第2話 暗転

 救急車のサイレンの音。

『救急車が通ります。道を空けてく ださい』

「熱傷面積、両下肢全面及び体幹後面全体」

「熱傷深度Ⅰ度からⅡ度。意識低下あり」

「しっかりしてください。わかりますか?意識を保って」

 救急救命士の声が遠くから聞こえる。


「島崎君と坂本君は?退避できたのか?」

 下半身が焼けるように痛い。

「大丈夫ですよ。みんな助かりましたから。しっかり意識を保って」

「あああ、ああ、良かった」


 目の前が暗くなってくる。

「駄目ですよ。ご家族のところへ帰るまで意識を…!」

「そうだ、大学病院へ、娘の病院へ行ってくれ」

「このまま救急医療センターへ向かいます。娘さんには連絡を取りますから」

 下半身に激痛が走り、意識が途切れそうになる。

「それじゃあ、実家に。実家の両親に連絡を…」

「とりあえず、救急医療センターへ…」

「心拍数上昇。呼吸不全です」


 口元に酸素マスクを押し当てられる。

「それじゃあダメなんだ」

 マスクを手で払い叫ぶ。

「ドナーカードを、俺のドナーカードを! 俺の臓器をすべて娘に」

「意識レベル低下」

「臓器を娘に、冬海に移植してくれ。おねが・・い・・・・だ」

 妻の絵里奈の笑顔がぼんやりと浮かんだ。

『ごめん、絵里奈。約束、守れそうもないや』

 冬海の泣きそうな顔が目に浮かぶ。

『二人とも許しておくれ。父さんもうダメみたいだ。だから俺の分まで生きてくれ。俺の命を冬海につないでくれーー』


【2】

 眼の眩むような光が瞬くような感覚が、頭の中に溢れる。眼を閉じているのに目の前が真っ白に輝いているように感じる。そして記憶の奔流が、脳の中に雪崩れ込む。

 これは(俺)の最後に見た記憶の再現。全身を貫く焼けるような激痛と、身を焦がすような絶望感。瞼の裏に焼き付いた少女の顔。

「フユミ…フユミ…」

 止めど無く涙が流れる。


 まぶたを開けると、泣きながら私を抱きしめるお母様の顔が見えた。その後ろには鬼のような顔で泣くのを堪える父ちゃんが、私とお母様をしっかりと抱きかかえていた。

「セイラ、だっ、大丈夫か?」

 父ちゃんの震える声を耳にして、大切なものを失おうとしている(俺)の末期の記憶が私を苛む。今、父ちゃんとお母様の思いが痛いほどに判る。


 お母様と父ちゃんを目にした私の安堵と、すべてを失った(俺)の絶望の感情が一機に流れ込み二人の胸の中で号泣した。

 声をあげて泣いたことで、気持ちが落ち着いて冷静さが戻ってきた。

 とりあえずは、私の感情が、気持ちが口をついて言葉になる。

「お母様、父ちゃん、大好きだよー」


「なんだよう。レイラの方が先かよ」

 父ちゃんが少し不貞腐れたようにつぶやく。

「セイラ、ビックリしたの? 怖かったの? もう大丈夫?」

「怖い夢を見たの。お母様、驚かせてごめんね」

「それから、父ちゃん。男の嫉妬はカッコ悪いぞ」

「うるせえ。もう金輪際お前の心配なんてしてやらねえ」

 父ちゃんが顔を赤くしてして吐き捨てると、クックとおかしそうに笑った。

 それを聞いてお母様もウフフと笑う。


 今は私でいることが、両親に抱き締められていることが無性に嬉しくて、二人にしがみついて一緒に笑った。

「セイラさん。あなたは火属性の魔力が少し強かったようですね。この部屋で少し休んでいてください。それからご両親には少しお話がありますので、奥の間に来てください」

 聖導女様が静かに私たちに告げた。

 そして聖導女様は両親を伴って部屋を出て行き、私(俺)は一人残された。


【3】

 私の中に大量に流れ込んできた(俺)の記憶と何よりも(俺)の最後の感情が、私の中で収拾を付けられずに渦巻いている。一人になることができて助かった。

 激情を抑えるため、声を殺して嗚咽する。少しずつ頭が冷えて冷静さが戻ってくる。


 (俺)のこの記憶は何だ?

 それは多分十年前の私が生まれる前の記憶だろう。私が私として存在する前の記憶として、私は今思い出し認識した。感情を伴った生々しい記憶がよみがえり、それに伴って過去の記憶が次々と思い出されてきた。

(俺)はある大手企業の研究員だった。

 あの日もプラントで実験の立ち合いをしていたのだが、そこに運悪く運転を誤ったタンクローリーが突っ込んできた。


 そして(俺)の部下が二人巻き込まれて、機材の下敷きになった。

(俺)は一人目の女子社員を救い出し、二人目の男子社員を引きずり出したところで、ローリーに火が走った。

(俺)は咄嗟に男子社員に覆いかぶさる。

 一瞬遅れて、耳をつんざく爆発音と業火が両足と背中に走るのを感じた。周りの悲鳴を耳に、(俺)は意識を失いかける。

 霞む視界の端で助け出されて男子社員が、ほかの社員の肩につかまり歩いて避難するのが見えた。


 (俺)は消火器を雲霧されて、両脇を抱えて担ぎ出された。

「課長、死なないでください!」

「課長、がんばって、すぐに救急車が来ますから」

 皆が泣きながら、口々に何か言っているがもう何も聞こえない。

 そして次に意識が戻ったのが救急車の中である。

 (俺)が助け出した島崎君も坂本君も、無事だったようだ。二人とも大きな火傷の跡は無く、歩いて退避できているので大丈夫だろう。そう思うと少しは安心できる。


 残してきてしまった家族の事が心配だ。

 (俺)には高校生の娘がいた。

 労働災害だから補償は十分に払われるだろう、生命保険や企業補償も出るだろう。

 会社の規定では、娘の就学補償も大学卒業まで支払われるはずで、年金もいくばくか支払われる。

 少なくとも一人前のなるまでのお金はある、健康であるならば。

 そう、健康ならば……。

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