第24話 帳簿(2)

【3】

 私(俺)は朝からミカエラさんの自宅を訪ねていた。

 父ちゃんにはああ言ったものの納得できたわけではない。

 どうしてもミシェルとマイケルとミゲルの顔が、妻を亡くした時の冬海の顔とダブってしまう。

 ミゲル達も冬海と同じ様に両親を亡くしかけて必死で抗っている。

 少しでも力になってやりたいと思う気持ちを抑えきれないのだ。


 ミカエラさんは水差しの水をコップに入れながらポツリと言う。

「店に向かうと吐き気と悪寒で仕事ができないのですよ」

 やせ細った白い手で私にコップを渡してくれた。

「夜に寝られずに、食事をしてもすぐに吐いてしまう。子供の為に働かねばいけないのに…」

 そう言って泣き崩れた。


 典型的な適応障害の症状だ。

 私(俺)は生前に何人か見たことがある。

 私(俺)の会社の場合は人間関係のストレスが原因だったり研究の成果に対するプレッシャーだったりが原因だったが、投薬療法や産業医のメンタルケア、配置換えや周囲のフォローなどがあれば快癒することも可能だ。

「以前はこんな事無かったんです。この半年余りでみんなが辞めて行って、仕事の量も増えてそうしたら……」


 原因は一目瞭然だ。

「借金が有るって聞いたけど、どの位あるんですか」

「金貨二十枚と言われました。でもそんなはずないんです。主人が死んだときにウラジミールさんから金貨五枚を借りましたが、それも少しずつ返して金貨三枚分以上は返済しているはずなんです。元本と利息分を入れても残りは金貨二枚半も残っていないはずだったのですがブラドさんは金貨二十枚の一点張りで、借用証書も見せてくれません。返済の帳簿も私が嘘を書いていると根も葉もない事を言い募って。碌に計算もできないくせに…」

 相当怒りが貯まっている様だ。


 私はミカエラさんのベットの上に商人ギルドの板目表紙で綴られた書類の束を取り出して置いた。

 中の書類は書き損じで反故になった物や廃棄する会計書類や契約書を綴った物だ。

「これはいったい?」

「バルザック商会の帳簿を入れ替えられませんか?」

「えっ!」

「全部じゃありません。直近の書類は残して、下に綴っている書類をこの書類と入れ替え持ち出せないでしょうか。後は公証人の資格のあるお母様が精査すればわかるでしょう。そうすればライトスミス木工所で借金の肩代わりもできます。あなたも店を移る事ができます。あの店の権利にしてもブラド氏にあるかどうか怪しいものです」


