閑話26 福音派留学生(2)

 ☆☆☆彡

「べつにそういう訳でな御座いません。我が家としても馴染んだ農奴を手放したくないだけです。新しい農奴を一から探して、使えるかどうかわからない農奴に仕事を仕込んで…。その手間を考えれば手放さずに使った方が効率が良い」

「それはそうでしょうが、それも皆こちらの皆様が治癒治療を施してくれたおかげでしょう。もし大聖堂の治癒院で治療を受けたならどれだけのお布施が必要だったか」


「そうは仰るが、皆神学生では御座いませんか。テンプルトン子爵家は総主教の職を務めていらっしゃる事は存じておりますが、留学生の方々は未だ叙階も受けていらっしゃらない。大聖堂の治癒院とはわけが違うでしょう」

 それを聞いたテンプルトン子爵令嬢は鼻で笑うと話を続けた。


「勘違いされておられるようですが、留学生の筆頭はラスカル王国の王女殿下。それを考えれば治癒術士として着いてこられたテレーズ先生の実力は見当がつくでしょう。それにこちらのお二人はラスカル王国の枢機卿様の御息女、こちらは大司祭様の御息女。それにラスカル王国は人属の国ですから、ルクレッア様は侯爵令嬢様でハッスル神聖国の教皇のお孫様ですよ」


「テンプルトン様、その様な事は…。私は一介治癒術士として、テレーズ先生の弟子として申しているだけで」

「ルクレッア様あなたがどう思おうがペスカトーレ教皇家の威光はついて回るのですよ。ですからシエラノルテ子爵家もここで折れて頂きたいものです」

「王族専任の治癒術士と教導派教皇家の直系の御令嬢の治癒施術…。仕方ありませんそちらの言い値でお売りいたしましょう」

「お判りいただいて感謝いたします」

 シエラノルテ子爵家の代理人とテンプルトン子爵令嬢のやり取りに、ルクレッアは納得行かない。

 人を売り買いする事、そしてそれが本人と関係なく決められる事に我慢ならないが、それでも折れる事にした。

「それでも人二人が私のドレスよりも安い価格で…」

「でも、これが豚や牛を買うのならそうも思われないでしょう。農奴とはそう言うものなのです。ですからその農奴に適正価格以上の高額な支払いをするという事は貴族として舐められて侮られるという事なのです。御悔しいのでしょうが御辛抱なさって」


 この一年でルクレッツアの考え方もテンプルトン子爵令嬢の考え方も大きく変わった。

 それはこの女子神学校の一年の生徒全体に言える事だ。

 身分の差別に種族の差別にそして男女の差別に疑問を持つようになり農奴制の存在を不快に思うようになってきている。

 なにより聖教会の教義に縛られる事に不快感と不満が高まっているのだ。


 ☆☆☆☆彡

「…二人で金貨十枚?」

「これでもかなり高価ですわ。本来なら一人金貨三枚、それに男の子は障害が残るかも知れない。二人で五枚でも十分な価格です。ルクレッツア様のお気持ちは解りますが、ここはそういう国なのです」

 テンプルトン子爵令嬢は慰める様にルクレッツア・ペスカトーレ侯爵令嬢にそう言った。


「ごっ…ご主人様?」

「ちっ違います! あなたたちの母上から私が託されたのです。もうあなた達は自由です」

「「…?」」

「ルクレッア様、この子たちはあなたが仰っている事を理解できていません。これまで農奴として暮らしてきて、それしか知らないのです。あなたが何と言おうとその首輪にあなたの名前が記されている限り、この子たちはあなたの農奴であなたは主人です」


「ならこんな首輪断ち切ってしまえば! 鏨を、ベルナルダ、鏨を持って来て」

「ルクレッア様、そんな事をしても無理なのですよ。この王都に居る限りしぐさや言葉遣いで直ぐに身分は知れてしまいます。そんな農奴然とした子供が首輪をしていなければ脱走奴隷として捕まって競売にかけられるのです。その首輪はその子たちの自由を縛る代わりにあなたの庇護を受けられる証なのですから、少なくともあなたの庇護下でこの王都を発って帰国するまでは断ち切ってはいけません。それをするとその二人を守る事すらできなくなります」


「テンプルトン子爵令嬢様…、その為に私はどうすれば良いのでしょう。私は…この国の事も農奴の事も何も知りません。この子たちの為に、この子たちの母君に託された事を成す為に…」

「私も農奴の居ない国の、ラスカル王国の事を何も知りません。この子たちがルクレッア様と帰った後に自由に幸福に暮らす術が有る事を…」


「幸福に…、そうですよね。ラスカル王国の王都で本当にそうなれるのか…。私の国も、少なくともらすかる王都で、私の父上の居る州で、はたして幸福になれるのか…。私の国は碌でも無い」

「それはハウザー王国も同じ事。この子たちがここに居ること自体がその証。一緒に考えて行きましょう。私もルクレッア様も他の大人とは違う。何か方法が有るはずです」


「ええ、そうですね。なあ、あなたの名前を教えてちょうだい。何と呼べばいいか分からないわ」

「「名前…?」」

「ルクレッア様、農奴に名など有りません」

「…名前が無い? それは一体?」

「主人が勝手に呼び名を付けるものもいますが、ただの呼び名です。大概はオイとかお前とか、子どもならガキとか」


「それが農奴の慣例という事なのですか? それなら名前を付けてあげましょう。そうですね、二人でこの子たちに名前を付けましょう。まずはそこから始めましょう」

「それは良い考えですね。そして言葉遣いや所作も教えて農奴だと解らないくらいになればこの首輪も断ち切れるかも知れません」


「お嬢さま方、僭越ですが口出しを宜しいでしょうか?」

「ええ、ベルナルダ。何か気づいた事でも?」

「それだけでその頸木を発ち来るのは難しゅうございます。余程の事が無い限りこの王都やプラッドヴレー州やジョージアムーン州は農奴が州境を越える事を許しません」


「なぜ?」

「脱走農奴の越境を防ぐためです。ですから所用で移動する時は州境に留め置かれます。もし引っ越して他州に居住するなら、州が買取を行います。転居先で新しい農奴を買えという事です」

「それではラスカル王国に連れ帰る事すらできませんわ」


「それに所作や言動が違和感が無くなっても、出生証明か身分証明書が無ければ有無を言わせず農奴として連行されてしまいます」

「本当なのですか? テンプルトン子爵令嬢様?」

「そこまではわたくしも良く知らないのです」


「農奴は出生証明も身分証明も持ち合わせません。州境を越えて他州に逃げれば或いは身分証明を受理してくれる州もありますが、容易では有りません。なにより王都周辺の州は、脱走農奴を許しませんから引き渡しの対象にこそなれ、受け入れはされないでしょう」


「それでは無理という事でしょうか?」

「いえ、方法は有るかも知れませんが今は何よりこの子たちの所作や言葉使いを治して自由人として独り立ちできる教育を施す事が必要だと」

「ええ、その通りですわ!」

「二人で出来る事から始めましょう!」


 教導派と福音派の枢機卿の娘が同じ決意で協力を始めている。

 少しづつ歯車が回り始めている。

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