第123話 アレックスのルームメート(2)
【3】
”ドン!” 壁が拳で殴られた。
「セイラ・カンボゾーラ! 居るんだろう」
私が壁にコップを当てて聞き耳を立てている位置からはかなり離れているけれども、同じ壁である。
一瞬、ビクッとしてしまった。
「別に居ても居なくてもどうでもでもいい。どうせ俺の独り言なんだから、返事なんていらない」
どっちなんだよぅ。対応に困るじゃないの。
「俺は平民に堕ちて八カ月たった。今思えば何の努力も無く、自分では何も成さずに生きてきた十五年だったよ。父上だって領民に恨まれ憎まれ、その挙句聖教会とシェブリ伯爵に踊らされて命を落とした。立派だと尊敬していた二人の兄貴も威張り散らすだけのクズだった。長男は金目の物を掻っ攫って行方をくらませて、次男は酒に逃げて犯罪者として殺された。母上は全て投げ捨てて実家に帰って音信不通だ。最低だよ」
そこからしばらく嗚咽が続いた。
「それでも、父親だったんだ…兄上だったんだ…母上だったんだ。俺がこんな目に遭ったのはあいつらのせいだって、恨んでも恨み切れない。憎み切れない…あんな親兄弟でも俺の家族だったんだ」
もう一度壁が殴られた。
「起こった事はライオル一族がこれ迄やって来た事の報いなんだろうさ。カマンベール家もカンボゾーラ家もそれで迷惑をこうむっている事も知っている。セイラ・カンボゾーラ! お前が父上を手にかけた訳じゃないのも知ってる。でも、恨まずにはいられないんだ。お前の顔を見ると抑える事が出来ないんだ」
解るよ、あんたの気持ち。
前世で妻の絵里奈が死んだ時、医者は手を尽くしてくれたけれどもう少しどうにかならなかったのか、もっと早く見つけられなかったのか、自分でも理不尽だと思っていても恨みたくなった。
ライオル伯爵だって傍目に見てあんな男だったけれど、あんたには良いお父さんだったんだろう。ロアルド・ライオルだってあんたには尊敬できる兄だったんだよ。
「あんたは頑張ったじゃないないの」
”ドン!”
「喋るな! 励ますな! 嘲ったままでいろ!」
…。
「俺は、お前とシェブリ伯爵家への恨みで這い上がってきた。家が廃絶して予科の寄宿舎にも居られなくなって、一人で平民寮に移った。恨んで恨んで、見返してやりたくて勉強して、そうしたら同室のエドガーが色々と教えてくれた。天文と幾何ならAクラスを狙えると。教本通りに出題されそうなところも全部教えてくれたよ。サーヴァントのルイスに参考になる本を借りてこさせて…。セイラ・カンボゾーラなら幾何選択だろうから心を乱されない様に天文に絞れとも言ってくれた。この気持ちが萎えたら心が折れる。だから悪いが恨ませてくれ!」
私に対する恨みが生きる原動力になっているんだ。
解ったよ…恨んでくれていいよ。あんたに対して憎まれ役に徹してやるよ。
少なくとも力になってくれる友人も出来たようだし、エドガーと…ん!? ルイス!? サーヴァントの?
