第142話 エストレラ・カプロン卿

【1】

 異論を挟もうと口を開きかけたその時、寝室のドアがノックされ、部屋の外からアドルフィーネの声が聞こえた。

「カプロン伯爵様がお着きになられました。ロックフォール侯爵家の治癒術士隊も到着いたしました」

「ゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士隊はロックフォール侯爵家の人と順番に交代して」

「アドルフィーネと申したか、エストレラ…カプロン卿だけを入れてたも」


 王妃殿下の返事と共に初老のいかつい顔の近衛騎士が入室してきた。

 部屋の中を見て少し驚いた表情を見せたが、すぐに無表情に戻りベッド脇に歩んで来ると片膝をつき臣下の礼をとった。

「マリエル王妃殿下、お召しにより参上いたしました。ジョン王子殿下にもご息災で何よりであられます」


「格式張った挨拶はよい。ここにおる者は信用できる」

 王妃殿下がそう告げると、カプロン伯爵はスッと立ち上がり顔を怒りに歪めた。

「毒を盛られたと聞き及び申した! あの王太后に! フランシスは何をしておったのだ」

「そのフランシスは近衛護衛騎士達が探している。まだ報告が来ないという事は屋敷内に見当たらないのだろ。多分どこかで…」


「くそっ! あの悪魔めが。それでこの部屋の惨状で御座るが、血の臭いがし申す。いったい何が有り申した」

「少し前に刺客に襲われた。母上の寝室のクローゼットに潜んでいたのだ」

「なんと! それでどなたかがケガを?」


「いや、そこのメイドのナデタが潜んでいるのに気づき俺たち近衛騎士三人とナデタとそっちのメイドの五人で仕留めました。遺体はアドルフィーネがどこかに片付けたのでしょう」

「メイドと? そこなメイドよく気づいたな」

「ナデタが寝室に入るなり殺気がすると、そしていきなり椅子でクローゼットを貫いて…。それはもう豪快でありました」


「イヴァンそれはもう良い。それよりもその刺客が今日の母上の毒見係だったのだ」

「それは確かなので御座るか!」

「同室に居た他の毒見係にも面通しした。そこのナデタもベアトリスも外に入るサーヴァントも毒見役としてそこにいた者だ。皆間違い無いと申しておる」

「ならば見分をせねばなりませぬな」


「ナデタとベアトリスはカプロン卿について行って説明を。入れ替わりでアドルフィーネを入れてくれ」

 何でジョン王子がうちのメイドを勝手に仕切ってるんだよう。


【2】

 エストレラ・カプロンはマリエル王妃の幼少時代からの側付き護衛だった。マリエル王妃が嫁ぐ際に家族ごと付き従いラスカル王国にやって来た。

 身分は伯爵だが、よそ者の為領地無しの王宮貴族という扱いである。

 近衛騎士団北大隊に所属し、王宮警備一筋にやって来た。現在は離宮とその外辺の警備を担当する第十中隊の中隊長だ。マリエル王妃の離宮とジョン王子の離宮に専念する事が出来なくなったうえ、中隊内には把握しきれない王太后やリチャード王子派閥の騎士も多くいる。


 忸怩たるものがあったが手を拱いている内にこの事態だ。悔やんでも悔やみきれない。

 この状況はかなり前からこの離宮の人員全てに何者かの悪意が入り込んでいたことの証左だ。

 警備騎士や使用人が複数手引きしていなければこんな事は不可能なのだ。


 それが前提ならこの離宮で信用できるものの判別がつかないジョン王子殿下の判断は正しい。

 警備も使用人も王宮と係わりの無いその場に居合わせた友人の近衛騎士とその配下達で固めた事が。

 近衛騎士の毒見係は従卒でありいっぱしの騎士であるからだ。


 しかしこの獣人属のメイドとサーヴァントはどうだ?

