第99話 シャピ大聖堂

【1】

 ポワトー大司祭には最後の関門が残っていた。

 枢機卿への報告だ。


 晩餐会の三日後私とジャンヌはカロリーヌや彼女の母を伴ってポワトー大司祭とポワトー枢機卿の居るポワチエ州のシャピの大聖堂に出向いていた。

 私一人なら馬で飛ばすのだが、今回は馬車なので一日かかる大移動だ。

 それも護衛や私たちのメイドも連れて馬車や騎馬を連ねての大移動である。


 ポワトー大司祭は途中で胃痛を発症し、調べると見事に胃に穴が開いており途中で治療する事になってしまった。

 ポワトー大司祭的にはこのまま胃潰瘍で臥せっていた方が幸せだったのだろうが、そんな事は許さない。

 家長として最後の務めを果たしてもらわねばならないのだから。


 シャピの街に入ると汐の香が馬車の中にまで漂ってくる。

「これは良いお魚が手に入りそうな香りがしますね」

 ジャンヌの嬉しそうな声にカロリーヌも嬉しげに答える。

「ええ、この時期ならまだ牡蠣も美味しいですよ。こちらではビネガーをかけて、食べるのですよ。蟹も鮭もウナギも美味しいですよ」

「えっ? ウナギ? この時期に?」

「ウナギなんて珍しいですよね、真冬が旬ですから少し時季外れですが美味しいんですよ。気味悪がる人多いですが、バルサミコソースでソテーにしたり」


 この辺りではウナギは冬が旬なのか…。ウナギと言えば蒲焼が食いたいが醤油もみりんも無いんじゃあ無理だし仕方ない。

 でも牡蠣が手に入るならアドルフィーネに頼んでカキフライを作って貰って、タルタルソースで食べなければ!


「鮭と香草やキノコや野菜を一緒に紙で包んでオーブン焼きにしてはどうでしょう?」

 ジャンヌの提案に私の味覚が反応する。

「塩、胡椒で下味をつけてタップリバターを乗せて…チーズを散らしてもい良いかも」

 ムチャクチャビールに合いそうじゃない。ジャンヌも眼を輝かせて頷いている。

「でも、紙で包むと焼けてしまわないのですか?」

「水分が有れば紙は燃えないのよ。オーブンの火力調整が必要だけれど出来ると思うわ」


「…やめてくれないか、食べ物の話は。胃がもたれて苦しくなってくるのだ」

 ポワトー大司祭が青い顔で呟いた頃には馬車は大聖堂に到着しつつあった。


 日の暮れ前に大聖堂に到着した私たちは旅装を解いて、軽食を済ませるとポワトー枢機卿への治療を兼ねて謁見に向かう。

 ポワトー枢機卿とは病室で謁見だ。病室には四人の各属性の治癒術士が三交替で常駐している。


 治癒術士たちにこれまでの経過を聞くために控えの間に入ると六人の治癒術士たちが待っていた。

 今シャピに来ている治癒術士の半分は、以前ロワールでアナと私が指導した人たちでその全員が控えの間に来ている。


 一緒に入って来たジャンヌを紹介すると一瞬戸惑った顔をしたが、直ぐに皆の口から次々にジャンヌに質問が飛び始めた。

 最新治癒魔術の始祖と言ってもいい聖女だ。若い治癒術士たちにとっては憧れの存在でもある。

 枢機卿の容態そっちのけで治癒魔術講義が始まってしまった。


「みんな、ちょっと落ち着いて。今はポワトー枢機卿の治療の話をしましょう」

 私はみんなを制すると枢機卿の容態確認やシャピ大聖堂の情報収集に移った。

 今のところ容態は安定しているそうで、食事も出来ており体重も大分戻って来たそうだ。

 今のところ癌の進行している兆しは見えないと言う事だ。

「今日はこれから予備治療を行います。続いて明日は本格的にジャンヌさんと二人で新しい治療法を試してみます。うまく行けば明後日の朝治療を行った後王都に帰る事になると思いますのでそれまでは宜しくお願いします」


