第86話 延焼(1)
【1】
「ペルラン州は面白いことを始めたようだな。州兵には何か要請が来たりしているのか?」
「今のところ州都騎士団にこれといった要請も無いようですが。先に教導騎士団が動くのではないでしょうか。あの州の教導騎士団はモン・ドール侯爵家の私兵のようなものですから」
「ならば教導騎士団が制圧に動くまでは州兵への要請は蹴らせておけ。教導騎士団が疲弊すれば頃合いを見て動かせばいい」
「閣下のお名前で通達を…?」
「馬鹿者、輜重大隊の大隊長が統帥権にかかわるような指示を出せるわけがないだろう。国王陛下のご指示が無いため輜重大隊としては補給もままならないため無理な出兵は控えて欲しいとお願いするのだよ。マルヌは周辺の各州都騎士団長にも同様の事をさせているようだからな」
「もし陛下より要請を賜ればいかがいたしましょう?」
「少しは考えろ! 荷駄兵と歩兵しか持たぬ輜重大隊は動きが遅いのだ。物資調達にも時間がかかる。理由はいくらでもあるだろう」
エポワス近衛副騎士団長、改めエポワス輜重大隊長はそう言って楽しそうに笑った。
”武力だけが軍隊ではない”
彼にそう吹き込んだものがいた。
初めは半信半疑であったが、事を進めて行くに従って面白いように成果が表れる。
高々王都だけを管轄する近衛騎士団の団長などどいう地位に固執していた今までの自分がバカバカしくなるほどに。
武器が無ければ、防具が無ければ、何より空腹の弱兵では戦の役には立たないと言う事を、そしてそれを握ることが軍を握る事だと理解した。
軍務卿と宰相に図って輜重大隊の新設を提言したのはそういった経緯からだ。
あ奴が全てお膳立てをしてくれた。
軽装の防具は全て我らが握った。重装備の防具などは貴族出の重装騎兵に任せればいい。
平民や準貴族が中心の州兵団にとって無用の物だ。今や重装騎兵の装備は貴族連中の見栄を張る飾り物程度の価値しかないのだ。
そもそも銃や砲が台頭している昨今、動きの遅い重装兵などただの的である。
銃や砲の前で重装騎兵の装甲は打ち抜くことができるので敵にならない。重装歩兵など動かない標的以外の何ものでもない。
兵糧に関しても南部からオートミールや押麦が大量に調達できる。
単価が高く嵩張るライ麦パンよりも、安くて簡単に調理が出来る兵糧が大量に調達できるのだ。
木工や鍛冶工房も南部の一流どころであるライトスミス木工所やヴァクーラ鍛冶機械工房を紹介して貰っている。
武具はともかく兵站に重要な重機や貨物車両の改良、調達を進めている。
名刀、名槍と言えど戦の場では消耗品である。折れずに切れるなら銘も意匠も必要ない。
北西部や南東部に展開している州兵団の練度は日増しに上がっている。
州兵の大半は農村や下層市民らかの徴兵である。領主と農民が反目するのなら州兵は当然農民側に味方する。
領主が農村の鎮圧を命じても州都騎士団がそれに反対すれば、州兵はどちらに付くのかは一目瞭然だ。
この辺りで領主家の権力の強い地域で州兵団と領主家の間に楔を打ち、教導騎士団の戦力を削るのに有利だろう。
あの娘、エマ・シュナイダーが言う様に州兵を全て掌握し陸軍として再編するのも間近である。
【2】
エポワス伯爵が支配するヨンヌ州とその北に位置するアルハズ州の州境に農民らしき男たちの一団が集められていた。
多くはモン・ドール侯爵家お膝元ペルラン州から移って来た者だが、アルハズ州やオーブラック州、そして一部にはカブレラス公爵家の治めるアストゥリアス州から来た者もいる。
彼らを前にして軍装の武官が数名指示を出している。
「貴様らは死人だ。もう生きている訳では無い! 貴様らもその首を差し出した時にその覚悟だっただろう。ならこれから死にに行け、聖女ジョアンナ様の名のもとにその命を捧げろ!」
「「「「おおー!」」」」
「貴様らのやるべきことは解っておるはずだ! これからアルハズ州やオーブラック州、そしてあの憎いペスカトーレ教皇の握るダッレーヴォ州でも聖女ジョアンナの顕彰を要求する事だ! 農村開放の要求も市民開放の要求も暗記しているはずだ。なら後は貴様らの聖女ジョアンナ様への想いをぶつけて賛同者を、行進者を一人でも多く増やして州都迄行進する事だ」
「「「「おおー!」」」」
男たちは幾人かのグループに分かれてあちこちに散り散りに消えて行った。
「命を捨てた狂信者は怖いな」
「しかし御しやすい。この先もこの狂信者たちは増えて行くぞ。その辺りの暴動農民とは覚悟が違うからな。この先各州都騎士団が上手く奴らを回してくれるだろう。死んだら死んだで奴らの本望なのだから」
「しかし領主が強権を発動して無理に州兵の動員をかければどうなる?」
「エポワス大隊長の申した通りだろうよ。州兵はそう簡単に同胞に手を上げられるはずも無い。州兵と教導騎士団の争いになれば更に困るのは領主殿だろうよ」
【3】
各地に散って行った男たちの目は一点しか見つめていなかった。
彼らの大半は聖女ジョアンナが存命の頃に、その行為を実際に目にし命を救われた者たちである。
もとより聖女ジョアンナへの尊崇の念が強かったため、その娘のジャンヌが聖女の称号を得た時にこぞって清貧派に改宗し、ジャンヌの後ろ盾になろうと務めてきた。
そしてこの度のペルラン州での事件でそのジョアンナが何一つ報われずに死んで行った事に気づかされたのだ。
農村開放要求も市民開放要求も聖女ジョアンナが生前に望み目指し成し遂げようとして成しえなかったものだと教えられた。
その志を継ぐのは誰なのか?
聖女ジャンヌに命を懸けさせる訳には行かない。聖女ジョアンナの二の舞を踏ませることは出来ない。
それならばその塵芥のような平民の命でも、大義の為に捧げるのだから躊躇うなとあの男たちは言った。
斬首の場に連れ出されてその言葉を聞かされた時、尤もだと思った。
聖女たるジョアンナの志を継ぐことは創造主の定めた正しき道につながる運命ではないだろうか。
創造主の定めた運命ならこの先命を落とすことが確実であっても、それは殉教につながる。
そしてその考えは疫病の様に感染して行くのだ。
清貧派のだれも望まないことが、さも事実のような衣をまとい燃え進んで行くのだ。
その延焼に枯れ枝をくべる者がいる。
あちこちで藁束を積み上げる者がいる。
そして火種となる農民は狂信と言う名の風に煽られて次々と数を増やして行き始めていた。
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