二年 夏休み

閑話25 福音派留学生(1)

☆彡

 初夏の馬車の事故以降、神学生たちによる治癒治療は街で評判になっていた。

 農奴の母娘の治療を見ていた群衆には、涙ながらに治療に当たる少女たちの姿に感銘を覚えたようで、市中での評判はそれこそ聖人扱いだ。


 中でも現役の伯爵相手に小気味好い啖呵を切ったテンプルトン子爵令嬢やオーバーホルト公爵令嬢やそれを守った聖教会の司祭様は身分差別を許さない福音派の鑑だと人気になっている。

 しかし何といっても血まみれになって自らの指先を焼いて迄子供を助けたテレーズ修道女の行いは治癒の聖女と言われて讃えられている。


 そしてその中にラスカル王国から留学してきた王女一行が農奴の治癒に携わっていた事が一躍市中に広まった。

 教導派の教義に従い下層民を虐げ獣人属を憎んでいる筈のラスカル王国の王族が、獣人のそれも農奴の母と子供を献身的に治癒した事は評判になった。


 ハウザー王国の王都では福音派と教導派の対立の影響もあり、ラスカル王国への嫌悪感は非常に高い。

 もちろんこの一点を取ってラスカル王国への好感度が上がる訳では無かったが、エレノア王女たちは教導派の教義を嫌いハウザー王国へ留学を名目に逃げてきた気高い姫君だと吹聴されている。


 福音派の神学校に留学しているのだから当然教導派教義に反旗を翻した悲劇の王女と言うストーリーが出来上がるのは当然だ。

 ラスカル王国のネガティブなイメージが、皮肉にもエレノア王女一行の存在をポジティブな方向に際立たせている。

 ラスカル王国に福音派は存在しないので、市井ではいやが上にも清貧派のラスカル王国信徒の株が上がっているのだ。


 偶像を嫌い芝居などにも否定的な福音派の国なので、さすがにラスカル王国のように舞台化される事は無いが、尾ひれの付いた吟遊詩が街のあちこちで唄われていた。

 吟遊詩人たちによってエレノア王女と聖女ジャンヌが混同され悲劇の果てに国を追われた清貧派の王女とお供の修道女たちの話に変わってしまっている部分もある。


 月に一度の治癒魔法の施術奉仕は、そんな彼女達を一目見ようとする人々であふれかえった。

 何より警護の為と称して聖教会までの道を進む神学生の周りを、その倍以上の屈強な市民たちが囲んで群衆整理をしているのだ。


 トリアージの考えが浸透しているのでその仕分けは順調で、噂を聞いた重篤な患者も連れて来られている。

 その患者たちも弁えており、緩和治療ではあるがしばしの安息を手に入れて家族たちも満足して帰って行く。

 半面それを送り出す生徒たちの無力感や悲しみが集まった信徒たちの共感を呼んで更に評判は上がって行った。


 しかしその人気に比例してそれを快く思わない者もあらわれてくる。

 まずは事件の当事者であった伯爵家は家名を名乗らなかったのであまり浸透していないが、横転した馬車の家紋から南部派閥ヘブンヒル州のリッテンハウス伯爵であると実しやかに語られている。

 リッテンハウス家は否定しているがまず間違いないのだろう。

 南部派閥、特に第三王子の生母の実家ヘブンヒル侯爵家は今回の事件で農奴母娘に同情が注がれる事を非常に嫌っている。


 オーバーホルト公爵家も南部貴族であるので当然第三王子派閥である。更に南部貴族は農奴容認派でもあるのだ。

 本人は歯牙にもかけていないようだが、実家のオーバーホルト公爵家は娘が農奴の親子に治癒施術を行った事は快く思っていないようだ。


 そしてその農奴の所有者である。

 プラッドバレー州のシエラノルテ子爵家だ。その寄り親であるプラッドバレー公爵家とオーバーホルト公爵家は仲が悪いのだ。

 プラットバレー公爵家は第一王子の最大の支持者であり、国内でもサンペドロ辺境伯と並ぶ武闘派でもある。


 もちろんシエラノルテ子爵家は子供二人の引き渡しと母親の賠償を求めて来ている。

 今のところ事故の原因は馬車の横転であり、聖教会にも神学校にも非は無いと突っぱねているがそれで収まるわけが無い。


 更に二人の農奴兄妹をルクレツィアが放そうとしない事も少々問題がある。

 完治するまでと理由をつけてシエラノルテ子爵家には引き延ばしを図っているが、買取を提案すれば足元を見てくるに決まっている。


☆☆彡

 ラスカル王国で農奴制度が廃されてかなりの年月が経つ。

 ルクレツィアは人を売り買いすると言う感覚も我慢できない上、価格交渉をして値切るという事にも憤りを感じている。

「私は…あの母親が命と引き換えにしたこの子たちを物扱いする様なあの子爵に引き渡すつもりは有りません。買い取るとか値切るとか…この子たちは物では有りませんわ。子供を売り買いする為にこの子たちを治療してきたわけでは有りません!」


 テレーズはもとよりシャルロットたちメイドにとっても、ルクレッアの主張は納得のゆくものであった。

 ラスカル王国の住民で在ったケインやマルケル当然の事、早くから農奴の解放を進めているサンペドロ州や周辺の北部州の住民で有ったメイドたちにとっても同様の事だ。


 脱走農奴の苦労やその仕打ちは聞いて知っているが自分が当事者になった事は無い。何よりも人を売り買いするという現場を知らなければ頭で理解していても心が拒絶してしまう。


 現に彼女たちは冷酷に価格交渉をしてくるシエラノルテ家の代理人に対して、拒絶感以外の感情を持つ事が出来なかった。

「そもそもあの三人は我がシエラノルテ子爵家の所有物で財産で御座います。直接に事故に巻き込んで殺してしまったのも怪我をさせたのも名前の解らぬ伯爵様でしょうが、生き残った子供の所有権は未だ当家に有るのです」


 代理人のいう事は法的にも筋が通っており何一つ間違っていない。

「神学校の生徒様方が手をかけて癒していただいた事には感謝いたしておりますし、死んだ親に対して罪咎があるとも申しません。しかし率直に申し上げましょう。あの子ら二人は我が家の財産だ。それを返却しなののならば窃盗と同じだ!」

「返却などと…。それにあの子たちを返せばまだ傷も癒え切らないうちから働かせるのでしょう。それも粗末な食事と粗末な宿舎に放り込んで」

 ルクレツィアが感情をむき出しにして怒鳴る。


「何を仰っておられるのか? そもそも農奴です。仕事をさせる為に居るのだから当然じゃないか。傷が癒え切らぬうちは無理はさせないさ。それで死なれては元も子もない。その様に仰るが我が家の農奴の環境は平均的で文句を言われる様な事ではない」

 シエラノルテ子爵家の代理人がいう事は極めて真っ当な事で、何か落ち度がある訳では無い。

 どちらかと言えばルクレッアの言い分が感情的でおかしいのだが、テレーズも心情的にルクレッアを責める気になれない。


「それでもこちらのルクレッア様やテレーズ様もそれなりの治療をされたのですよ。情が湧くのはもっともでは有りませんか。エレノア様もお金はお支払いになると仰っておられます。ただあなたが仰っておられる額は少々法外では有りませんか。ラスカル王国留学生の皆様がこちらの世情に疎いのを良い事に吹っ掛け過ぎと言うものでしょう」

 テンプルトン子爵令嬢が話に割って入った。

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