第78話 崩壊の予兆

【1】

 春のヴェローニャの町での綿花競り市は活況を呈していた。

 今ではサンペドロ州内で十一の紡績場が稼働し、その各々の紡績場が自工房で紡ぐ綿花を確保する為に、その意を受けた仲買人がしのぎを削っているのだ。

 少しでも品質の良い綿花を競って買いあさっている為取引値も昨年よりも上回っているし、取引量も大幅に増えている。


 この二年で仲買人の目も肥えて、品質にも煩くなってきている。

 今では一等級から五等級までの仕分けの中で上下の区分も付いて、実質十段階の等級評価がなされている。

 何よりこの二年で綿花の品質も向上して、意欲のある領地とそうでない領地との差が大きくなっている。


 農奴を使った農場経営なので彼ら領主たちを全て肯定するつもりは無いが、領地からの搾取だけを目論む領地の品質が向上するとは思えない。

 私は農奴の勤労意欲が低ければ品質の向上も無いと思っている。一括でのゴッダードでの綿花取引に胡坐をかいていた領地は淘汰されるだろう。


 綿花は三等級までは全てと四等級の上の一部がヴェローニャで取引された。

 売れ残った品質の悪い綿花は八割ほどが荷馬車に積まれて国境を越えた。残りの二割は儲けがより下がってもヴェローニャで売り切るつもりの様で、個人間で交渉に入っている。

 その結果ゴッダードに向かう綿花は昨年の半分以下、ヴァローニャの市が立つ前と比べると三割に満たないほどに落ち込んでいる。

 当然品質も最悪だ。


 私はヴェローニャの状況を見届けると、アドルフィーネと二人で馬を飛ばして荷馬車隊を追い抜いて国境を抜ける。

 日暮れ前にはゴッダードにたどり着いた。

 目指すはオーヴェルニュ商会。二日前から認可が下りて営業を始めているのだ。

 馬はオーヴェルニュ商会の前に横付けして、中に入るとホルヘの相棒だと言うホセという見習いが駆けてきた。

ぺぺホセ、オーヴェルニュ商会長に用事があるの。取次ぎをお願いできないかしら」

「へい、セイラお嬢様」

 そう言って奥に駆けこむと直ぐに入れ替わりでアーチボルト・オーヴェルニュが番頭と二人で現れた。


「おい、ココホルヘぺぺホセと二人でセイラカフェに行ってコーヒー豆とお茶請けを貰って来な。セイラお嬢様が見えられたと言やあ、用意してくれるから。それからカツサンドも二皿貰ってこい、俺のメシだ。スコーンなら一個づつ頼んでも良いぞ、駄賃だ」

 それを聞くと二人は返事も惜しんで飛び出して行った。


 アーチボルトは私とアドルフィーネを奥の会議室に招き入れた。

「すみませんね。開店早々で立て込んでおりますもので、こんな部屋しか開いていませんで」

 開店二日目の夕方というのに店内は盛況のようだ。

 私の要請でハスラー産の比較的安価なワインや織物、工芸品や銀製品などを大量の持ち込んで適正価格での販売を依頼している。

 贅沢品の部類に入るハスラー製品や東部物産を扱う商会はゴッダードにはあまりなかったが、ここはそう言ったものを割と低価格で扱っているので興味を持たれているようだ。


「御盛況で何よりですわ」

「いえ、これはセイラ様のお陰ですよ。最近、うちにセイラ様が出入りしていると聞きつけた目端の利く商人たちが、開店日には朝から大挙して押しかけてまいりましてね。良い商売が出来そうです」

