第31話 南部の冬至祭(3)

【5】

「僕は櫛を買うために片眼鏡を売ってしまった。君はその綺麗な髪を売って僕の片眼鏡につける銀の鎖を買ってしまった。でも君が僕の為を思ってくれた心こそが最高の贈り物だと気付いたよ。彼はそう言って妻を抱きしめ、二人はお金は無いけれど幸せな冬至祭を迎える事が出来たのです」

 ジャンヌの声が大聖堂に響いている。

 今年の冬至祭の訓話は聖女ジャンヌが行うと聞いてゴッダード大聖堂に詰め掛けた観衆は熱心にジャンヌの話に聞き入っていたが、その訓話に微笑み頷き合って拍手を送っている。


 ジャンヌ達一行は、昨夜ライトスミス家で夕食を共にしてそのまま宿泊した。

 ジャンヌとしては肩ひじの張ったゴーダー子爵家の貴族の晩餐は少々肩が凝る。カロリーヌも今後ライトスミス商会とのかかわりを考えると懇意にしたいと言う考えがあった。

 なによりレオンが仲良くなったオスカルと一緒にいたいと言う意図を汲んだこともあるのだが。


 冬至祭の朝早くにライトスミス一家と共に大聖堂に向かった。

 カロリーヌとレオンは貴賓席を断り、ライトスミス一家と一般信徒席に並んで座った。

 ライトスミス一家は聖教会信徒の間でも顔が売れているので気安く声をかけて来るものが多い。ライトスミス夫妻は南部を仕切る大商会の本家と言う立場でありながら気さくに受け答えをし和やかな雰囲気が立ち込めていた。


 そして今、ジャンヌの訓話が終わった。

 ジャンヌの警護の三人組はゴッダード出身で、普段はこの街で生活している事もあり、ゴッダードにもなじみの深い聖女ジャンヌはこの街でもとても人気があり憧れの存在のようだ。


「ジャンヌ様の訓話はいつもためになりますわ」

「グレンフォードの人たちはいつもジャンヌ様の訓話を聴けて羨ましいわ」

「でも今日のお話は…ジャンヌ様に素敵な殿方が現れたのかしら?」

「ジャンヌ様は聖女様ですし」

「でも受戒されている訳でもございませんでしょう。お母様のジョアンナ様も護衛騎士のスティルトン騎士団長と…」

「という事はピエール様?」

「でもピエール様は聖職者ですし、ポール様では?」

「でもポール様ではピンときませんわ。ジャックさ…」

「「「「それは無い!」」」」

 大聖堂内はゴッダードの若い娘たちの噂話が花開いている。


 ここ一~二年でシャピの街は大きくなり人口も増えて活況も呈しているが、それでもゴッダードの活況はその比では無い。

 もう何年も成長を続けいるこの街は一般市民の活気が違うのだ。働き盛りの二十代までの識字率が高く、そのお陰もあって市民層が比較的裕福で経済格差も少ない。

 まだまだ波止場の荒くれ者が多く経済格差も大きいシャピやカロライナがこれから目指すべき街の形なのだろう。


【6】

 冬至の午後は短い。

 それでも最北端のシャピと比べるとまだまだ陽は長いと感じる。

 シャピでは午前の礼拝が始まる時間はまだ真っ暗だが、此処では明るい冬の日差しが礼拝堂内を照らしていた。


 そして礼拝も終わり午後の聖餐を迎える。

 本来は聖餅とチーズとワインを共に食べるだけの質素な物であったが、今では日の暮れる前に家族や友人たちで集まって午餐を楽しむ宴に変わってしまっている。

 これは教導派でも清貧派でも変わらない。

 福音派でも聖職者はともかく、一般信徒においては冬至祭の宴は普通に行われているのだ。


 今日もこれから大聖堂の客室を借りてライトスミス家主催の冬至祭の聖餐がささやかに行われようとしていた。

 飲み物はエールやシードルそしてワインであるが、テーブルにはスコーンやホットケーキそしてゴッダードブレッドと言われるオープンサンドがたくさん並べられている。


「それでは聖女ジャンヌ様を迎えて歓迎の聖餐を戴きましょう」

 レイラ夫人の挨拶と共にシードルやワインが注がれ、子供たちには砂糖をたっぷり入れた暖かいミルクが出された。

「食事の前に飲み物とチーズそして聖餅ですわね。チーズはわたくしの実家のカマンベール領自慢の逸品ですのよ」

「それとね、それとこれはいつもセイラおねえ…ししゃくれいじょうさまが作ってくれるんだ。いつもはぼくもおてつだいするんだよ」

 オスカルが自慢げにセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢から託った聖餅の箱をバンバンと叩く。


