第60話

 扉の向こうへ保健室の先生が消え、私は小さくため息をついた。

 ギリギリで瑛斗えいとさんと一緒にベッドへ飛び込んだおかげで、彼の存在に気付かれずに済んだらしい。不自然に私の足元の布団が盛り上がってはいるけれど、パッと見ではここに人が入っているとは考えられなかったのだろう。

 時計を見てみれば、ここに来た時から10分ほどが経過している。ミミズのせいで時間をかなり取られてしまった。

 もしも、もう少し気付くのが遅れていたら、下着姿で瑛斗さんと話しているところを見られていたかもしれない。

 そうなれば、当然保健室の先生は他の先生にそのことを知らせるだろうし、その結果私は罰を受けるかもしれない。


 そこまで考えて、私は首を横に振った。問題なのはそこじゃない。

 もしも、私ではなく瑛斗さんに容疑がかかってしまったら、私のせいで彼が罰を受けることになる。それだけは絶対に許されない。

 瑛斗さんは敵ではない。例えるなら、拳の中で表が裏か分からないコインのようなもの。開けてみるまでは分からない。

 彼の中に悪意は無くて、私達が一方的にゲームにおける攻略対象として利用してしまっているだけ。悪いのは100%私の方。

 だからこそ、傷つけてはならない。嘘と並んで生きてきたような私は、あの日から嘘で誰かを悲しませないと誓ったのだから。


『口から出た嘘はまことにしろ。出来ない嘘は吐くな』


 あの日、彼に言われた言葉が頭の中で繰り返される。あの人は、私が嘘をやめられないことを理解した上で、嘘を口にするなとは言わなかった。

 ただ、誰かに嘘吐きだと思われないように、言える嘘に限度を設けただけ。それだけでも、私の病的なまでの『癖』はある程度落ち着いた。

 けれど、嘘が無くなった訳では無い。小さな嘘、隠し通せる嘘、そして瑛斗さんへの嘘。いくつもの偽りを引きずって歩いている。

 それらは私が『優等生』という仮面を被っている間は絶対にバレない。そして、あの嘘だって気づかれることは絶対にない。墓にだって刻み込まれる、そんな大きな嘘でも。


白銀しろかねさん、大丈夫?」

「……え?あ、大丈夫です。少しぼーっとしていました」


 不意に瑛斗さんに話しかけられ、思考から現実に引きずり出された。気が付けば、彼の顔はすぐ目の前にある。また勝手に目隠しを……。


「熱でもあるのかな?おでこ貸して」

「っ……え、瑛斗さん?!」


 突然私の前髪をかき分けた彼は、顔を近づけて額同士をくっつける。私のものではない体温が、じわりと体に染み込んでくるような、そんな不思議な感覚だった。


「ち、近くないですか?」

奈々なながこうするとわかりやすいって教えてくれたんだ」

「でも、保健室ですから体温計がありますし……」

「この方が手っ取り早いでしょ?それに、熱はないって分かったからもう大丈夫」


 そう言いながら、瑛斗さんは私から離れる。

 スっと何かが抜けるような感覚がして、無意識に物足りないと思ってしまった。下手に他人の温もりを感じてしまったからだろう。

 そんな感情を胸の奥底に押し込んで、私は目の前の彼にいつも通りの笑顔を向ける。直後、扉がガラッと開いた。

 私は慌てて瑛斗さんを布団の中に押し込むと、足で彼の動きを封じる。下手に動かれてバレでもしたら困るから。


「制服、持ってきましたよ〜♪」


 一息付く間もなく姿を現したのは、いつもぽわぽわしている私の担任、綿雨わたあめ先生だった。どうして先生が持ってきてくれたのだろうか。


「さっき、保健室の先生から頼まれたんですよ〜♪自分の持つクラスの生徒が困っているなら、教師として助けないわけにはいきませんよね〜」

「あ、ありがとうございます……」


 差し出された制服を受け取ろうとすると、掴もうとした寸前で手前に引かれ、拍子抜けしてしまう。大の大人がそんな子供じみたおふざけをしてくるとは思わなかった。

 そんなことはお構い無しに、ほんのりと意地の悪さを滲ませた微笑みを見せる先生は、いつも通りの緩い口調で私に聞く。


「制服はどうして汚れてしまったんですか〜?」

「それは瑛斗さんを探している時に、裏庭で転んでしまって……」

「そうですか。では、その狭間はざまさんは見つかりましたか?」

「…………いえ、まだです」


 つい、嘘を口走った。けれど、このまま騙し通せれば嘘を吐いたことは隠せる。何事もなく2人きりに戻ることが出来る―――――そう思ったのに。


「嘘は良くないですね、白銀さん?」


一体どこから察したのか、綿雨先生は布団を掴んで一気に捲り上げた。同時にその下の光景が明らかになる。もちろん、私の足元にいた瑛斗さんの姿も見つかる―――――――――――――――


「――――――あれ?」

「えっ……?」


――――――――――はずだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る