第134話 王妃殿下の晩餐会(2)

【3】

「今宵のアントルメはモモのソルベとなっております。フルーツはイチゴの加糖練乳をかけた物をお持ち致しました」

 王妃殿下付きのメイドが給仕とおぼしきサーヴァントから受け取ったトレイを掲げてきて新たに設えたテーブルにそれを置いて下がって行く。


「ソルベ? 加糖練乳? 聞かぬ名じゃな」

 王太后殿下の横の随員らしき若い男が、銀のスプーンでソルベを掬って一口口に入れてから眼を瞠る。

 毒見役なのだろう。

「どうじゃ。良い香りがしておるが…」

「冷たくて大層甘うございます」

「おお、おお、早よう賜れ。早う、早う」

 もう一人の随員の男が別のスプーンでソルベを掬って王太后の口に持って行く。それを口いっぱい頬張ると満足げに溜息を洩らした。


 それは美味いだろう。多分ファナがダドリーの渾身のレシピを知る料理人を貸し出しているだろうから。

「イチゴの方はどうなのじゃ? こちらも早う」

 毒見を済ませた後のイチゴが練乳をタップリと絡ませて王太后の口に運ばれて行く。

「なんじゃこの甘いソースは? 牛の乳の様じゃがねっとりと絡んでこの甘さは何という旨さじゃ」


 加糖練乳なんて大した手間もかからない。大量の砂糖を加えた牛乳をゆっくりと煮立たせて水分を飛ばすだけなのだから。

 かつて妻の絵里奈が冬海の為に作っていたのをよく覚えている。ハウザー王国では一般的に使われている事には少々驚いたが。


「いかんのう王妃よ。この様な美味なるものをわらわに知らせぬとは。この料理人はどこの者じゃ」


 王妃殿下は顔面蒼白で胸に手を当てながら答える。

「その料理人は…」

「それはサロン・ド・ヨアンナの料理人なのだわ。ゴルゴンゾーラ公爵家のヨアンナが監修している昼食クラブなのだわ。今日もソルベと練乳を届けてきたのだわ」

 王太后の意図を察したファナがピシャリと言い放つ。


「それはあのケダモノ好きの娘の店か…。このアントルメも…」

「それは知らないのだわ。直接ヨアンナ・ゴルゴンゾーラ聞けばわかる事なのだわ」

「不愉快じゃ。興が削がれた。もう下げて良い」

 王太后はこれで引き上げるのかと思いきや、そんな様子はない。


「軽い酒を貰おうか。シードルが良いな。若者たちの語らいにもう少し参加させて貰おうか」

 どうも腰を据えて居座るつもりのつもりのようだ。お陰で室内は微妙な空気に包まれてしまった。


【4】

「それならば我が領で出来たシードルを本日の宴に持参しております。王太后殿下を交えてもう一度乾杯を致そうでは御座いませんか」

 空気を読んだのか読んでないのか、マルコ・モン・ドールが立ち上がりサーヴァントに指示を出す。


 それに合わせてシードルが持ち込まれグラスに注がれて行く。

 シードルを注いで行くサーヴァントを眼で追いつつ部屋の様子を伺っていると、王妃殿下は本当に顔面蒼白となり額に脂汗が滲んでいる。

 何か王妃殿下の様子がおかしい。


「それでは王立学校の若き英才たちを讃えてわらわが音頭をとろう。乾杯じゃ」

 そう言ってグラスを掲げる王太后殿下に合わせて全員が立ち上がり、グラスを掲げた。


 ガシャーン!

 王妃殿下の手からグラスが滑り落ちテーブル上で砕け散った。

 そして王妃殿下の身体がゆっくりとスローモーションのように崩れ落ちて行く。

 ガシャガシャガシャーン!


