第57話

 僕と白銀しろかねさんは、裏庭を後にしてから保健室の前へと足を運んだ。

 怪我をした訳でもないのにどうして保健室なのかと言うと、制服の貸し出しをするのは保健室のみと決められているらしいから。


「失礼します。制服を貸してもら……」

「白銀さん、どうかした?」


 丁寧に挨拶をしてから、スライド式の扉を開いた彼女は、一歩踏み込んで動きを止める。不思議に思った僕が首を傾げると、「先生がいませんね」という声が返ってきた。


「職員室かもしれないし、探しに行く?」

「いえ、この格好で歩き回るのは少し……」

「なら僕だけで行ってくるよ」

「それは申し訳ないです!」


 体を反転させ、今入ってきたばかりの扉に向かって歩きだそうとする僕を、白銀さんは「そ、それに……!」と言いながら引き止める。


「こ、ここに一人でいるのは少し心細いです……」

「それなら、先生が帰ってくるのを一緒に待つよ」

「本当ですか?ありがとうございます!」


 白銀さんは僕の手を強く握ると、満面の笑みを見せながら何度か上下に降った。彼女のことをよく知っているとまでは言えないけれど、少し反応がオーバーすぎるような気もする。

 けれど、確かに滅多に入ることの無い保健室に一人でいるというのは、人によっては心細いのかもしれないし、気にしすぎるのも良くないよね。


「先生、どこに行ったんだろう」

「……あ、書置きがありますよ。『15分ほど保健室を開ける』らしいです!」

「15分ってことは、学校内での用事だね」


 僕はそう言いながら、机の上に置いてある紙を手に取って自分の額に当ててみる。白銀さんは『何してるんだろう』と言いたげな目で見てくるけど、僕は構わず紙を元の場所に戻した。


「紙にまだ温もりを感じる。先生は保健室を出てからあまり時間が経っていないってことだね」

「そ、そんなことが分かるんですか?!」

「白銀さん、今のは冗談だよ。ベッドとかならまだしも、紙の熱なんてあてにならないもん」

「冗談……わ、わかっていましたよ?あえて乗っかったんです!」

「ほんとうかなぁ?」

「本当ですよっ!」


 「からかわないでください!」と頬を少し膨らませて、ぷいっと顔を背ける白銀さん。けれど、その表情はすぐに微笑みに変わって、机の横に置いてあったバケツとタオルを拾い上げた。


「何するの?」

「体を拭こうと思いまして。砂が制服の中にまで入ってきちゃっているんです」

「それなら僕が水を汲むよ、白銀さんはラジオ体操でもして待ってて」

「本当ですか?ありがとうございます♪」


 彼女の手から一式を受け取り、保健室の一角にある水道へと向かう。バケツを蛇口の下に置いてバルブを捻ると、ジャーっという音を立てながら水が貯まり始めた。

 そんな僕の背後で本当にラジオ体操をして待っている白銀さんが、「それも罪滅ぼしですか?」と聞いてきたから、「これは恩返しかな」と返しておく。


「私にほどこされちゃいましたからね」

「なら、倍返しにしないと」

「ふふっ、期待してます♪」


 そんな会話をしているうちにバケツの3分の2くらいまで水が溜まった。僕は持ち手を両手で握ると、その重いバケツを何とか持ち上げ、白銀さんの足元に置く。

 この作業だけで腰が少し痛い。運動不足かな。


「やっぱり、私がやった方が良かったですかね?」

「白銀さん、力に自信がある方なの?」

「力と言うより、根性と体力ですかね。中学の時は陸上部だったので」

「すごいね、僕は運動部に入ったことないからなぁ」

「その割に、瑛斗さんって細いですよね。羨ましい限りですよ」

「僕、食べても太らないタイプだからね」

「……それ、私以外の女の子の前で言ったら大変なことになるので、気をつけてくださいね?」


 事実を言っただけなのに、どうして大変なことになるのかは分からないけれど、白銀さんの目が本気だったからただ頷くだけにしておいた。

 もしかして、白銀さんも『大変なことをする』タイプの女の子なのだろうか。それなら気をつけないとだね。この様子だと、小指の爪2枚くらいは持ってかれちゃいそうだし。


「じゃあ、僕は外に出てるから、拭き終わったら呼んでね」

「ま、待ってください!1人は心細いと先程伝えたはずですよ……?」

「大丈夫だよ、扉のすぐ前で待ってるから」


 僕の言葉に、白銀さんは人差し指をチッチッと振った。ポ〇モンならド〇クエで言うところの『ぱろぷんて』と同じ効果が発動しちゃうけど、どうやらそういう意図ではないらしい。


「扉一枚の隔たりでも、不安の有無はすごく変わるんですよ?」

「なら、白銀さんは僕に服を脱いでいるところを見られてもいいってこと?」

「っ……それはちょっと困りますね……」


 小さいの頃、奈々ななが寝室のクローゼットが開いているのが怖くて眠れないと、僕のところまで泣きついて来たことがあった。

 あの時は僕が隣で寝てあげたからかもしれないけれど、クローゼットをしっかりと閉めてからは一切怖がらなくなり、朝までぐっすりと眠ってくれたのを覚えている。

 だから、扉一枚だけでも不安の有無を左右すると言う意見には僕も頷けた。

 けれど、今回は相手が妹じゃない。つまり、着替え時間において『一緒にいてあげることで解決する』ということが出来ないということ。

 それくらいの配慮は僕にだって出来る。相手が紅葉なら居座ったかもしれないけどね。彼女に対してはこの前の更衣室の件で手遅れだし。


「だから出ていくよ」

「――――――――――待ってください!」


 僕の意見とは裏腹に、白銀さんはまだ僕のことを引き止めてくる。その頬はほんのりと赤らんでいるけれど、瞳はいたって真剣そのものだった。

 そして大きく深呼吸した彼女は、再び僕を見つめると、微かに震える声でこう言った。


「み、見なければ問題ないですからっ!」

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