクレッア様のご尊父たちは高々獣人属の言い分になぜ従わねばならないとおっしゃると思いますが」


 その言葉を聞いてヘブンヒル侯爵は顔を顰めて腹立たしそうに言った。

「まあそう抜かすでしょうな。あの教皇の一族なのだから。しかしそれならばルクレッア嬢があの二人を連れ帰ったところで今と何ほどに立場が変わるというのです」

「ああ、侯爵の仰る通りだと思いますがそれはルクレッア様の気持ちの問題ですよ。ただその説得はあなたには出来ない。それができるのはルクレッア様が唯一信を置くテレーズ聖導女だけだ。そしてそのテレーズ殿はあなたの仰る理想論を曲げるつもりはないと言う事です」


 ★★★★

「これは…長い話になりそうですな」

「ええこのままでは平行線でございますものね」

「とっ仰るところを見ると妥協点を見出す事への話し合いはしていただけるのですかな」


「ご存じのように私たちはお金を欲しているわけでは御座いません。まだ話を詰めているわけでは御座いませんが、ですからこちらからもお願いが御座います」

「ふむ、金の代わりにと言う事ですか。まあ出費は抑えられるならその方がよいのですが…。それでその条件を吞めば私どもに引き渡していただけるという理解で宜しいのかな?」


「いえ、これは条件の提示の第一段階です。この条件が吞めるかどうか、実施可能かどうかで次の検討に入らせていただきましょう。その時には何らかの妥協案をご提示いたしましょう」

「何らかの? 含みを持った仰り方ですな。まあその口調ならば腹案があると言う事でしょう。わかりました。その要望とやらをお聞きいたしましょう」


「何よりも子供たちの無事な帰国が第一条件すね。神学校での第二課程を終えれば必ず秋までにラスカル王国に帰国させることだ。当然五体満足で何一つ問題なく、それが第一番の最重要の要求ですね」

「それは当初の予定通りの帰国と言う事でしょう。ならば王家か聖教会に依頼していただくことで…」


「お判りになっているのでございましょう。それを王家や聖教会が通さない可能性があると言う事を。ですから南部派閥のお力もお借りしたいと言う事なのです」

「それは我ら第三王子派に助力を…」

「先ほど申しました通り対価としてで御座います。これ以上に政争に巻き込まれたくはございません」


「中々に交渉に長けたお人だ。ここまで隙が無いとはやり難い限りですな」

「腹を割ってお話しますよ。この賭場は南部の貴族の資金源の一部なのでしょう。俺も聞いた事があるのですが、メリージャのバトリー大司祭がこのリバーシ盤の利権を握っているとか。そしてそのバトリー子爵家は南部の果て、元バトリー公国。と言う事は少なくとも王都からメリージャに逃げる伝手は持っておられると踏んでいるのですが如何ですか?」


「それをここに来て賭場を見てから考え付いたのなら大したものだ。只の平民出の聖堂騎士ではなさそうだな」

 ヘブンヒル侯爵は言葉を続けた。


「だがな。農奴の二人は王都から出さんぞ。これは譲れん一線だからな。それを理解しての申し出であろうが念は押しておく。そしてラスカル王族の留学生とお前たち七人は我々の伝手があればサンペドロ辺境伯領にはたどり着けるだろう。確約は出来んが方法はあると言う事だ」


 もうヘブンヒル侯爵も二人に気を使う事は止めた様で、砕けたある意味横柄な口調に変わっていた。

「わたしどもは別にどの王族にも肩入れをするつもりは有りません。出来ればどこにも関わらず平穏にこの国を出たいのです。そもそも留学生たちは本人の意思など関係無く親の政争に巻き込まれてここに送られてきただけです」


「それは我らに一切関係ない。そもそもラスカル王国の留学生は第二王子の陣営に組していると思われているのだよ。積極的にでは無いとしても三択を迫られればそうするだろう」

「同じ清貧派ですし農奴の解放は私どもの悲願ですからね。それでも農奴の解放を是とするならその陣営を支持する事も可能です」

「それは…話にならんな。北部貴族以外はそんな要求は呑む事は無い。これは王が変わっても変わらんぞ。中部や南部の貴族の利害は覆らん。北部やラスカル王国が綿花で潤うのも南部の農奴制が有ってこそなのだからな」


「ええ、存じております。農奴制の根深さは理解致していますよ。どの陣営を支持しても直ぐに農奴制が無くなる事は無いという事は」

「…聖職者のくせに狡猾な女だな。利益があるならどこにでも与するという事か」

「何度も申しますが、利益は欲しておりません。最大の望みとしてはラスカル留学生がルイージとカンナを連れてラスカル王国に入国できる事。無理ならば妥協できる方法で最大人数を帰国させられる…絶対条件は留学生四人は名実ともに瑕疵無く帰国できる事」


「その為に我らの裏組織も選択肢に入れるという事か…、そこまで言う所を見れば他の派閥から足止めを食らう可能性が高いという事なのかな?」

「ええ、これは他に遠慮する必要も御座いませんからお話いたしましょう。第一王子殿下はエレノア王女殿下との婚姻を画策しております」


「それを王女殿下も其方らも望んでおらぬという事なら承知した。我らも情報を集めて動きを探ってみよう、そして帰国の手立ては検討してやる。確約はせんし我らの腹次第だという事は肝に銘じておけ。あとはどう折り合いをつけるかの話だ。ここ迄話して我らの交渉は何一つ進んでおらんのだからな」

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