 ハスラー聖大公の御用商人ダンベール・オーヴェルニュ商会の商会長の顔で私たちに微笑みかけた。


【2】

 セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢はこの街でもかなりの顔のようだ。

 昨日は朝の開店早々に市内の商会主たちが次々に顔繋ぎの挨拶に訪れたが、一様にセイラ嬢が訪れていたが何を計画しているのかと探りを入れてくる。


「今年で綿花市も終焉を迎えそうなので、ハスラー聖公国や東部の商品を持ち込む商会が欲しいと仰っておられましたよ。ですのでセイラ様からは歓迎されまして」

 アーチボルトの返答に納得したような商人もいたが、さらに裏があると思っているようで、含みのある言葉を残して帰って行く者が大半であった。


 事実、挨拶に来た商人からの情報によればここ一月、アヴァロン商事から大量の綿布や綿糸、そして北西部の物産品が送られてきているという。

 何か絹市場以外に企んでいるであろう事は明白だ。

 今はセイラ嬢はハウザー王国の綿花競り市にいるらしい。そこの状況を見極めて明日にはゴッダードに帰って来ると言っていた。


 それが、一足早く夕方に店に現れたのだ。

 どうも朝から馬を飛ばして帰って来たらしい。貴族にしてはフットワークの軽いご令嬢だ。

 情報の重要性が精度とスピードだと知っているのだろう。

 アーチボルトはセイラ・カンボゾーラを会議室に招き入れると、気さくな東部の新興商人の顔を脱ぎ捨てる。


 ハスラー聖大公からの勅命を受けたダンベール・オーヴェルニュ商会の商会長としてセイラを迎えた。


「それでハウザー王国の綿花市は如何でしたか」

「ええ、それは大盛況で収穫された綿花の七割近くは買い取られたのではないでしょうか」

「それは盛況の様ですが、ゴッダードはどうなるのでしょう?」

「入荷する綿花は昨年の半分以下でしょうね。最盛期から比べると二割五分? 三割には届かないでしょう」


「その上品質は最低と言う事でしょう」

「ええ、ヴェローニャの競り市が始まる前ならば、売れ残って引き取り手の無かった綿花でしょうね」

「はあぁー、これは思った以上に来週からの綿花市は大変な事になりそうですな。ハウザー王国の綿花は最凶作などと噂が出ておりはしましたが…」


「そんな噂も完膚なきまでに叩き潰して、彼らには泣いて頂きます。二年間…二年間キッチリと猶予期間を与えられて、なおかつ自助努力も無く現状に胡坐をかいているものに引導を渡します」

「おお怖い。いったい何を企んでいらっしゃるのですか?」

「アーチボルト様、オーヴェルニュ商会も既にもうその一翼を担っておられるのですよ。私に組しているという噂は多分直ぐにゴッダード中に広がるでしょう。そうなれば綿花市に集う商人にとっては裏切り者ですから色々と圧力がかかる事になりますもの」


「ええ、それならばもう既にゴッダードの市井の商人には公然の事実となっておりますな。私どもも商売上そのお話を有効に使わせて頂いておりますから」

「それではその噂を使ってしっかりと商売に励んでくださいな。ここならば貴方の商会が提示する価格でシッカリ利益は上げられますよ。最高級品はともかく、ブリー州の庶民は皆生活に余裕が出て来ています。チョットした贅沢品ならば買えるくらいの余裕は有るのですよ。それに綿花市の商人が持って来る品よりも随分と安い価格で似た様な物が手に入るならお得感は大きいですからね」


「それで、奴らがゴッダードにやって来た時に積んできた品々が売れなくなるという訳ですな。そして恨みは全て私どもオーヴェルニュ商会に向かうという事ですか」

「まあ! 折角の荷馬車を空荷で返すのは御気の毒でしょう」

 何が気の毒な物か! 売れない品をまた積んで帰る方が気の毒では無いか。

 本当にこのお嬢さんは容赦が無いと思うが、そんな目に合わされる商会に対して同情心もわかないのだが。


「それに救済策も考えておりますわ。綿花市が終わる頃にはアヴァロン商事が集まった皆様方の為に救済の方策も立てておりますから」

 そしてその話を聞いたアーチボルトは、綿花市の商人たちに要らぬ慈悲心をおこさなくて良かったと思った。角を矯めてみすみす殺されるつもりも無い。

 どうせ安値で商品を買い叩く、いやアヴァロン商事の持って来た商品と引き換えにするのだろう。

 少しでも邪魔をしていれば綿花商人と共に潰されていただろう。

 この先アヴァロン商会を、この娘を出し抜くにはかなりの努力がいりそうだ。

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