第169話 教導派貴族との取引(3)
【4】
パウロと番頭がモン・ドール侯爵領に入った頃ランドック商会長はシェブリ伯爵家に居た。
「息災で何よりであったな。鉱山の事故では我が家も三人もの配下を失ってしまったよ。其方もカマンベール子爵家には煮え湯を飲まされていると言うのに鉱山からは手を引いて良いのか?」
何を言うか、元凶はその配下の暴走ではないか。
その上その配下が春には勝手に犯罪紛いの事件を引き起こしていると言うのに。
ランドック商会長は腹立たしいが、顔には出さずに口を開いた。
「伯爵様に置かれてもご壮健で何よりです。運河工事も鉱山の件についても、もうオーブラック商会には余力が御座いません。口惜しい事も御座いますがこれ以上傷口を広げる訳には参りませんので」
「それでも運河工事は順調に進んでおるではないか。それも諦めるのか? 鉱山事故で再開されてはおらんが、我が家としては直ぐに再開するなら延長契約も考えておるが」
結局その儲け分も裏金を要求されて吸い上げられるのだから利益など見込めない。
「カマンベール子爵領の労働基準では我が商会ではもう利益を出せません。ご容赦の程を…」
「左様か、それでは致し方ないな。当領としてはあの山の探索を続けてくれるなら援助も吝かでは無かったのだがな」
なぜこの男、いやこの伯爵家はそこまであの山に固執しているのだろう。
「発見した鉱脈は愚者の金、
「その様だな。あそこはもう良い。何やらカマンベール子爵家も” 危険だから封鎖して監視小屋を建てる ”とか申しておるのであの一帯は彼奴等の好きにさせる。あの山の全ての調査が済むまで人を入れたくないのでな」
「未だ調査を続けるおつもりですか?」
シェブリ伯爵家は早い段階であの坑道から金は出ないと見切りをつけていたのでは無いのか?
不思議に思えたが、質問は呑み込んでこれ以上関わらない事に決めた。
「それでは約束の料金を渡しておこう。今年度の買い付けは如何致す?」
「それは申し上げにくいのですが例年通りの価格では買い付けできません。我が商会も早急に落とさねばならぬ手形がある為現金が必要なのです」
「相分かった。それならば無理は申すまい。この度は納品の品の買取だけと致そう」
あっさりと承諾し、現金を手渡された事に些か拍子抜けした感がある。もっと色々と仕掛けてくるかと思っていたからだ。
「そう言えば其方の奥方の生まれもあの山のある領地では無かったか? まあ生まれて数年で生家が取り潰しになったそうだが。何か聞いていたのではないか?」
この男はどこまで知っているのだろう?
「さあ、妻はもう五年も前に亡くなっておりますので」
「その様だな。生家はとり潰しにあって、嫁ぎ先も廃嫡されて再婚先の商家も苦しい状況とは、ほとほと気の毒な女人だなあ」
両手を握り締めて歯を食いしばり怒りを抑える。
今は喧嘩をしに来たわけではない。娘や商会員の為にも堪えるべきところだろう。
それでも言葉に怒りが滲み口を突いて出てしまう。
「何を仰りたいのでしょうか?」
「いや、他意はない戯れ言だ。良く尽くしてくれたのだから気にかけておるのだよ。何かあれば助力も吝かでは無いぞ」
その言葉に返事をする事も無くランドック商会長は背を向けて伯爵の執務室を退席した。
もう二度と関わるまいと心に決めて。
【5】
ランドック商会長達はシェブリ伯爵家を後にすると南西に向かって領境を越え西部のマリナーラ伯爵領を目指した。
領内に入るともともと活気がある領では無かったが火が消えた様に静かになっている。
伯爵家の領城の有る街も人通りが少なく、目抜き通りの商店も三割がたは閉まっており、看板の降りている店舗も多く見られた。
通行人に聞くと駐留していた教導騎士団が引き揚げた上、聖職者も半分になってしまったと言う。
どうもこれまで周辺の州の中心聖教会であったこの街が、枢機卿の地位を失って巨大な聖教会の聖堂も殆んど人が来なくなってしまったそうだ。
三代続いた枢機卿の役職に胡坐をかいていた領地経営の結果がこの状態である。
マリナーラ前枢機卿は地位を失って大司祭になってから一気に老け込んで引退同然だと言う。
