第411話

 水着浮遊事件から10分ほどが経って、ようやく萌乃花ものかの顔の赤みが落ち着いた頃。

 僕は彼女が飲み干したペットボトルを受け取って、ゴミ箱に捨てて戻ってきた。


「すみません、ご迷惑をおかけして……」

「萌乃花のせいじゃないよ。でも、スライダーはやめといた方が良さそうだね」

「そうみたいですね……」

「ほら、向こうに水を使って遊べるエリアもあるからさ。そっちに行ってみようよ」

「……はいです!」


 何とか落ち込んだ萌乃花を励まそうと頑張った甲斐あって、彼女は僕の横に並ぶとニッコリと微笑む。

 その様子にホッと安心していると、背後から小声で「元気になったわね」「良かったですね」と囁くのが聞こえてくる。

 どうやら紅葉くれは麗華れいかも心配してくれていたらしい。どうせなら僕と一緒に励ましてくれたら良かったのにね。


「あ、でも……その前にお腹が空いちゃいました……」

「この後、夕食だよ?」

「少しだけでいいんです! 今にもお腹とお尻がくっついちゃいそうで……」

「それを言うならお腹と背中じゃない?」

「……と、とにかく食べたいんですっ!」


 強引に誤魔化そうとする萌乃花は、僕の背中を押して先程ジュースを買ったお店へと連れて行く。

 紅葉たちも急いで後を追いかけてくるが、食べ物のことになった彼女の力は凄まじかった。

 人ひとりを押しているにも関わらず、2人を引き離すようなスピードで入店。

 メニューを見るやいなや、ものすごい早口でフランクフルトと焼きそばとハンバーガーを注文した。代金は顔認証で記録し、更衣室を出た時に受付けで払うシステムだ。


「あのさ、すぐに夕食だって言ったよね?」

「はい!」

「少しだけって自分でも言ってたよね?」

「言いましたよ? だから少しにしたんです」

「……ああ、そういう感じなんだ」


 萌乃花と食事なんてしたことがないから知らなかったよ。彼女はいわゆる大食いなんだね。

 今注文した量なら僕もお腹いっぱいになるレベルなんだけど、それですら少しだと言ってしまうのだから。

 まあ、彼女が自分のお金でどれだけ食べようと僕は気にしないし、それが理由で引いたりはしない。

 ただ、自分が食べている量は普通だと信じて疑っていないこのケロッとした表情には、誰かが現実を教えてあげる必要があるね。

 そうしないと、いつか萌乃花がホームパーティでも開いた時に、参加者が数人でも部屋を埋め尽くすほどの料理が用意され、大量の食品ロスが発生してしまうだろうから。

 地球と人類の未来を守るためにも、彼女には本当のことを知る義務があるよ。誰も教えないなら、最悪僕が教えることになるだろうけど。


「フランクフルト、焼きそば、ハンバーガーでお待ちのお客様〜」

「はーい♪」


 ただ、今は余計なことは言わないであげよう。

 用意された食べ物たちを見て瞳をキラキラと輝かせる萌乃花を前に、僕は喉まで来ていた言葉をそっと腹の奥へと押し込めたのだった。


「んふふ、フランクフルト美味しいです♪」

「萌乃花、フランクフルトは舐めるものじゃないと思うけど」

「棒についてるものは舐めて味わうものだって、お母さんから教えてもらいましたよ?」

「じゃあ、串カツは?」

「舐めます!」

「焼き鳥も?」

「舐めます!」


 これは一大事である。どうして一大事なのかはあえて説明しないでおくけれど、女子高生が公共の場でフランクフルトを舐めていることは一大事なのだ。

 大食いはともかくこっちは今すぐに何とかしなければならない。見ているこっちまで、すごく気まずくなってくるから。


「……萌乃花。ここだけの話、実は法律が変わったんだ。棒についてるものを舐めると、警察に捕まるんだよ」

「そ、そうなんですか?!」

「うん。だから、噛んで食べようね」

「分かりました! 瑛斗えいとさんは親切です♪」

「我ながらそう思うよ」


 新たな勘違いが生まれた気もするけれど、これで彼女が棒状のものを悩ましい食べ方で食すことはもう無くなるだろう。

 僕が心の中でそう呟いて、そっと胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。

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