 男女五人のメイドとサーヴァントが騎士以上の闘気を漂わせている。こいつ等は只者では無いと長年勤めた護衛騎士として経験がそう言っている。


「なあナデタとやら。其の方らは一体? なぜ獣人属の其方らがここに居る?」

「私達はハウザー王国の留学生に付けられた者で御座います」

 ああ、実質は護衛騎士が使用人として侍っているという事か。


「こちらが刺客で御座います」

 応接奥の倉庫に入れられた遺体を見て、カプロン卿は絶句した。

 黒檀のローテーブルに三本の剣で縫い付けられたように右眼にナイフが刺さった男が絶命している。

 まるで標本にされた毒蛾の様に。


「これは一体…」

「どうも毒物使いのようで、危険ですので誰にも触らせておりません。こちらが使用していたナイフで御座います。刃に毒が塗られておりますので触れられぬ様に」

 いつの間にか鹿革の手袋をはめた、陰気な人属のメイドが銅のゴミ箱を差し出した。

「臭いから察するに夾竹桃系の毒の様にございます」


 覗き込んでみると言われたように微かに最近流行りのアーモンドコーヒーの様な香りがする。

 ナイフ自体も刃の上に溝が掘られて何か塗られているのが見て取れる。これがこのメイドの言う毒なのだろう。


「遺体を検分する。毒物を持っているかも知れんので気付いたら申してくれ」

 そう言って腰ベルトに挟んだ礼装用の手袋をはめて顔を覗き込んで絶句した。

 この男の顔は知っている。

 同じ北大隊に属するもののはずだ。


 北大隊は中隊間の横のつながりが一切ない。

 特に大隊のメンバーも人数も近衛騎士団内はもとより、北大隊の中でも公表されていない大隊なのだ。

 大隊長ですら上級貴族であること以外名前も顔も明かされてはいない。

 中隊長であるカプロンですら面談や指示はシェードの向こうに座っている大隊長相手に行うので声しか知らない。


 それでも身辺警備を中心に対応する第十中隊や第十一中隊は未だ相互に把握できている。

 しかし王族の極秘任務にあたる第十二中隊は違う。

 王族が大隊長に依頼すれば適時必要な人員が選定されて派遣されるのだ。

 その為中隊長以下誰も顔も名前も知られていない。


 しかしカプロン卿はこの男の顔を見知っていた。

 かつて一度だけ大隊長室から出て行くこの男の姿を見た事が有るのだ。

 仕事柄人の顔は一度見たならまず忘れない。

 そしてその後大隊長室に入って受けた命令は第十二中隊がハッスル神聖国教皇の極秘警備につくのでその随員たち枢機卿の警護をする様にという事であった。

 この男は十二中隊の者、それも中隊長かそれに順ずるものだろう。


「持ち物を調べるので衣服を脱がせるぞ」

 そう言うと何故か裁ちバサミが渡されて、陰気なメイドが言う。

「ならばハサミで切り裂きましょう。襟口や袖口には毒針や毒ナイフを仕込む事も御座います。縫込みの中に毒針が仕込まれているかもしれませんので、縫い目で無いところから切って参りましょう」


 そう言うと自ら上着をナイフで切り裂き始めた。それに倣ってカプロンもハサミでッズボンを切り裂いて行く。

 メイドの言う通り、袖口に数本の針が仕込まれていた。それに足首にも投擲用の隠しナイフが仕込まれている。

 ご丁寧にどれも毒が塗られている様だ。

 そして首から下げた袋の中には何か乾燥した葉っぱを磨り潰したような緑色の粉末が入っていた。


「これは…たぶんジギタリスのようですね」

 メイドが銀の匙の裏にその粉を張り付けて少し舐めて顔を顰めるとそう言った。

「其方も留学生付きのメイドなのか?」

「いえ、私はカロリーヌ・ポワトー女伯爵カウンテス様付きのメイドで御座います」

 どうもここに居るメイドは誰も只者では無さそうだ。

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