今は息子の筆頭司祭が領主と兼任しており、領主城では無く大聖堂に居るとそうだ。
大聖堂に荷馬車を預けて面会を依頼するとすんなりと招き入れられた。
もと枢機卿の執務室であったと言う豪華な部屋に通されると、筆頭司祭自ら椅子をすすめて商談が始まった。
「良くぞいらしてくれたオーブラック商会殿。まあ寛がれよ」
「いえ、時間もあまり御座いませんので先ず納品のお話を致しましょう。こちらの目録が今回お持ちした契約の品で御座います」
そう言うと商会長は板表紙に綴られた一連の書類を手渡した。
「すまぬ、見せて頂こう。これが父上が発注した商品の一覧か。なあ価格が些か高いのではないか」
「いえその様な事はありません。もし価格にご不満が有れば契約は反古にして頂いて、他の商会からお求めになっても構いません」
「そうでは無い。そうでは無いのだ」
「なあ、オーブラック商会殿。ここに来る途中の街を見たであろう。寂れているであろう。今領内は苦境に瀕しておるのだ」
「それで如何致します。契約は昨年に交わされており、私どもも商品の買い付け迄行いました。今更無かった事には出来ませんぞ」
「そこでじゃ。その荷物を聖教会に喜捨して頂けぬか。これから先其の方ら商会には便宜を図る。私が家が枢機卿の地位に返り咲いた暁には一番に優遇する」
虫のいい話である。契約した積み荷をただで寄越せと言っているのだから。
「ふざけられては困ります。運送費用だってバカにならない! それを全量喜捨せよとなど。そんな事をすれば我が商会は丸損ではありませんか!」
「判っておる、判っておるのだ。しかし金が無いのだ。無い物は払え無いではないか!」
逆切れか? 金がないなら方法を考えると言う知恵は無いのだろうか。
「それならば現物との引き換えでも構いません。今年の小麦相場はこの価格で…」
「その小麦も今年は売れるものが無いのだ。…以前購入した物の代金代わりにそちらも売却致しておるのだ」
「もしかすると次年度の収穫も方に取られているのでは御座いませんか?」
「その通りだ。退去する司祭達に支払う慰労金の為に収穫を担保に借り入れを行わねばなら無かったのだ。判ってくれ」
慰労金など何の必要が有るのだろう、散々甘い汁を吸って肥え太った司祭連中に。
たぶん教導派の司祭連中に押し切られて拒否できなかったのだろうが、この男は領主としてはダメだ。
「判りました。契約は解除して必要な物だけお売りいたしましょう」
「その金も…」
「お話になりませんな。今回の契約は無かった事に致しましょう」
「そうも参らぬのだ。父上が必要だと申す物が多くあるのだ。頼む」
地位を失い引き籠る父を引退させる事も出来ず、周りに流されるままにこれからも破滅して行くのだろう。
ただそれに同情する事は出来ない。
何よりこの豪華な調度品に囲まれた部屋に居座って借金の無心などとは片腹痛い。
それで苦労を強いられるのはこの領に関わる平民たちなのだから、破滅するならさっさと破滅して貰たいと思う。
「判りました。こう致しましょう。この聖堂内の調度品を査定してそれと引き換えにお納め致しましょう」
「しかし、上級貴族として体面と言うものが有るのでそう言う訳にも…」
「南方の立派な段通が沢山御座いますなあ。価格は落ちますがこれと引き換えにハスラー聖公国産の毛織物の在庫を持っております。それならば体面は維持できませんか?」
何度も訪れた事のあるこの大聖堂には遥か南方からもたらされた高価な手織りの絨毯が至る所に敷き詰められていた。
初代枢機卿の趣味ようだが南方産なので、今の枢機卿もこの息子も値打ちが解っていない。
彼らが望むのならばと昨年押し付けられた抱き合わせのハスラー聖公国産の絨毯と引き換えにして、差額分を香辛料や砂糖などの購入費に充てる事で合意出来た。
引き受けた段通の骨董的価値がいくらになるか分からないが、どうにかこの領でも損失は出さずに引き上げる事が出来そうだ。
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