第100話 マンステールへの対策(1)

【1】

 アジアーゴの城壁の外にある清貧派聖教会の空気は重く沈んでいた。

「裏切られた! あの女! あの大司祭! あの教皇め!」

 野良猫は拳を握りしめ、テーブルを叩きつけ怒りに身を震わせたた。

「だから言ったのですよ。ペスカトーレ一族は、それに関わるものは全て人でなしだと」


「何がジョアンナ様の名誉回復だ! 何が枢機卿の追贈だ! 農民たちの窮状に同情を禁じ得ない? 行進デモ隊の心情はよく解るだと 偽善者め!」

「ジョアンナ・ボードレールなんていない。私は…いるのはスティルトン騎士団長の妻のジョアンナ・スティルトンで、聖女ジャンヌ・スティルトンの母よ。枢機卿など誰も望んでいない。そもそも授戒を受けていない人間が枢機卿などあり得ない」

 ド・ヌール夫人が吐き出すように言葉を繋ぐ。


「ペスカトーレ家はジョアンナ様の行いを歪めて獣人属に憎しみを持って行くつもりなのでしょう」

「…何も変わっていない。あの一族もあの男達も、王室も全て。この国はやはり腐っている。王族も教導派聖教会も滅ぼさねば」

 ド・ヌール夫人は、そう言いながら顔をゆがめ、涙をこぼした。


「それでも第二王子殿下とゴルゴンゾーラ公爵令嬢様は獣人属を守ろうとしてくれています」

「ええ、あの方々は二心無く聖女ジャンヌ様の力になろうとなさってくれています。ロックフォール侯爵家も信用のおける護衛をジャンヌ様につけて下さっていますし、何よりカンボゾーラ子爵令嬢様はあのあだ名以上にジャンヌ様の刀となって下さっていますから」


「やはり私たちは目的通りペスカトーレ侯爵家とその関係する州の足元を揺るがしてジョン王子殿下の即位につなげる事で良いのかしら」

「ああ、それに付いてはアルハズ州の反乱農民の生き残りたちを救出して仲間に取り込みてぇ。あいつらは実際に教導騎士と戦って実績を上げている。これからの俺たちの戦いに力になると思うんだ」


「それじゃあ。これからアルハズ州に渡ってオーブラック州に脱走農民を集めてくるという事ね」

「ド・ヌール様、それで宜しいでしょうか」

「ええ、暫くはこの地に潜んでその脱走農民たちから訓練を受け知識を共有する事に専念致しましょう。私は王都に戻りますが後はお任せ致します」

 そう言うとド・ヌール夫人は肩を落として去って行った。


【2】

 今動乱の真っ最中のアルハズ州ではあるが、マンスール一族は元々はオーブラック商会の顧客でもあったので、オズマがそれなりの人脈を持っている。

 オズマの伝手を使いグリンダが数人のライトスミス商会の職員を送り込んでいる様だ。

 グリンダの事だから危険なまねはさせてはいないと思うが、何が起こってもおかしくない状況なので心配ではある。

 行進デモ隊の首謀者の首が掲げられた時などは、それを目にしている職員の血を吐く様な想いが伝わってくる手紙が来た事もあった。


 アルハズ州マンステールでのアントワネットの演説は二日の差を置いて私の下にもたらされた。

 差出人は別で三通の書状が時を前後して送られてきたのだ。

 どうも閉ざされた州都にいて州内の離散農民の状況や立てこもった反乱農民が殲滅されたなどと言う情報がこれまでは言っていなかったのだが、アントワネットの声明と呼応するかのように州都騎士団が避難農民を州都内に入れたようで、一気に状況が伝わって来た。


 行進デモ隊の半数は州兵が他州へ追い払ったようだが、残りの半数は殆んどが教導騎士団に惨殺されたという。

 アントワネットは二十数名の教導騎士が死亡したことを理由に行進デモ隊への非難と殲滅の正当化を叫んでいるが、その二十数名の騎士は何人の農民を殺してきたのか、教導騎士団が殺した農民は幾人になるのか見当もつかない。