「やりますよ。それくらいの事。数字も解らない碌に字も読めないあの男なら、直近の書類以外は入れ替わっても絶対気が付きませんよ。ええ、絶対やってやりますとも」

 積もり積った鬱憤を晴らす手段を見つけたミカエラさんはこぶしを握り締めて言った。


 そうして私はミカエラさんとこれからの対策の打ち合わせを始めた。

 そもそもブラドが帳簿をつけられる訳はなく、ミカエラさんが居なくては税務書類を作成する事は出来ない。

 ミカエラさんの作った書類を書き直している協力者が他に居ると思われる。

 会計帳簿や契約書を調べればその協力者もあぶりだせるかもしれない。


 明日辺りからマヨネーズの収入が無いため無理を押して店に出てきたとの体で仕事に赴き、廃棄予定だった税務書類の回収とブラドの持つ帳簿の入れ替えを行う事とした。

 初めに税務書類、うまくゆけばブラドの帳簿のすり替えを行う。

 ミカエラさんは体調不良の為往復の出勤と手伝いとして子供たちと一緒に赴き、書類は先に返す子供たちに託すと提案してくれた。

 私は表で待機し、持ち出した書類の受け取り役になる事にした。

 そうしてさらに細かい算段を二人で打ち合わせるのだった。


【4】

 ミカエラはミゲルとマイケルに両脇を抱えられてバルザック商会の扉をくぐった。

 後ろには大きな手提げ袋を抱えたミシェルが後に続く。

「おはようございます」

 ミカエラの挨拶にブラドは少し驚いた顔で“ああ”とだけ頷く。

「体調が少し戻りましたので仕事に復帰いたします」

「お前のせいで書類が貯まってるんだ。その分は給料から引くからな」

 ミカエラが休んでいる間一切金を払わず、子供たちに詐欺まがいの仕事を押し付けて上前まで撥ねていたこの男の言い草には腹が立ったがグッと飲み込んだ。

 奥の部屋の事務机に座るとデスクチェストの引き出しからペンとインク壺を取り出し、その横にアバカス(算盤)用の布を広げて小石を並べる。


 ブラドの机の上に置いてある書類箱代わりのドロワーボックスと紙の束をミゲルに言って持ってこさせる。

 ドロワーボックスにはここ十日あまりの領収書や契約書が乱雑に放り込まれていた。

「お前に払う金は書類仕事の分だけだからな。倉庫の整理も荷物運びも出来ないんだから当然だろう」

「でも、それはミゲルやマイケルが…」

「書類仕事の分だけだ。借金が有るんだぞ。救貧院に行きたくなければな」

 それだけ言うとブラドは事務室を出て、店のカウンターにふんぞり返った。


 ミカエラは持ってきた頭陀袋に手提げ袋から取り出した堅パンを入れると、一緒にチェストから取り出した廃棄指示されていた税務書類をまとめて放り込む。

「ミシェル、お前はこれを持って家にお帰り。お昼に一緒に食べようと思ってたけどミシェルは仕事の邪魔になるから家でお食べ」

 そう告げるとミシェルを勝手口から送り出した。

 ブラドは振り向いて何か言いかけたが、少し考えて口をつぐんだ。

 何か仕事をさせようかと考えてやめたのだろう。


 ミシェルは急いで表に出ると通りの陰で立っていたマヨネーズ売りの少年に頭陀袋を渡した。

 マヨネーズ売りのウィキンズは袋から堅パンを取り出し、ナイフで半分に切るとそこにマヨネーズを塗ってハムとチーズを挟んでミシェルに渡してくれた。

 ミシェルは満面の笑みを浮かべてパンを抱きしめる様に家に向かって走って行った。

 ウィキンズはそれに手を振り去って行った。

 行き交う人々はほほえましい光景に頬を緩めながら往来を行き来している。

 そこで何が行われているかも知らずに。


「ブラドさん。帳簿を、台帳を持ってきていただけませんか」

 うとうとと居眠りをしていたブラドはその声に腹を立てて怒鳴り散らす。

「それくらい自分で取りに行け!! 足があるんだろう! できなけりゃあガキを使え!俺を煩わせるな!!」

「ミゲル、あの奥の書棚の台帳の綴りを持ってきてちょうだい。三段目の右端の、そう、その綴りで良いわ」


 台帳の綴り糸を解くと、板目表紙とここ一月ほどの書類を抜き取り古い綴り糸の端に新しい綴り糸を結ぶ。

 綴り糸が入れ替わると裏表紙側で結びなおして裏表紙を抜いてチェストに片付けた。

 抜き出した古い綴り糸で古い板目表紙と抜き取った書類を綴りなおす。

 手提げ袋から取り出した書類綴りの綴り紐と古い綴り紐の両端を互いにくくり輪にするとクルリと一回転させて一端を外して裏表紙を取り付けさらに一回転させて表紙を残した台帳を完成させた。


 店内ではミゲルとマイケルが品物の片付けや店の掃除をしている。

 事務室ではアバカスに石を置く音とペンの音だけが響いていた。

「マイケル、お願い。お母さんのどが渇いたから、水を汲んできて」

「おいガキ。おれのも汲んで来い。手桶に一杯分汲んでくるんだ」

 マイケルはムッとした顔でブラドを睨むと返事もせずに手桶を持って出て行った。

「おい、ミカエラ。ガキの教育くらいしておけ。このままだと碌なガキに育たねえぜ」

 ミカエラも返事もせずブラドの背中を睨み返す。


 マイケルは手桶を持って外に出ると若い男に声をかける。

 ライトスミス工房の手代のダンカンだ。

「ダンカンさん、準備できたよ」

 それだけ言うと水汲み場に手桶を持って歩き去った。

 それを聞いたダンカンはスタスタとバルザック商会に入って行った。


「おーい店主、邪魔するよ」

 店の扉を開けてダンカンが入って来る。

「ニシンかサーモンは入ってないかい」

「この時期は良いものが無え。古い燻製ならあるけどよう」

「おい、こいつは酷いぜ。食べて大丈夫か?」

「気に入らねえならやめておくんだな。買い手なら他にもいるからよう」


 店先でそんな遣り取りが行われている隙に、ミゲルはチェストの中の書類綴りを頭陀袋に放り込んだ。

「ねえ、ミゲル。マイケルが返ってくるのが遅いわ。手伝いに行ってあげて」

「駄目だ、駄目だ。そんなことすりゃあ癖になる。行くならお前も手桶を持って行け」

「ミゲルもマイケルもここの店員じゃないわ」

 ミカエラが腹に据えかねて抗議する。

「お前が働けないんだからガキどもも同罪だよ」

「おいおい、店員でもない子供を使っているのかい?」

「いえね、仕事もない孤児同然のガキを面倒見てやってるんですよ」

「孤児じゃない! 私の子よ!」

「うるさい! 客がいるんだ、黙っていろ。」


 その間にミゲルは手桶に頭陀袋を放り込んで店の外へ出た。

 勝手口にはセイラが立っていた。

 驚いているミゲルを横目にセイラは手桶の中の袋を取ると、何も言わずにミゲルの背中をたたいて水汲み場に行くように促した。

 ミゲルは頷いて水汲み場に走る。


 セイラはウィキンズから受け取った袋と今ミゲルから受け取った袋の二つを抱えて

 裏通りから路地を曲がる。

 そこに待っていたグレッグに二つの袋を渡した。

「グレッグ兄。二つともお母様に渡してちょうだい。」

「思ったより多いんだなあ。」

「ええ、そうみたいね。」

 セイラは両親との約束を破った事に忸怩じくじたる思いがあるので渋い顔をしている。

 グレッグはそうとは知らずに木工所に帰って行った。

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