第52話

 ご飯を食べて、お風呂から上がって、それから髪を乾かそうかと思ったけれど、どうにも億劫おっくうでやる気が出なかったから、自室のベッドの上で横になった。

 お兄ちゃんに見られたら、「湿った髪でベッドに寝たらダメだよ」なんて怒られちゃいそうだけど、見られていないからセーフってことにして……。


「なんで失敗ちゃったんだろ……」


 天井に向かって独り言を呟いた。

 思い返すのは、今日の紅葉くれは先輩貶め大作戦のこと。私の中の予定では、いつもと違って女の子らしい彼女のことをお兄ちゃんが不審に思って警戒、心の距離が開いたところで私が割り込み、自然と関係を壊す……みたいな感じだったのに。

 まさか、お兄ちゃんがイヤホンどころか、『誰かが指示をしている』ということにまで気づいて、その上で『いつもの紅葉の方が好き』と口にするなんて思ってもみなかった。

 もちろん、あの好きはあくまで友達としての意味だと思うけれど、嫌いにしてやろうと企んでいた私からすれば、むしろ二人の関係性をより深いものにしてしまった感が否めない。

 要するに、私は今回の作戦において紅葉先輩に完全敗北したのだ。


「…………はぁ」


 敗因は分かってる。私が紅葉先輩の戦闘力を見誤っていた、ということ。

 チビで口が悪くて胸も小さい。女性的魅力なんて顔の良さ以外に無いに等しい紅葉先輩相手なら、私の方が勝っていると思い込んでいた。

 けれど、それはあくまで一般的な男性目線に立った場合の話。相手がお兄ちゃんとなると、色んな意味で事情が変わってくる。

 まず第一に、妹に恋心を抱く兄はほとんど居ない。性的な目で見ることはあるかもしれないけれど、お兄ちゃんの場合は第二の『異性に無関心』という部分でそれすらも可能性が消えてしまう。

 異性に興味が無いということは、普通なら嫌でも意識してしまうはずの魅力に対して、何の反応も示さないということ。

 裏を返せば、それは魅力の無さすら眼中に無いということにもなる。

 要するに、お兄ちゃん目線における私と紅葉先輩との魅力値に差は皆無ということ。

 男だろうと女だろうと関係なく、一人の人間として内面を見られている。それはある意味公平だけれど、兄妹という関係の私にとっては、障害以外の何物でもなかった。


「作戦を立て直す必要があるね……」


 今回のような卑怯なやり方では、絶対に紅葉先輩には勝てない。それがわかっただけでも収穫と言うことにしておこう。

 お兄ちゃんを狙う敵は紅葉先輩だけじゃない。相手の性格や動き方に幅広く対応できるような作戦に変えておいて損は無いと思う。


「よしっ、今から考えて明日からでも――――――」

「奈々、入るよ」

「お、お兄ちゃん……いきなりどうしたの?」


 ノックもせずに入ってくるなんて、お兄ちゃんにしては珍しい。『妹といえど、女の子の部屋だからね』と前に言っていたくらいだから。

 そんないつもと違うという事実に、私は心臓が跳ね上がった。

 ……もしかしてお兄ちゃん、私が紅葉先輩にしたことを聞いたとか?それで怒るために部屋に入って来たのでは?

 一度そう思い込んでしまうと、なかなか他の考えが浮かんでこない。心做しかお兄ちゃんの表情も怒っているように見え……なくもないし、緊張で鼓動がいつもの3倍くらい速く感じられた。

 お兄ちゃん相手に、恋愛感情以外でドキドキするのはいつぶりだろうか。怒られるの怖いな、嫌だな……。


「奈々、言わなくちゃいけないことがあるんだ」

「は、はい……」


 いつものようにはふざけられない。全身の筋肉が強ばって、1ミリも体を動かせなかったし、動かす気にもなれなかった。

 お兄ちゃんの息を吸う音が聞こえてきて、ついに怒られる!と下唇を噛み締める。けれど……。


「シャンプーが少なくなってきてるんだけど、詰め替え用はどこに置いてあるんだったっけ?」

「…………へ?」

「あ、聞こえなかった?もう一回言うね」

「あ、いや、そういう事じゃなくて……お兄ちゃん、シャンプーの話をしに来たの?」

「そうだよ?入ってから無いって気づくと困るでしょ?」

「う、うん。そうだけど……」


 予想と現実がかけ離れすぎていて、気を抜くと全身からちからが抜けてしまいそうになる。

 なんだ、怒りに来たわけじゃないのか。緊張し損な気もするけど、とにかくよかったぁ!


「詰め替え用は洗面台の下の引き出しに入ってるよ」

「あ、そう言えば前にも聞いた気がする」

「その時はお兄ちゃん、中身全部こぼしたんだからね?今度は優しく、ゆっくりしてよ?白いのこぼれると掃除が大変なんだから」

「わかった、気をつけて入れるよ」


 お兄ちゃんは最後に「ありがとう」と付け足すと、くるりと背中を向けて扉を開けた。

 これで怒られる心配も無くなって、落ち着いて作戦を考えられる。私はそう思いながら、ほっと胸を撫で下ろした。

 けれど、そんな安堵感を裏切るように、お兄ちゃんは部屋を出たところでこちらを振り返る。何かを思い出したらしく、「言い忘れてたんだけど」と部屋を覗き込んできた。


「奈々、紅葉で遊ぶのはもうやめてね」


 たった一言、それだけ言ってお兄ちゃんは扉の向こうへと消えていった。

 具体的なことは何も言われていない。けれど、そこに込められた意味が何なのかは、はっきりと伝わってきた。


「ぜ、全部バレてたぁぁぁ?!」


 私のお兄ちゃんは、無関心なように見えて意外と見ているらしい。

 き、嫌われたり……してないよね……?

 その夜は、不安で一睡も出来なかった。

 ある意味、『お兄ちゃんが寝させてくれない夜(意味深)』だったけれど、全く嬉しくなんてなかったよ……。

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