「知ってるさ。平民寮に居ればどれだけライオル家が憎まれていたか。南部や西部や北西部から沢山の学生が来るのに北部や東部の学生が極端に少ない事も、ライオル領からは何年も平民寮に学生が来ていないことも」
……。
「罵倒されたり、憎まれ口をたたかれたりもあったさ。でも気さくに話しかけてくれるやつもいる。予科に居た上級貴族なんて及びもつかない凄い奴だって平民寮には何人もいる。三学の成績で撥ねられてるが四科や論理学ならAクラスの負けない奴らもBクラスに沢山いる。生まれや身分なんて何も役に立たない。教導派の教義なんて糞喰らえだって言いたい。でもそれは俺の十五年をすべて否定するこちになるんだよ。何代も続いたライオル家の血筋を否定する事になるんだ。それもどうしても出来ない。…壊れてしまったものは戻らないけれど流れる血を絶やす事も出来ないんだ。だからお前らとは相いれない。たとえシェブリ伯爵家が共通の敵でもお前らと相容れては一切ない!」
…解ったよ。これからもあんたの前に立ちはだかってやる。邪魔なら踏みつぶす。あんたなら又立ち上がってくると思うから。
【4】
そして話は初めに戻る。
新学期、王都に戻った私はナデタとアドルフィーネを従えてライトスミス商会の事務所に乗り込んだ。
職員に聞いてみるが、ここには居ない様だ。
何でも週に一~二度顔を出すが、不定期でいつ現れるか分からないので連絡の取りようもないと言われた。
もちろん商会の宿舎で暮らしているわけでも無く、どこで寝泊まりしているかも不明のようだ。
唯一パブロが連絡方法を知っていたようなのだが、カマンベール子爵領の大掃除が大詰めを迎えているのでフィリポの街に帰っている。
「そもそもパブロもカンボゾーラ子爵家の
アドルフィーネが眉をひそめて困ったように苦言を発するが、そう言う自分はカンボゾーラ子爵家のメイド長の立場で何故ここに居るのかと問いたい。
聞いたところでもっともらしい屁理屈が帰って来るだけなので聞かないけれど。
ところがパウロの手がかりはセイラカフェで直ぐに知れた。二日おきにセイラカフェにお茶請けのお菓子を取りに来ているのだ。
それに平民男子寮に出入りしているのを見たと証言するメイドも何人か居た。
ほぼアレックス・ライオルの言っていたルイスとはあいつで間違い無いだろう。
翌日の午前中にセイラカフェに現れたルイスを拉致監禁し、セイラカフェの倉庫で尋問を始めた。
「あれだよ…アレックス・ライオルの監視だよ、秘密裏に。ほら、マルカムのようにさせない為に…導いてやる…的な。なあ、お嬢も分かるだろう」
「それで、なんで隠れてコソコソとそんな事をしてたの?」
「それは…まあ、お嬢と関わらせない方が良いと。お嬢と係わりがあると知れたらあいつも心を開かないし。お嬢だって上手く隠し通せるほど器用じゃないだろう」
「まあ、その言い訳は聞いておいてあげるわ。それで絵を描いたのは誰? 同室のエドウィン・エドガーって何者よ?」
「…それは言えねえ。いや、待ってアドルフィーネ。口止めされているけどやましい事はしてないから…。痛い痛い痛い…ナデタ! ちょっと力を弱めて!」
「まあ良いわ、あんたの言い分は聞いたげる。アレックスはア・オーで少し療養してから帰って来るわ。これからもあいつの力になってあげて」
「良いのか…本当に。あいつの原動力は…」
「知ってる。だから私が立ち塞がってやるから、あんたはあいつのバックアップをしなよ。…アレックスの事を嫌いって訳じゃないんだろ」
「理由はどうあれ、前向きに頑張ってるからな。お嬢には敵わないだろうけど」
ルイスは解放したが、これで納得した訳じゃない。エドウィン・エドガーが何者かはハッキリさせたい。
エマ姉に調査を依頼する事にした。
「エマ姉、クラスメイトのエドウィン・エドガーの事を調べて貰いたいの」
「うーん、そいえば居たわねえ。そんな名前の生徒が」
「一度も講義に出ていないのにクラス名簿には残っているし、平民寮に住んでるらしいのよ」
「ああ、そうだ。講師の先生に聞いたらクラス分けで三学も天文も満点で、翌日個人で受けた幾何も数学も満点だったんですって。それで寮内で自主学習するのを許されたそうよ」
さすがに情報通のエマ姉だ。抑えるところは抑えている。
「どうもウチの関係者みたいなの。調査をお願い」
「分かったわ。エドウィン・エドガーね。…ウチのエドみたいな名前ね」
「…どういう事?」
「だからエドみたいな名前だって」
「…エドって愛称だったよね。フルネームは何だったけ」
「エド・シュナイダーよ」
「ミドルネームは有るの?」
「うん、ミドルネームはエドだよ」
「ファーストネームもミドルネームも同じ?」
「ううん、それは違うよ。ファーストネームがエドウィンでミドルネームがエドガーでラストネームがシュナイダーよ」
あのヤローこんな所で引き籠っていやがったんだ!
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