「おいオスカル。そんな事すると聖餅が割れちまうぞ。去年はせっかく作った皆の顔が割れちまっただろう。今年もそんな事になりたいのか」

「エーいやだよー! もうたたかないよ。ことしもおかおはあるのかな? おかおなら少しくらいからくてもぜんぶたべるのに」

「オスカル、それならば今年は沢山作って頂いたから皆さんにも分けて差し上げて」

「うん、わかった」

 そう言ってオスカルはクッキーらしき物が入った大きな箱の蓋を開けた。


「ぼくも手伝おうこれはきっとぼくだよ。そしてこれはぼくのあね上さまのようだね」

 レオンがオスカルの手伝いに立ち上がる。

「こちらは奥様と大旦那様でしょうか。ファナ様やフラン様やイヴァナ様まで御座いますね」

 ルイーズがとりわけ用の小皿を持って現れた。

「これはね、きっとルイーズとミシェルだよ」

「マリーとアンヌの顔もあるわ。二人とも後で頂いてちょうだい」

「こちらの不細工な物はジャックとポールとピエールでは?」

 ミシェルもクッキーを取り分けながら感想を述べる。


「いない人のはどうするの?」

「不細工三人組の物はオスカル様とレオン様でお召し上がりくださいな。ファナ様たち三人分は午後にゴーダー子爵邸に見えられるのでそこでお渡しいたしましょう」

「はいおとうさまとおかあさまの分だよ」

「こちらはあね上の分ですよ」


「こちらは二人でジャンヌ様にお渡しして下さいな。ルイーズとミシェルも一緒にいただきましょう席にお座りなさい。アン、あなたのお顔も有りますよ」

「まあまあ、あらあら。私の分もですか? お嬢さまはまったく…」

「さあ、メイド見習いたち。アンやルイーズやミシェルにこれまでの成果を見せて御覧なさい」

「「「はい、奥様」」」


 そしてみんなの前に聖餅の載った皿が配られた。

 ジャンヌの前にもあまり上手くは無いがそれでも彼女の顔と判る大きなクッキーが乗せられている。

 蜂蜜とシナモンの香りに混じって何か懐かしい嗅いだ事のある香りが混じっている。


 この香りは…、そう言えばこの歪な顔の形も何となく…、まさか…まさか…、ジャンヌは聖餐に対する祈りの言葉ももう事務的に口にするだけで心はここに無かった。


「「「「冬至祭おめでとうございます」」」」

 聖杯を模したゴブレットに注がれた飲み物が掲げられて皆一口飲むと聖餅を手に取った。

 ジャンヌも皆と一緒に聖餅を手に取る。


 やはりそうだ。この香りは…ジンジャー!

「この香りは…」

「皆様はあまりご存じないでしょうが、南部では体を温める薬として使う事も有る生姜というものが入っているのですよ」

「あまり子どもや未婚の女性が使う様な…「あなた!」イタタタ」


 この世界で生姜がある事すら知らなかった。

 でもセイラさんは知っていた。探して手に入れていた。何年も前から…。

 そしてクッキーに入れた。それも冬至祭の。…何故?

 レイラ様は言っていた。薬だと。

 オスカー様はあまり子供や未婚女性が口にする者では無いと言っていた。


 それなのに…

 クッキーを一口、口に入れてかみ砕く。シナモンの香りと蜂蜜の甘さ。蜂蜜に付け込まれた生姜の味がほんのりと口に広がる。

「母さん…」

 ジャンヌの頬を涙が伝う。


 まさか…、でもきっと、母さん…。

 もう一口蜂蜜ジンジャークッキーを齧る。

 母さんが作ってくれた味、そして毎年父さんと…!

 刻んだ蜂蜜漬けの生姜の味がピリリと舌に残る。

 中学一年のクリスマスイブ、父さんと二人で工夫して蜂蜜漬けの生姜も刻んで入れるようにしたんだ。

『この味は父さんの味!』


 大声を上げたジャンヌにみんなが驚いてこちらを見つめている。

 思わず日本語が口を突いて出てしまった。

「…なにか気になるような事が御座いましたでしょうか?」

 レイラ夫人が困惑したように見つめている。


 とめどなく流れる涙を拭う事もせずジャンヌは答えた。

「懐かしい…ずっと、ずっと昔に食べた事のあるとても懐かしい味でした。懐かしい、でもつらい思い出がよみがえってしまいましたので…」

 ジャンヌは泣きながら一心に蜂蜜ジンジャークッキーを食べ続けた。

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