 アントワネット支持派と言われた農村はそのほとんどが消滅したそうだ。

 彼女が喜捨の対象にした村は州内全域で三十を超える。

 全てが行進デモ隊に加わった訳でも無いだろうが、それでも殺された農民は千を優に超えるのではないだろうか。


 マンステールの街は住民のアントワネットと教皇への怨嗟の声に満ち溢れているという。

 その声を押さえ付ける為に大量の教導騎士団が動員され、アジアーゴの大聖堂やダッレーヴォ州からも大量に教導騎士が派遣されているらしい。

 逃げてきた農民によると打ち捨てられた農民の死骸で収穫後の麦畑は真っ赤に染まっていたそうだ。


 そしてかつてアントワネット派の村と対立していた州内の村々は、反乱農民となった彼らの報復に怯え戦々恐々としているという。

 そもそも異端に託けてアントワネット派の村民を売って来たのだから当然と言えば当然である。

 更には守ってくれるのは教導騎士しかいない現状で、強権と武力で教導騎士団に押さえ付けられても反抗できない状況が生まれている。


 州都に逃げ延びてきた農民は州内の村々はさながら地獄のようだと言っている。

 来年は反乱農民の血と死肉を肥料に聖教会の私領の畑は豊作になるだろうと自嘲気味に笑っているそうだ。


 さすがにこの手紙はジャンヌに見せられない。

 躊躇いながら手紙を読んでいるといきなりその手紙を引っ手繰られた。

 いつの間にか勝手に私の部屋に入って来ていたファナであった。

 怒りに満ちた目でその手紙を流し読みしている。


「お呼びしてもご返事が無かったもので私が中を覗くとファナ様が勝手に入られましたもので…」

 ウルヴァがすまなそうに頭を下げた。

 しばらく無言で手紙を読んでいたファナは顔を上げるとキッとした目つきで私を睨んだ。


「あなた、この手紙をジャンヌに隠そうとしていなかった? あなたの考える事などお見通しなのだわ! 隠したところで現実は変わらないのだわ。あなた、ジャンヌを舐めているのだわ! 最近のあなたはジャンヌに気を使い過ぎでは無くって? 何が有ったか知らないけれどジャンヌはあなたより修羅場を潜りぬけている筈なのだわ」

 ファナに見透かされている。


 たぶんファナの言う通りなのだろう。今の私(俺)は本能的にジャンヌ(冬海)の負担になるような事は一人でかぶろうと考えてしまう。

 ジァンヌの聖年式もロックフォール侯爵家とボードレール伯爵家の合同で仕切っているのだから、その頃からファナとジャンヌは顔見知りなのだ。

 南部の盟主の娘として実際のジャンヌとの付き合いはファナの方が長いのだから。

 聖年式迄の暗殺未遂やジャンヌの祖母の殺害事件も私より良く知っているのだろう。


「そうね。わかったわ。これは今すぐに内容を共有して手を打たないと。それにジョン王子にも王妃殿下にも全てをお知らせするべきでしょうね。このまま放って置けば北部は更に血に染まるわ。リオニー、この手紙の全文を書写してちょうだい。終われば封蝋をして印を押すからそれを男子寮のジョン王子と王子を通して王妃殿下に届くように手配をお願いするわ」


 私がリオニーに指示を出す傍らでファナがアドルフィーネに指示を出している。

「アドルフィーネ! ジャンヌとカロリーヌ、それからヨアンナをすぐにここに集めなさい! ヨアンナはウルヴァが一大事だと言えば何を置いても飛んでくるのだわ」

 うちのメイド以外に洩らせる内容では無いんだけど、勝手に人のメイドを使うなよ!

 それからヨアンナへの指示!

 それをやれば速攻で飛んでくるだろうけれど叱られるのは私なんだからね!

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