閑話2 騎士団寮の新学期
【1】
中隊長のルカ・カマンベールが領地に帰ってしまった。
それ迄もカマンベール男爵領で疫病が流行っているとか手紙が来ておりクロエが落ち込んでいたのは知っていたのだがさらに大きな事件が起こった様だった。
七月に入って直ぐに取る物も取り敢えずと言う状態で騎士団を飛び出していった。
王立学校は新年度まで長期休暇に入るが近衛騎士団にそんなものは無い。学校が休みの間は近衛騎士団でみっちりと訓練である。
ウィキンズはと言えばルカにクロエを託されたため、長期休暇に入る頃には近衛騎士団に毎日クロエが通い始めてかいがいしく世話を焼いてくれるようになったのだが、おかげでその後は同期や先輩後輩の当りがきつくなって大変だった。
そして八月に入って暑さがピークに達した頃マルカム・ライオルが真っ青な顔で近衛騎士団に長期休暇を願い出て帰って行った。
それと入れ替わりに放心したような顔のルカ・カマンベール中隊長が帰ってきてウィキンズとクロエに『陞爵した。カマンベール家は子爵になった』と一言告げた。
翌日ルカ中隊長から説明を聞いたが細かい部分は要領を得ず、良くわからない。
ただ聖女ジャンヌが拉致されて異端審問にかけられそうな所をカマンベール男爵家のクロエの叔母とその娘が救出して、その功で領地も増えて子爵に陞爵したと言う事と、その悪事に加担したライオル伯爵家が罰として廃嫡されて領地を取り上げられたと言う事は理解できた。
クロエの身辺も落ち着きルカも帰って来た事で、ウィキンズは王立学校生にだけ許可されている学年末の休暇を申請しゴッダードに帰省した。
一年ぶりの故郷は随分と変わっていた…と言うか毎年帰るたびに大きく変わっているのだが。
今回は実家のヴァクーラ鍛冶店が無くなっていた。
実家の鍛冶屋の有った所には立派な事務所が立ち”ヴァクーラ鍛冶機械工房株式組合”の看板が上がっている。
そして鍛冶屋は郊外に移転し徒弟工を何十人も雇っている工場になっていた。
おまけに父も兄たちも州外の支社や取引先に出て技術サービスや営業に回っている。
ゴッダード騎士団に挨拶を済ませてライトスミス商会に出向いてみたが、セイラはもちろん一家全員がアヴァロン州のクオーネに行って留守だそうだ。
エマもエドも北西部の何とかと言う領地に出張していると言う。
ルイスもパブロもミゲルも北西部や西部の領地に行っており、ミカエラが新参の商会員を全て取り仕切っていた。
セイラカフェの古参のメイド達もだ。グリンダはもちろんリオニー達もミシェルやルイーズも商会の仕事で不在だった。
おまけに聖教会に行けば裏通り組の三人は聖女ジャンヌの護衛でグレンフォードにいると言う。
そもそも今回の帰省はセイラが王立学校に入学するのでその迎えもかねてのつもりだったのだが、結局誰にも会う事が出来ず王都の近衛騎士団寮に帰って来る事になった。
それからは近衛の訓練がまた続いて、新学年が始まる前日の夜に王立学校騎士団寮に帰ってきたウィキンズが部屋に入るとケイン・シェーブルが青い顔で伝言を持ってきた。
「今夜、五の鐘が鳴ったら裏の樫の木の下に来いって伝言を受けた。伝えたからな! 俺はちゃんと伝えたからな!」
それだけ言うと逃げる様に騎士団寮を出て行った。また裏町の居酒屋にでも行ったのだろうが、何を慌てているのだろう訝しみながらも伝言場所に向かう準備をする。
誰からの伝言かもわからないが騎士団寮の敷地内で滅多な事は起こらないだろう、そう思いつつも念のため剣を履いて表に出た。
樫の木の下に来るとただならぬ殺気が漂う。
剣を履いてきたのは正解だったようだ。木の幹を背にして剣の柄に手を掛け構えていると目の前に人影が現れた。
「ナデタ! いったい何なんだ!?」
そう言った瞬間に柄ごと両手をリオニーに押さえ付けられてアドルフィーネに背後を取られていた。
