第56話

 廊下に出た麗子れいこは、まず瑛斗えいとと最後に話した屋上へ続く階段へ向かう。

 しかし、そこに彼は居らず、次に鍵の開いている空き教室をひとつずつ確認していった。それから理科室、家庭科室、職員室と隈無く探した後、他学年が使用中の体育館も一応覗いてみる。

 それでも瑛斗の姿はどこにも見当たらない。


「あと探していない場所は……」


 廊下を歩きながら、ふと窓の外に視線を落とした麗子は、反射的に「あっ!」という声を漏らした。ずっと探していた人物をようやく見つけたから。

 彼のいる場所は学校の裏庭。日陰になっていて足元は植物で埋め尽くされているため、生徒もほぼ行くことがない場所だ。

 そんな場所で何をしているのかと目を凝らしてみると、どうやら彼はしゃがみこんでいるらしい。


「もしかして……怪我?」


 どうしてあんな所にいるのかは分からないけれど、裏庭は滅多に人が行かないから整備や安全の確認だってしっかりしていないはず。

 それなら、何らかの原因で怪我をして動けなくなったということも考えられる。

 心配になった麗子は先程までよりも歩を早め、急いで彼の元へと向かうのだった。



 足を取られそうになりながらも、草の上を歩いて裏庭へと入る。相変わらず校舎の影に覆われていて、空気が冷たく感じられた。


「瑛斗さん!そんなところで何を……」

「あ、白銀しろかねさん。今は授業中だよ?どうしてここにいるの?」

「……それは私の台詞ですよ」

「冗談だよ。僕を探しに来てくれたんだよね、ありがとう」

「いえ、私が自ら進んでやったことなので」


 瑛斗の「白銀さんは優しいね」という言葉に、麗子は「そんなことないですよ」と微笑む。そして、彼の足元にいる黒い物体へと視線を移動させた。

 パッと見では何だろうか思ってしまうけれど、よく見てみればそれは猫で、事故にでもあったのか片目を失っていた。


「その猫さんと遊んでいたんですか?」

「うん、初めは少しだけのつもりだったんだけどね。気が付いたらチャイムが鳴っちゃったから、まあいいかなって」


 そう言って黒猫を撫でる彼を見て、麗子はなんてのんびりした人なのだろうかと少し呆れた。けれど、そのおかげで2人きりになれたのだから、感謝すべきなのかもしれない。

 黒猫がにゃーと麗子に向かって鳴く。彼女は不思議と心の中を読まれたような気がして、「あなたもいましたね」と撫でようと手を差し出したけれど、黒猫は逃げるように瑛斗の背中へと隠れてしまった。


「あはは……嫌われちゃったみたいですね」

「この子は人の気持ちに敏感なんだと思う。この目もきっと、人間にやられたんだね」

「その割に瑛斗さんに懐いていませんか?」

「多分、僕に同じ匂いを感じたんだよ。ひとりぼっちの匂いを」


 瑛斗は黒猫を撫でていない方の手を草むらの方へと向けた。指差す先を見てみれば、仲良く座っている白と茶色の猫が見える。

 彼らの方は黒猫と違って首輪をつけており、怪我なんかはしていないらしかった。


「この子はあの二匹に仲間外れにされちゃったんだ。去年の僕みたいに」

「……似た者同士、ってことですか?」

「まあ、そうなるかな。けど、この子の方がずっと辛いと思う。僕は何かを失ったわけじゃないからね」


 瑛斗はそう呟きながら、優しく黒猫を撫でる。その目は猫を見ているようで、どこか遠くを見ている。そう麗子には感じられた。


「でも、今の瑛斗さんはひとりじゃないですよ。東條とうじょうさんがいますし、私だって……」

「僕にとってはひとりだった時間の方が長いんだ。思い出して悲しむ時間も、今は必要だよ」


 彼女の言葉に、彼は優しくそう返した。


「それに、白銀さんと僕ならいつでもデバイスで連絡が取れる。だから、会おうと思えばいつでも会えるよ。けど、猫と僕とじゃそうはいかない。幸せにしてあげられるチャンスは今しかないんだ」


 瑛斗はそう言うと、黒猫を抱えて二匹の方へと歩み寄っていく。猫たちは近付いてくる彼に警戒の姿勢にはなるものの、先程から興味ありげに見ていたこともあって、逃げようとはしなかった。

 手を伸ばしてそっと頭を撫でれば、気持ちよさそうに目を閉じ、喉をゴロゴロと鳴らせる。飼い猫だから元々人馴れしているのもあるだろうけど、第三者として見ていた麗子には、相手が瑛斗だからという理由も大きいと感じられた。

 二匹がリラックスしているところに下ろされた黒猫は、おそるおそるといった様子で近付いていき、並ぶようにして寝転ぶ。

 それと同時に我に返ったように立ち上がった二匹は、黒猫のことをじっと見つめていたものの、しばらく順番に撫でられると、やがてにゃーにゃーと鳴きあって、3匹でどこかへ走り去った。

 それを見送ってから、麗子の隣に戻ってきた瑛斗は、制服についた毛を払いながら言う。


「猫も人間と同じで単純なんだ。同じ楽しみを味わえば、意気投合することもある」

「……優しいんですね」

「そうじゃない。僕は罪滅ぼしをしているだけだよ」

「罪滅ぼし?」

「そう、あの時の償いって言った方がいいのかな?なんにしても、これは僕の自己満足だから。優しさじゃないよ」

「……」


 麗子にはそれがどういう意味がわからなかった。彼の過去に何があったのかは知らない。知る必要も目的への関係も今のところはない。

 ……しかし、初めて見る憂いを含んだその表情は、麗子の心の深いところにくっついて剥がれようとしなかった。

 ただ、なぜかそれ以上聞いてはいけないような気がして、言葉になりそうな寸前で音はただの空気に変わってしまう。

 まとわり着いてくるもどかしさを、麗子は首を降って振り払った。自分に『今は聞く必要が無いことだ』と言い聞かせて。


 そう、私の目的はこの二人きりの状況を利用して、瑛斗さんとの距離を縮めること。過去なんて気にしていたら前に進めないですからね!


「瑛斗さん、お話が―――――――あれ?」


 麗子が心を切り替えて振り返ってみると、そこに瑛斗の姿はもう無くて……。


「白銀さん、そろそろ教室に戻ろうか」

「え、あ、ちょっ!?」


 彼は既に裏庭を出ようと歩き出していた。それを見つけた麗子は慌てて走り出す。けれど、突然の切り替えに体が着いて来ず、草に足を取られて転んでしまった。


「いてて……」

「白銀さん、大丈夫?」

「あ、ありがとうございます……」


 手を差し出してくれる優しさに少し照れつつ、麗子は支えられるようにして立ち上がる。転んでしまったことへの恥ずかしさもあるけれど、帰ろうとする瑛斗を止められたことに対しての安堵感も少しあった。

 麗子にとってこのチャンスは逃してはいけないもの。明日を確実な日にするためにも、今日根を張っておくことが重要なのだ。しかし―――――。


「制服、すごい汚れちゃったね」

「ほ、本当ですね。これじゃ、教室に戻れないです……」


 彼女の計画は、砂まみれになってしまったせいで、それどころではなくなってしまった。

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