第291話

瑛斗えいと君、お待たせ。待った?」

「ううん、今来たところ」


 そんな定番の会話をしてから、「じゃあ、行こっか」と並んで歩き出す僕とノエル。

 そう、今日は『ご褒美』という名目で2人でお出かけなのだ。ノエルが言うにはデートらしいけれど、本人がそう呼びたいなら呼ばせておいてあげようかな。


「今日は仕事、お休みなんだね」

「あはは……テストで休んだ分を取り返すために放課後に仕事を詰め込んだら、さすがに頑張りすぎだって怒られちゃったから」

「確かに、今週は毎日動画上げてたもんね」

「他にもインタビューと番組のゲスト、それから次のデビュー候補の後輩の指導も同じ日にやったこともあったかな」

「確かにそれは頑張り過ぎだね。じゃあ、今日はノエルをたくさん休ませてあげないと」


 そう言って彼女の前にしゃがんで背中を差し出して見せると、「それはさすがに恥ずかしいよ?!」と遠慮されてしまった。

 奈々だったら喜んで乗ってくるのに、なんて思いながら立ち上がり、「歩き疲れたら言ってね」と再度歩き出す。


「今更だけど、メガネなんて掛けてたことあった?」

「これは変装用だよ。Theのえるたそって感じで居たら、すぐに囲まれちゃうからね」

「アイドルって大変なんだね」

「もしバレたら瑛斗君も大変なことになるし、しっかり隠しておかないと」


 恋愛禁止のアイドルが男と二人で歩いていたら、どう言おうと世間はデートであると捉える。

 そうなれば夢見がちなファンたちはのえるたそを失ったと勘違いしてショックを受け、もしかすると死者が出る惨事に繋がりかねないのだ。


「念の為にマスクもしておこう」

「それはイヤ。瑛斗君に表情が見えなくなっちゃう」

「イヴとも会話できてるから大丈夫だよ」

「それでもダメなの。私から笑顔を取上げたら、何も取り柄が残らないでしょ?」


 僕は「そんなことないと思うよ」と伝えるが、彼女は断固としてマスクを着けるつもりはないらしい。

 これがもし感染病が流行してる時期だったら、通りゆく人に睨まれ続けることになるけれど、そんな時代じゃなくて助かったよ。


「あと、もう一つだけお願いがあるの」

「臓器提供は出来ないよ?」

「なんでそう思ったのかは知らないけど、お願いはそれじゃなくて……名前のこと」

「名前?」


 名前がどうかしたのかと首を傾げた僕は、しばらく悩んでようやくその言葉の意図を理解した。

 ノエルと呼んだら周りの人が気付くかもしれないから、なんて理由ではない。せっかくのご褒美、彼女は久しぶりに呼ばれたいのである。


「私の本名はイヴだから……」

「ごめん、ノエルが定着しすぎてうっかりしてた」

「謝らないでよ。私もノエルって名前で生きていくって決めたから。でも、完全に捨てちゃったわけでもないから……ね?」

「わかった。今日はよろしくね、イヴ」

「えへへ、よろしくね♪」


 ニコニコ笑顔の彼女をイヴと呼ぶのにはかなり違和感があるが、良い休日とご褒美を提供するためにも早めに慣れてしまおう。


「イヴ、最初はどこに行く?」

「えっと……4階のスポーツ用品店かな」

「動画撮影用の何かを買うの? イヴ」

「YES! ダイエット中もオシャレは大事だもん」

「それじゃあイヴ、早速そこに向かおうか」

「……あの、瑛斗くん?」


 エスカレーターのある方へ向かおうとした僕の腕を掴んだ彼女は、「どうしたの、イヴ」と聞くと同時に体をビクッとさせて上目遣いで見つめてきた。


「よ、呼び過ぎ……」

「ごめん、ノエルって呼ばないように意識してた」

「ありがたいけど、そこまでしなくていいよ。というか、呼ばれ過ぎると照れちゃうから……」


 なるほど、やりすぎは逆効果だったらしい。早めに言ってくれて助かったよ。

 意識するのは頭の中だけに留めて、あまり困らせないようにしないとね。最高の休日にしてあげるんだから。


「行こっか、イv―――――じゃなかった」

「ふふ、無理して呼ばないのも必要ないよ。呼びたい時に呼んで欲しいだけだから」

「わかった。ありがとう、イヴ」

「いえいえ、どういたしまして♪」


 変装してもダダ漏れ過ぎる天使のスマイルを前に、僕が『マスクつけなくて正解だったなぁ』と頷いたことは言うまでもない。


「まあ、イヴは中身も天使だけどね」

「……もう、いきなり褒めないでよ」

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