 クロスと共にテーブルの上の食器が落ちて行く。

 仰向けに倒れた王妃殿下は薔薇の鉢植えに倒れ込み幾つかの鉢がひっくり返って割れる。


「母上!」

「「「「王妃様!」」」」

 ジョン王子が駆け寄り、それに続いて私を含めて席を立った生徒たちが次々に駆け寄って行く。


「ホホホ、王妃殿下はどうも体調が優れんようだな。早々に休ませる事じゃ」

 他人事の様に冷酷に笑う王太后の声が響いた。

 ジョン王子は怒りと憎しみの籠った視線で王太后を一瞥するがすぐに王妃殿下を抱え起こす。

 王妃殿下の顔は薔薇の棘で引き裂かれ傷だらけになり、ドレスもあちこち破れている。

 絡まった薔薇をジョン王子は素手で掴むと鉢ごと引き倒して行く。

 下草の花の中からは花の香りと灯りに誘われた羽虫が大量に飛び立って行く。


「おやおや、ジョンよ。わらわの献じた薔薇を粗末にするでないぞ」

 ジョン王子はイヴァン達近衛騎士と王妃殿下を抱き起しながら悪態をつく。

「忌々しい蔓薔薇も下草のジギタリスもくそ喰らえだ! 母上! 母上!」


 私はその様子を見ながら他の物に指示を出す。

「広い場所に! クッションでも何でも良い。何かを敷いて横にさせて!」

 イヴァン達三人の騎士が王妃殿下を抱え上げてクッションを並べたソファーに移動する。

「誰でも良い治癒術士を呼んできて私に従う様に言って。エヴェレット様! ナデタを…ナデタに言いつけてカタリナ修道女を呼んできて!」


 ここに来た当初は王妃殿下はとても機嫌がよく元気だった。

「ジョン王子! 王妃様に何か持病は有った?」

「いや、そんな事は聞いた事も無ければ隠している様子も無かった」


 たぶん一服盛られたに違いない。

 王妃殿下の身体を横にして口を開かせる。

「失礼致します」

 喉の奥まで指を突っ込むと大きくえずいた後吐瀉物が吐き出されて行く。

 嘔吐物の嫌な臭いが立ち込めるがそんな事は構っていられない。


「誰でも良い厨房から炭を貰って来て! 火のついているのじゃないわよ。くべる前の炭よ!」

 ファナが厨房に向かって駆けてゆくのが見えた。


「そんな物いったい何のために…」

「うるさい! イヴァンは黙って何か砕く物を探してこい!」

 そこにファナが炭籠を抱えて帰って来る。

 イヴァンはテーブルに有った燭台の火を消すと右手に握った。


 私は炭籠から炭を拾い上げると散らばっているクロスで包みウラジミール・ランソンに手渡す。

「砕け! 粉々に、砂粒より細かく砕け!」

「いったいなに…わかった」

 その間私は王妃殿下の脈を図り続ける。時計が無いこの世界では勘でしかないがかなり心拍が早い。


 やっと治癒術士たちが部屋に入って来た。多分大急ぎで来たのだろうが、私たちにはその時間が悠久のように感じられるのだ。

「この中で風属性の者は?」

 二人が歩み出た。


 教導派の白鷺の紋章を刺繍した王宮治癒術士だ。

「王妃殿下の呼吸の補助を! 心拍が早いから気を付けて!」

 戸惑っている治癒術士にさらに続けて言う。

「あなたの呼吸に併せて王妃殿下の肺に空気を送って!」

 一人が王妃殿下に寄り添い呼吸の補助に当たる。


 突然、どやどやと人が集団で入ってくる足音がした。

「応急の処置をありがとうございます。もう治癒術士団長たちが参りましたので後は引き継ぎます」

「この中に水術士は? 綺麗な水をそのピッチャー一杯作りなさい。ウラジミール、炭は砕けた? なら私に頂戴。コップに綺麗な水と銀の匙を!」

「ですから、後は私どもが…」

「黙れ! 指示があるまでそこに立っていろ! ウラジミール有難う」


 治癒術士団のトップなのだろう。私の言葉に驚きと怒りで一瞬凍り付いている。

 その間に私は炭を混ぜた水を王妃殿下の口持って行き嚥下させる。

「何をしておられる! そんな治療聞いた事も無い! ここからは治癒術士団に任せられよ!」

 治癒術士団の団長らしき男が駆け寄って来る。


「イヴァン! ぶん殴って黙らせて。ヨセフは私が許可する奴以外近寄らせるな!」

 ジョン王子が近衛の三人に向かって大きく頷いた。

 イヴァン・ストロガノフは躊躇なく治癒術士団長らしき男を殴り倒した。


 毒物の摂取時は活性炭を飲ませる事で吸収を最小限に抑えられるはずだ。

 たしか体重の0.1%程度の摂取が必要だとジャンヌが言っていた。

 ここの治癒術士どもはジャンヌの生理食塩水を作れない。

 仕方が無いので清浄水を飲ませる事で水分の補給を図ろう。


 しかし使われた毒物が特定されない現状ではこういった対処療法しか方法が思いつかない。

 中世ではよくヒ素が使われたと言うが銀のスプーンはそのヒ素毒を発見するセンサー代わりなので多分違うだろう。

 トリカブトの毒はよく聞くが、毒の知識がある訳でも無いのでこれ以上の処置は思い浮かばない。

 聖魔法に関してもどこまで有効なのか見当がつかない、心拍がここ迄早いと光属性の治癒で逆に悪化させることも考えられる。

 私は不安にさいなまれつつ祈る思いでカタリナ修道女たちの到着を待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る