 枢機卿の食事係にはグレンフォード大聖堂でジャンヌの栄養学を学んだライトスミス商会の調理人とメイドを一人づつ付けている。

 治癒術士たちも指導的役割の六人の術士が目を光らせている上に彼らが厳選したシャピの術士もまず信用できるとの事だ。

「それではこれから予備治療に入ります!」

 ジャンヌの宣言の下に私たちの後ろから六人の治癒術士がつき従う。室内にいる術士六人が道を空け頭を下げた。

 まるで白い巨塔の財前教授になった気分だ。



「おお良く来てくれた、光の聖女殿。それでそちらにいらっしゃる御仁を紹介して戴けないであろうか」

「ジャンヌ・スティルトンと申します。本日はセイラ様と共に治癒治療に当たらせていただきます」

「おお、これは闇の聖女様。この様な老いぼれの為にご足労願いかたじけない。昨年は愚息や取り巻きが儂の為にご迷惑をお掛け致した。改めて謝罪致す」

 ポワトー枢機卿はジャンヌに深々と首を垂れる。


「それは過ぎた事で御座います。誠意ある謝罪はお孫様のカロリーヌ様から頂きました。この度はそのお心に報いる為にこうしてまいった次第です」

 枢機卿の周辺に集まる聖職者たちに緊張が走った。

 ここにジャンヌが来た事、そしてカロリーヌの謝罪に応じたと言う事から政治状況のキナ臭さを嗅ぎ取ったのだろう。


「おお、儂は良い孫を持った。お二人の聖女様をはじめ若い者が力を付けられるのは良い事じゃ。儂の孫にもその一端を担えるような者が現れるとは慶ばしい」

「それでは治療を開始いたします。初めはジャンヌ様の一般的なカルキノスの治療を施します。続いて私の回復治療を行い状態を確認いたします」

「治癒術士の皆さんは交代で枢機卿様について下さい。魔力を流してサポートをお願いします」

 治癒魔術の流れを知りたい術士たちが先を争って枢機卿の周りに集まる。

 治癒魔法施術が始まった。枢機卿につく術士は三人ずつ交代で私たちの治癒の様子を観察しているがジャンヌの治療は上位の六人が離れようとしない。


「皆さん明日が本番ですから欲張らないで…。そろそろ変わってあげて下さいね」

 ジャンヌの治癒は癌細胞を殺す抗がん剤治療の様な物だ。健康な細胞も影響を受けるの枢機卿の体調は悪化してきている。

「続いて、私の治癒に移ります。そう言えば大司祭様やその奥様、そしてカロリーヌ様のご挨拶があるとの事でなので、私の回復治療を行いながらで構いませんでしょうか?」

「おお、光の聖女様の回復治癒を受けながらなら、何事が起こっても安心して聞けるであろうからな。ハハハ」

 私はジャンヌの治療後や癌細胞が認められない箇所に少しずつ光魔法を流して再生を促して行く。


 そこにポワトー大司祭を先頭にカロリーヌとその母が入って来た。

「父上…枢機卿猊下。お久しぶりで御座います。ご機嫌麗し…。息災…。御体調の程は如何でしょうか」

 枢機卿は疲れたような口調で大司祭の挨拶に応える。

「マルテル、久しぶりだな。本当に其方は…。お二人とも良く見えられた長旅であったろうが疲れてはおらぬか」

「お気遣い有難うございます、枢機卿様。…馬車御旅も快適で御座いましたわ、お爺様」

「おお、儂をお爺様と呼んでくれるか。カロリーヌこの度は苦労を掛けたようだな。礼を言うぞ」


「それで父上。この度次期当主候補であったカールが家名を傷つけるような失態を起こしまして、廃嫡の後養子縁組も解消致しました。ワシも責任を取り、ポワトー伯爵家の当主を引退する事に致しました」

「そうか。多くは聞かぬが、それでその後は如何致すのだ?」

 ポワトー枢機卿は冷たい声で応じる。


「はい、当主は来週にはこのカロリーヌが爵位を引き継ぎ、ワシは一大司祭として聖教会の実務に専念致します。そして四男のレオンの聖年式を待って大司祭の座をレオンに譲りまする」

 ポワトー枢機卿の眼が、クワっと見開かれた。

「伯爵家当主にカロリーヌ? そして次期大司祭にレオンと申か?」

 枢機卿は表情や口調の割に心拍や血圧にほとんど変化が見られない。多分八割がた演技なのだろう。

 それでもその迫力に気圧されてポワトー大司祭の顔色は無くなってしまっている。

 今一番私の治癒を必要としているのは枢機卿では無く息子の大司祭だろう。

 ポワトー大司祭の胃壁はもう穴だらけかも知れない。

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