第610話

瑛斗えいとさんが……東條とうじょうさんに……?」

紅葉くれはちゃんに負けたってこと……?」


 二人はその場に膝をついて天を仰ぐと、目をウルウルとさせながら震える声でそう呟いた。

 こうなることはわかっていたし、覚悟も決めたつもりでいたけれど、いざ目の当たりにするとキツイものがある。

 それでも、僕が目を逸らすことは許されないと思うから、何も言わずに彼女たちを見つめ続けた。


「振られたというのは、どういうことですか?」

「僕に他のみんなも大切で、傷つけたくないって気持ちがあったからだよ。生半可な気持ちは受け付けないって」

「……ふふ、紅葉ちゃんらしい答えだね」

「今だって2人を傷つけたことを後悔してる。でも、それ以上に紅葉を守りたいんだ」


 僕の言葉の熱量を察してくれたのか、それとも僕立ちを閉じ込めたことへの罪悪感がまだ残っているのか。

 どちらにせよ、二人はいつものように張り合おうとはせず、ただただ黙って紅葉を見つめていた。


「それはつまり、覚悟が出来たってことかしら」

「うん。紅葉の求めてた『他の女の子なんてどうでもいい』には達してないけど、紅葉じゃなきゃダメだとは確信してる」

「よくもまあ、そんな恥ずかしいセリフを惜しげも無く口に出来るわね」

「まだ足りない?」

「……いいえ、合格よ」


 ゆっくりと首を横に振る紅葉を見て、僕は胸の奥深くがじわっと熱くなるのを感じた。

 それが目頭にまで伝わってきて、一滴の雫となって足元に落ちる。涙を流すなんて、麗子れいこさんと離れ離れになってから何回目だろう。

 きっと数えられるほどしかないけれど、僕にとって今がそれに相応しい瞬間であることは間違いなかった。


「そんなにも東條さんを想っているだなんて、私たちの踏み込む隙はなさそうですね」

「私たちの完敗だよ。まさか、こんなにもあっさりと決着が着いちゃうなんて」


 麗華れいかとノエルはパチパチと拍手をしてくれていて、その表情には涙もありながらも主役は笑顔だ。

 きっと、自分こそがと思いながらも、心のどこかでは負けても勝った人を讃えようと決めてくれていたのだろう。

 この3人は誰がどの立ち位置であっても、きっと今と変わらなかったに違いない。そんな彼女たちだからこそ、揺るぎない僕の大切な人たちなのだ。


「紅葉の答えを聞かせてくれるかな」

「そう言えば、まだ返事してなかったわね」


 紅葉はそう言いながら顎に手を当てると、何かを悩むような素振りを見せた後、にんまりと口元を歪める。そして。


「クリスマスも過ぎちゃったし、1ヶ月後のバレンタインにでも教えてあげようかしら」

「……え?」

「そう簡単に私が手に入ると思った? こっちは何ヶ月も待たされたのよ、あなたもその不安とドキドキを味わうといいわ」

「そんな……」


 こんなところで仕返しを食らうとは思っていなかったから、驚きも合わさって落ち込み度は二倍。

 けれど、確かに彼女の言っていることは間違っていないから、僕は文句を言うことも出来ずに受け入れるしか無かった。


「ちなみに、私はまだあなたたちとの勝負が終わったなんて思っていないのだけれど?」

「……どういう意味です?」

「私は瑛斗を自分のものにし続ける。あなたたちはそれを阻止する。恋愛ってそういう勝負だもの」

「つまり、瑛斗さんに浮気させるってこと?」

「そんな勝負、東條さんに利があるんですか」

「利なんてないわ。何を言ってもどうせあなたたちは諦めないもの、受け入れた方が楽ってだけよ」


 実に紅葉らしい考えだ。僕が心の中でそう頷いているとトントンと肩を叩かれる。

 一体何かと振り返った瞬間、彼女にグイッと胸ぐらを掴んで引き寄せられ、息がかかるような距離でこう言われた。


「もちろん、本当に浮気したらどうなるか分かってるわよね?」


 笑顔ながらもグサグサと突き刺すように押し込まれた釘に、僕が何度も首を縦に振りながら「もちろんだよ」と答えたことは言うまでもない。

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