第616話

 翌日、待ちに待った日がやってきたと少し早めに目が覚めた僕は、寝た後にカナから送られてきていたチョコバナナの画像に『完璧』と返信してベッドから出る。

 洗面所で顔を洗っていると、同じく早めに目が覚めらしい奈々ななと鏡越しに挨拶をして場所を入れ替る。


「カナにチョコあげるの?」

「もちろん。お兄ちゃんも欲しかった?」

「くれるならね。でも、その分もカナにあげた方がチョコも喜ぶと思う」

「そっか。でも、お兄ちゃんへってチョコペンで書いちゃったから貰ってよ」

「それならありがたく頂こうかな」

「美味しかったら教えてね、来年の参考にするから」

「了解」


 最近、彼女とは兄妹としてのいい距離感を保てていると思う。きっと恋愛感情を向け、受け入れてくれる相手が出来たからだろう。

 けれどお兄ちゃん嫌い状態になった訳では無いみたいだから、この関係には僕も満足している。奈々に嫌われたらしばらく立ち直れないだろうし。


「お兄ちゃんこそ、今日は大変だろうね」

「どうして?」

紅葉くれは先輩の返事の日なのもそうだけど、きっと義理も合わせたらすごい数になるだろうからさ」

「僕相手にわざわざ用意するかな」

「学校に行ったらすぐ分かると思うよ。まあ、どっちにしても紙袋を用意しておいてって妹からの忠告ね」

「わかった、カバンに入れておく」


 そんな返事をしてキッチンへと向かった僕は、棚から中ぐらいの紙袋を引っ張り出した。

 それからついでに冷蔵庫を覗いてみると、確かに奈々からの贈り物が入っている。

 手渡しが良かったなんて思ったりもしたけれど、これを手渡しは少し難しいのかもしれない。お兄ちゃんへと書かれたホールのチョコケーキはね。

 恋愛感情は落ち着いても、お兄ちゃんっ子なところが消えてなくなった訳では無いらしい。そう少し頬を緩めながら、紙袋片手に2階へと上がった。

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 数十分後、僕はいつもより時計の進みが遅く感じて早めに家を出る。今日くらいはこちらから紅葉を迎えに行くのも悪くは無いと思ったのだ。

 家の前で少し待って、「あら、早いのね」と出てきた彼女と並んで歩き出す。……特に何かを言われる雰囲気ではない。

 当日になればすぐに答えをくれるかと思っていたけれど、紅葉はもう少し後を想定してるのかな。それならガツガツするのも良くない気はする。

 こちらから聞きたい気持ちをグッと抑え込むと、僕はいつも通りの会話をしながら学校までの道のりを歩くのだった。


「これ、あげる!」

「さんきゅ、誰かも貰えないかと思ってたわ」

「ねえねえ、欲しいなら欲しいって言いなよ」

「別にいらねぇし……」

「ほーら、取ってこーい」

「わんわん……ってやるか!」


 普段よりも明らかに浮ついた空気の漂う教室の中を歩いた僕は、自分の席に腰を下ろしている女の子に「おはよう」と声をかけた。

 彼女はゆっくりと体を起こすと眠そうな目を擦りつつ、手に握っていた透明なプラスチック製の細長い箱を差し出す。

 中を覗き込んでみると、これは……チョコレートで作られた僕かな。さすがはイヴ、手先が器用だ。


「こんなすごいもの貰っていいの?」

「……」カクカクシカジカ

「友チョコをあげるのが夢? 僕ももらうの夢だったんだ、叶ってよかったよ」

「……♪」


 嬉しそうに頷きながら、心做しか普段より軽い足取りで去っていくイヴ。

 彼女がくれたチョコを用意してきた紙袋に丁寧に入れていると、入れ替わるように別の誰かがやってきて方を叩いてくる。


「ん? あ、千聖ちさとさん」

「朝一で申し訳ないけど、これお姉ちゃんから預かってるの」

魅音みおんさんから?」

「私に作った分が多すぎたからおすそ分けみたい」

「それでも嬉しいよ。喜んでたって伝えておいてくれる? 今度会ったら僕からも言うけど」


 千聖さんはわかったと頷くと、こちらに背を向けて帰る……かと思ったけれど、何かを思い出したように立ち止まると背中に隠していたものを机に置いた。


「そっちは私から。修学旅行の時のお詫びとお礼、まだちゃんとしてないと思って」


 そうとだけ言い残して逃げるように立ち去る彼女。あれも結局僕の懺悔力が働いたお節介だったのに、わざわざお菓子をくれるなんて律儀だ。

 けれど嬉しいことには嬉しいので、僕はそれも紙袋に入れて大事に食べさせてもらうことにするのであった。

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