第86話 ドミンゴ司祭の苦悩

【1】

 結局モン・ドール侯爵家からは打ち合わせの要請は来なかった。

 絹利権に食い込むために何か私やエマ姉に対するアプローチが有るだろうと思っていたが、それも一切起こらなかった。

 絡まれれば厄介だと思っていたが、こうまで身構えて待っていたのに盛大な肩透かしを食らったように感じる。


 しかしコレはコレで引っ掛かりが有る。

 あのマリエッタ・モン・ドール寵妃殿下が諦めるとも思われないからだ。

 オークションハウスも絹市場も握っているのはマリエル王妃殿下なのだから、絹製品の入手ルートを探るには私たちにアプローチする他ないのだ。

 気位の高いマリエッタ寵妃殿下が王妃殿下に膝を屈する事など考えられない、いくらそこに裏の意図が有ったとしてもそんな事は絶対しないだろう。


 ならハスラー聖公国が独自の入手ルートを確立するまでに、モン・ドール侯爵家も独自の入手ルートを手に入れたいはずだ。

 それが有るから新学期の初日に私に絡んできのだろうに。

 あの時私からもそれとなく入手ルートをにおわせてやったのに…まあウソ情報だけど。


 という事で、奴らの周辺を探ってみたが教皇派閥の貴族連中に関連する出入り商人を調べてみたがこれと言った動きは見られなかった。

 不思議なほど動きが無さ過ぎるのだ。

 王妃殿下からの情報ではマリエッタ寵妃殿下は絹が手に入らず非常に機嫌が悪いそうではあるが、かといって宮廷内の教皇一派にもオークションで入荷待ちをする以外に大きな動きが有る訳でも無いようだ。


 私も手持ちの絹は捌き切っており、次の入荷待ちの状態なのだ。

 ところが教皇派一派の動きはまるで予想しなかったところからもたらされた。それはグレンフォードのボードレール枢機卿からの書簡であった。


 ペスカトーレ枢機卿がメリージャのバトリー大司祭に書簡を送っていたのである。

 バトリー大司祭の書簡の運搬はもっぱら腹心のドミンゴ司祭の手によって行われていた。

 特にラスカル王国のペスカトーレ枢機卿との極秘書簡についてはすべてドワンゴ司祭が取り仕切っていたのだ。


 しかしバトリー大司祭の利権の処理が増えて、ドミンゴ司祭がメリージャからそう頻繁に動けない様になった。

 そこでペスカトーレ侯爵領の領都であるアジアーゴの城壁の外に、連絡用の清貧派聖教会が作られた。

 建前は船員の中に居る獣人属の為の聖教会と言う事になっているが、その任務はメリージャとアジアーゴ…バトリー司祭と教皇派聖教会の秘密書簡の中継所である。


 駐在している修道士・修道女はドミンゴ司祭の直属で、第三城郭の聖教会分室を仕切っているトマス修道士とガブリエラ修道女が交代で務めている。

 秘密書簡はアジアーゴの清貧派聖教会かメリージャの第三城郭聖教会分室にもたらされトマス修道士とガブリエラ修道女がその運搬を担っている。


 …と言っても当然途中にゴッダードの聖教会を経由してニコライ司祭長が全ての書簡に目を通し、ボードレール枢機卿に報告が入るのではあるが。

 この間ゴッダードに帰った時にはニコライ司祭長から、封蝋の偽造が上手くなったと自慢げに語られた。


 書簡開封についてはニコライ司祭長とボードレール枢機卿、そしてドミンゴ司祭と

 トマス修道士とガブリエラ修道女の五人に加えて私しか知らない。

 特にアジアーゴの聖教会は南部や北西部の清貧派聖教会との繋がりも殆んど持たず、聖教会の運営はペスカトーレ侯爵領の有るダッレーヴォ州で雇った獣人属や清貧派の見習い聖職者が詳細は知らされず務めている。


 ドミンゴ司祭はニワンゴ司祭に会う機会が減ってさぞ残念だろうと思う方もいるだろうが、あの潔癖症の聖職者の鏡はフィリポの町を経由する時に書簡を託すだけでニワンゴ司祭に会おうとはしない。

 出立時の約束でもあり、職務に支障をおこすような事が無いようにとの配慮だそうだ。


【2】

 始まりは春休みに入る前の海事犯罪審判後半月ほどした時期にさかのぼる。

 そのときシャピに詰めていたガブリエラ修道女にいつもの書簡と共に小さな荷物が託されたそうだ。

 そこで彼女はいつも通りゴッダードの聖教会に赴き書簡と荷物の確認を行った後、メリージャの聖教会分室に戻り、ドミンゴ司祭に書簡の内容を簡単に伝言して荷物と共に渡したのだ。


 書簡の内容はたしたものでは無かった。

 アヴァロン商事がハウザー王国の商人を経由して手に入れた生地が、ラスカル王都で大流行している。

 バトリー大司祭に流行の生地で作った上着とハンカチをプレゼントすると言うものだ。

 またアヴァロン商事が購入したという商会に伝手が有るなら紹介して欲しいとの一文もあった。


 ニコライ司祭長はわざわざ荷物包みを開く必要も無いと考えて書簡だけ開封して、後はガブリエラ修道女に全て返却した。

 ドミンゴ司祭も特に気にする事も無くバトリー大司祭に全てを渡したのだ。


 ところがその日からバトリー大司祭は狂ったように新しい生地を持ち込んだ商会を探し始めたのだ。

 まあ実際にはバトリー大司祭のヒステリーとムチャ振りに、ドミンゴ司祭や部下の司祭連中が迷惑を被る事態になったという事なのだが。


 とは言う物のバトリー司祭としてもライトスミス商会やアヴァロン商事がラスカル王国の清貧派聖教会の紐付きである事はわきまえている。

 新しい生地、すなわち絹の情報を直接アヴァロン商事に訊ねる訳には行かない。

 情報の出どころを勘繰られれば教導派との繋がりが露見するかもしれないからだ。


 同じ清貧派の仮面をかぶっているが、バトリー大司祭が教導派にシンパシーを感じペスカトーレ枢機卿と繋がっている事が漏れる事は得策ではない。

 かつての農奴の大量虐殺でハウザー王国の王宮からも睨まれているのだから、教導派との繋がりが露見すると命に係わる事は間違いなののだから。


 そこで入手情報の詳細を求める書簡をペスカトーレ枢機卿宛てしたためてドミンゴ司祭に託した。

 その書簡はトマス修道士の手によってゴッダードのニコライ司祭長にドミンゴ司祭の嘆願書と共に持ち込まれた。


 ようするにバトリー大司祭のヒステリーに辟易したドミンゴ司祭が音を上げて、私宛に救援依頼を託したという事だ。


 バトリー大司祭の書簡はそのままアジアーゴに向かい、ドミンゴ司祭の嘆願書はボードレール枢機卿を介して私のもとに送られてきたのだ。

 私としては絹の購入先のサボタージュが成果を上げた事は嬉しいのだが、ドミンゴ司祭は少々気の毒だ。

 だからと言って詳細を明かす訳にも行かない。

 仕方が無いのでシュナイダー商店が入手している紬の生地一反をドミンゴ司祭に託すことにした。


 紬とは屑繭やちぎれた廃棄品の絹糸を撚り合わせて紡ぎ直したもので、本来の絹生地よりは見た目は数段劣るが絹生地には違いない。

 取り敢えずこれでヒステリーを納めて貰ってしばらく時間稼ぎをして貰おう。


 その準備を進めていた時に私宛に思いがけない連絡がシャピよりもたらされた。

 北海にまたもや海賊船が現れたのだ。

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