ナデタがウィキンズの右手に立つと、更に目の前に人影が現れた。
初秋とは言い難い残暑の残る騎士団寮の中庭が極寒の吹雪のように凍り付くような寒気がウィキンズの全身を覆う。
「ダドリーにはシッカリと教育をし直したのですが、ウィキンズにもちゃんと言い聞かせておかねばと思ってこうしてやってきました」
そこには強欲の大魔王グリンダが立って微笑みながらウィキンズを見下ろしていた。
【2】
「なあウィキンズ。噂に聞いたんだけれどもセイラ・ライトスミスが大変な事になったそうだな」
「ああ」
レオナルド・ギーが気の毒そうに話しかけてくる。
「ああ、まあそう言う事のようだ」
「しかし教導派の連中は許せないよなあ。聖女ジャンヌ様を拉致しようだなんて」
「ああ」
ウォーレン・ランソンも怒りの表情で話を続ける。
「その上にお前の雇い主だったセイラ・ライトスミスまで斬られて大怪我をしたそうじゃないか。そのせいで王立学校の入学を取りやめたんだろう」
「ああ」
「まあ気を落とすな。元気を出せよ」
「ああ」
「おーい、ウィキンズ。帰ってこーい」
ウィキンズの身の回りは非常にややこしい事になっていた。
グリンダたちに(身に覚えのない事で理不尽に)絞められて翌日、名前が挙がっていたダドリーの事が気になり家事使用人寮を訪ねてみた。
家事使用人寮は右翼にメイドなどの女性使用人が左翼にはフットマンやコックなどの男性使用人が暮らしている。
ウィキンズが訪ねて行くとダドリーは可哀そうにメイド恐怖症を発症して、”女は怖い、メイドは怖い”とうわ言のように繰り返していた。
そう言う割にはこの男、ロックフォール侯爵家のメイドにはチヤホヤされていて同僚から嫉妬されまくっているのだが。
そしてその日の午後、近衛騎士団の訓練に赴くとルカ中隊長から詰問された。
曰くかつてセイラ・ライトスミスと恋仲だったと言うのは本当か…とか、王立学校でメイドに手を出して捨てたとか聞いたがそんな事をやったのか…とか、同期の修道女を口説いてフラれた上に修道女は領地へ逃げて帰った…とか、夜な夜な騎士団寮の樫の木の下にメイドを呼び出しているらしいが口説いているのか…とか、鬼の形相でみっちりと問い詰められた。
その挙句にクロエには手を出していないだろうなと念を押された。
そしてウィキンズがそんな事は絶対していないと否定すると、俺の妹のどこが気に入らないと切れられる始末だ。
そして極めつけは夕刻にいつものように訓練の差し入れを届けに来たクロエが従妹だと紹介してくれたセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢が何処をどう見てもセイラ・ライトスミスだった事…では無く、その二人の後ろに控えているアドルフィーネとナデタの”余計な事を言うと殺す!”と無言で告げているその視線で精神を削られまくったのだ。
そして今騎士団寮で燃え尽きていた。
「やはり、セイラ・ライトスミスの事件はショックだったんだろう。子供の頃から仕えていた主家の令嬢が世間に出られない様なケガを負ったんだ」
ケインが深刻そうな口調でため息をついた。
レオナルドもウォーレンもそれに同意してウィキンズの肩を叩く。
翌日には騎士団寮中に主家の令嬢セイラ・ライトスミスが怪我を負った事が原因で、ウィキンズが心労のあまり精神を病んでいると噂が流れた。
【3】
「へー、ウィキンズって修道女や他家のメイドを口説いて回ってるんだ」
「それだけでは無いそうですよセイラ様。夜になると騎士団寮の庭の樫の木の下にメイドを集めて密会しているそうですよ」
「そこまで悪い男じゃないと思うんだけれど…。これはクロエお
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