第287話

 あれから2日が経って、テストが終わってからノエルはアイドルの仕事を再開した。

 事務所の人やメンバーにも迷惑をかけたからと、初日は謝罪に回るだけで一日が終わってしまったらしいけれど、さすがイヴのお願いを聞き入れてくれた社長さんだね。


『君の本業が学生だと忘れていて悪かった。テストは大事なことだ、次からは紫波崎しばさき君にも仕事の調整を頼んでおこう』


 怒らないどころか、むしろノエルのことを考えていなかった自分が悪いと自らを責めたのである。

 さすがにノエルもそれでは申し訳なくて、何か罰を与えて欲しいと頼んだらしいけれど、『なら、より一層レッスンに励んで欲しい』とだけ言われて話は終わったそうな。

 その話を聞いてからさらに数日後の放課後、僕は返ってきたテストを机に並べて唸っていた。


「難しい顔してどうしたのよ」

紅葉くれは、これ見てよ」


 不思議そうに近付いてきた紅葉に見せたのは、さっき帰ってきたばかりの社会のテストだ。


「78点、悪くないじゃない」

「まあ、そうなんだけどね」

「私は91点だったけど」

「……やっぱり別の人に相談するよ」


 そう言って立ち上がろうとすると、彼女は慌てて「わ、悪かったわよ……」と僕を席に座り直させる。

 本当は怒ったりしてないけれど、紅葉のこういうところは何度見ても面白いからついからかいたくなっちゃうんだよね。


「ほら、この問題」

「ん? 何よ、ちゃんとマルがついてるじゃない」

「違うんだ、マルはついてるけど間違えてるんだよ」


 要するに先生の採点ミスなのだ。僕にとってこんなことは初めてだから、どうすればいいのかが分からない。


「ほんとね。でも、間違えたのは先生だもの。ありがたく点を貰っておけばいいわ」

「実はわざと間違えて、僕が報告しに来るか試してるのかもしれない」

「そんなわけないでしょ、考えすぎよ」


 彼女はそう言うが、間違いだと気付いているのに隠すというのは、何とも罪悪感のある行為だ。

 だが、自分が躊躇ってしまっているのも事実。ここは紅葉デビルの囁きに身を任せた方がいいのかもしれない。

 僕がそう結論づけて採点ミスのことは忘れようとしていたその時、何かがぶつかる音が聞こえた直後に廊下の方がざわつき始めた。そして。


瑛斗えいと君、勝負だよ!」


 全教科の解答用紙を抱えたノエルが、満面の笑みで教室に飛び込んでくる。

 何故か鼻血を出しているところを見るに、先程のザワザワは彼女が転んだのが原因だろうか。


「とりあえずこれ詰めといて」


 カバンから取り出したポケットティッシュを筒状にしたものを、ノエルの鼻に入れてあげる。うん、ちょうどいい大きさだ。


「えへへ、お恥ずかしい……」

「よっぽど自信があるみたいだね」

「そりゃもう自信満々だよ!」


 少し鼻声になっているところは気にしないでおくとして、「勝負ってなんのこと?」と聞いてくる紅葉にはとりあえず座ってみていてもらうように言う。


「教科ごとの点数で、僕がひとつでも負けてたらノエルの勝ちでいいんだよね?」

「え、ひとつでいいの?」

「じゃあ、全部勝ったらにする?」

「ひ、ひとつでお願いしまふ!」


 自信はあるけど念の為、といったところだろう。僕自身も負ける可能性が十分あると思って、ご褒美について考えてきたのだ。

 今更ひとつだろうと全部だろうと、特に問題は無いので彼女の言う通りにしておく。


「じゃあ、国語から順番に見せていこっか」

「らじゃ! 国語はね―――――――――」


 そんな感じで勝負を進めていき、最後に英語を見せたところでノエルが膝から崩れ落ちた。

 確かにノエルの点数は悪くない。普段の成績と比べてもかなり良くなっている。ただ、偶然にも全教科が僕よりもほんの少しだけ下だったのだ。


「そんな、頑張ったのに……」

「落ち込まないで、ノエルの頑張りは僕も知ってる」

「でも勝てなきゃ意味ないよ。うぅ、ご褒美……」


 余程悔しかったのか、今にも涙がこぼれそうなほど目を潤ませているノエル。

 まさかこの結果になると思わなかった僕は、彼女の背中を撫でてあげることしか――――――――。


「瑛斗、これ見て」


 何かに気付いたらしい紅葉が解答用紙を差し出してくる。僕は首を傾げながらそれを受け取ったが、すぐにその意図を理解できた。


「ごめん、ノエル。今、採点ミスしてるところを見つけたから、僕の社会の点数が2点下がっちゃった」

「……え?」

「元々1点差だったから、これで僕の負けだね」


 証拠を見せてあげると、ノエルは何度も確認してから「ほ、ほんと?」と震える声で聞いてくる。


「今から先生に伝えに行くけど、信じられないなら一緒に来もいいよ」

「……ううん、信じる。でも、瑛斗くんはいいの?」

「良いも何も、負けたのは事実だからね」

「黙っていれば、点は下がらなかったんだよ?」


 どうしてそんなことをするのか分からないと言いたげに見つめてくる彼女に、僕は目元の涙を拭ってあげながら微笑んで見せた。


「もちろん点数は下がって欲しくないよ。でも、頑張ったノエルにご褒美はあげたいから」


 ノエルはその言葉を聞いて嬉しそうな顔をすると、社会の解答用紙をそっと抜き取り、それを半分に折りたたむ。

 そして、右手の人差し指を唇に当てながら僕と紅葉を交互に見ると、ほんの少しだけ悪そうな笑みを浮かべた。


「先生には黙っておいてあげる、ね?」


 こうして僕とノエルの勝負は、試合に勝って勝負に負ける結果として終わりを迎えたのであった。

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